夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

シロ・・・聖書を読んでいて不可解な事その1

2016年02月01日 23時44分26秒 | 日記
 ずっと考え続けているがどうしても閃かない事が今現在二件ある。これはその一。

古代イスラエル民族の始祖が死期を悟って子供たちに残した言葉で、創世記49章10節『杖ユダを離れず法を立つる者その足の間をはなるることなくしてシロの来る時にまで及ばん彼に諸々の民従うべし』の『シロ』とは何か?

私は排除法によって日本の皇室がこの『杖の持ち主』であると考えているのであるがこの文章にはそれに終わりがあるような感じもする。『シロ』なるものが登場するまでの繋ぎとして萬世一系の皇室が存続して来たのだろうか?その『シロ』とは皇室と血が繋がった誰かであろうか、それとも見えない領域の、例えばダニエル書12章1節にある『その時汝の民の人々のために立つところの大いなる君ミカエル起ち上がらん』のミカエルだろうか?

黙示録12章に『日を着て月に乗る12の星の冠を頂いた女』が出て来る。これも記述に相当する者を探して日本が最も多くの部分で当てはまるとの考えで日本と仮定すると産みの苦しみの後生まれた男子なるものが上記の『シロ』でもあるように思われる(黙示録12章1節~5節)。・・するとそれは覚醒しつつある日本人の中から出て来る組織のようなものであろうか?それとも覚醒して自らを想い出した日本民族そのものを暗示しているのであろうか?(エゼキエル書37章1節~14節)

ダニエル書の11章の最後には『北の王』の倒壊が述べられて居りこの予言の全体を読むとキリスト教世界の衰亡とアメリカの実質的な倒壊(覇権放棄で明らかになっている)がそれであってまさに今現在の時点を指している。バビロンのネブカドネザル王が見た悪夢の巨像、それが暗示する『人間の権力による地上世界の統治』が終了したと解釈出来よう。

すると、今既に大いなる君ミカエルが活動を始めたと言う事になろう。・・・つまり今は既に神の安息の日が終わって新しい活動の時に入っている、黙示録言う、『全ての物事が新しくされる』時に入っているのか?それと『シロ』とどういう関係があるのか?
そして皇室は?折しもネット上に皇室に関する様々の忌まわしい記事が散見され、読むだに暗澹たる思いがこみ上げてくる。要約すれば巧妙に滑り込んだキリスト教によって、次に朝鮮族によって伝統的な皇室はぼろぼろに破壊されつつある、との記事のようだ。

皇室は終わるのか?・・・あり得る!人間世界の最初に『汝は彼の踝を砕き彼は汝の頭を砕く』と宣言されたある邪悪な存在が己の存亡をかけて日本民族を解体離散雲散霧消させようと血眼になっているのだ。そこに真実も捏造もない、手段を択ばない焦燥に陥っているのだ。余談ながら南京、慰安婦等、仮令それが捏造であると明明白白になったとしてもこの存在は走狗として使えるものはなんでも使ってどうあっても日本人を無力化、日本の存在を「無効化しようとしてくる。

皇室に手をかけてもおかしくない。・・・だが、少し遅かったのではないか?おそらく、未だ明確に見えないが上記『ミカエルが起ちあがる』は起きていよう。世界の趨勢は人間の手を離れているのではないか?


俺の家に勝手に上がり込んで

2016年02月01日 16時18分21秒 | 日記
 俺の家に勝手に上がり込んで好き放題やって什器備品を穢し子供達に危害を加え、あろうことかこっそり乗っ取ろうとした。幸い子供たちの何人かが気着いて追い出そうとすると近所隣に有りもしない悪口を言いふらし、いよいよ切羽詰まると町内会にまで駆け込みリットン調査団まがいのことをさせる。

 腹に据えかねたので犬殺しの輪差を懸けた。そろそろ締めるか!

 ・・・・日本神界なんじゃもんじゃの命並びに八百万大明神


 欧州は得意のキリスト教でスッテンコロリン、自ら滑って起き上がれない。

 欧州の弟アメリカは寄生虫にぼろぼろにされながら日本が怖くて虫下しをする勇気がない。(アメリカが虫下しすると日本でも虫が下される仕組みがいつの間にかあるのね!だからアメリカで虫下しが処方されたら日本も元気になる)

 国連は世界の迷惑ゴキブリの道具になり下がった。

 まあいいさ、遠からずバルサンが処方される。

 ・・・・わかる、ゴキブリって何か、わかる?輪差って何か 

神道と神経回路とキリスト教と仏教

2016年02月01日 09時00分25秒 | 日記
 若い頃神経回路プログラミングに夢中になった事がある。大部分忘れたが大凡次のようなものであった。

入力(刺激)が、あるレベルまでは殆ど無反応(対応する出力がゼロ)で、ある閾値を超えると反応(対応する出力が1になる)する "e"( e = 2.7182818284590452353602874 ・・・・自然対数の底)の指数関数がある。

これを用いて入力から出力を得る数式を仮定する。

これに模範解答付のデータを入力して出て来た結果を模範解答と較べて誤差を見出し、その誤差が縮小するように計算式を微修正する。これを多数の模範解答付きデータによって繰り返して最終的な計算式群を得る。

すると・・・模範解答なしのデータについてほぼ正確な出力を得る事が出来る。

非常に簡単に言えば、車の後進車庫入れなどは運転者の経験とカンでしか行えないがこの計算式を使えば車がどのように進入してどこで後進態勢をとったかでハンドルの切り方や速度を回答する。つまり匠の技を内包する計算式となる。

而してその計算式群に使用される数値群の意味を探ろうとしても何の意味も察知できない。

この対極にあるのが所謂sequencial、つまり論理的な方法なるものである。しかし仮にその方法で後進駐車方式を表現したとしても大凡無限の『場合』に対応は出来ない。


神道とは上記の神経回路に似ている。即ち、『型』を教える。人々は理屈抜きでその『型』を憶える。すると・・・未経験の事態に遭遇しても『正しい型』に沿った反応が出る。

一方、キリスト教はあらゆる物事を『言語化』した。つまりそこから神学なるものが出て来て哲学、数学、自然科学などが派生した。

最近、ユーチューブなどに日本人がその行動様式に於いて・・・例えば東日本大災害時等の・・・信じられない秩序を示すことに外国人が驚いたなどと言う記事を散見する、その理由は何か?教育のせいか? などとコメントされているが『言語化』した道徳律など教え込まれた人々・・・シーケンシャルな行動式しか知らない人々・・・には断じて解らないだろう。同時にまた、あなたは何故そうするか?と問われて日本人もまたはかばかしい回答が出来ないだろう。神経回路式の理解不能の係数群の説明が出来ないように。

ではその神道の『型』の概念は何処から起こっているかと言えば私個人的には旧約聖書の預言書を除く部分の微かな記憶ではないかと考えている。

一方、キリスト教はその初期におそらく『無意識領域の知見や論述』をサタニズムとして排除し、あらゆることを言語化した。それによってキリスト教は『顕在意識』領域での論、つまり『所謂宗教』になった。

かくしてキリスト教世界は 愛、赦し、自己犠牲 などと言いだして世界で起こる未経験且つ微妙な事象に柔軟対応出来なくなり自らの信条と発言によって自分の首を絞めている。

さても愚かな!

では仏教は何か?これは神道と同じ、『無意識領域』のものであるが『ポンプの迎水』に相当する『論』がある。例えば有名な 色即是空 空即是色・・・、且つ論が大量多様である。禅などではその饒舌の果てにさらに『教外別伝』などと言う。その論によって人は『閃く!』。しかしその閃きは無意識領域のものである故に言語化出来ない。よって『すべからく汝の密作用を知るべし』と言われても『先生、密作用て何ですか?』と言うしかないし、問われた方も目をパチパチして見せるとか指を立てて見せるとか『あそこに樹が立っているだろう?』などと言うことしか出来ない。

いずれにしても神道、仏教ともに無意識領域のものであってキリスト教とは全く異なる。おそらくこれが日本人の間に仏教は根着いているのにキリスト教が根着かない理由でもあろう。