夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

園芸

2016年02月26日 17時42分52秒 | 日記
 肥後象眼、肥後椿と言う。先祖代々肥後国に住んで居たから象眼細工職人の血や椿に凝った武家の血が何処かで混ざったかもしれない、どっちも好きだ。以前は車のレストアにはまり、次にギターの修復に凝った。どっちもはまり込むと大金がかかるのでいい加減で撤退したがどうやら最近園芸にはまり始めた。これはそれほどお金がかからないから・・・とは言えあの樹をどうしてここにこの木をと考え始めるのでヤバイ!

 いい歳して木の枝から落ちたなんてのはもの笑いにしかならない。今の所鉢植えで辛抱しているが元々頭がいいので勘どころをすぐに覚えた。・・・土と愛情で綺麗な花は咲く。植物はかけただけの手間にちゃんと応える、ネコのように横着に裏切るような真似はしない。動物園は臭いから嫌いだが植物園はいい香りがするから大好きだ。沖縄の東南植物園は素晴らしかった、また行きたい。

 さて、実はこの花好きは父がそうだった。多分血を引いたのだ。息子が二人居るが私同様若い間はまるっきり無関心だろう。が、どっちかは必ず庭を造ったり鉢植えをやり始めるだろう。兄の方は私の母方の血が濃いようで間違わなければ戦闘機乗りやカーレーサーになったかもしれない・・・つまり放浪癖が冒険(不登校ひきこもりだって考えようによればトンデモナイ冒険だ。這い上がって来たからダメ男でなったのではなくおそらく潜在意識では冒険心だったのだろう)に出た、とても花弄りにはなりそうにない。

 するとどうやら次男の方がはまる可能性がある。これは放浪癖がもろに放浪に出てあちこち旅するのが好きらしいから血は私に近い。ついでに言うと父方叔父達も志願して兵隊になった、しかも陸軍だったからどうやら彷徨うのが好きだったのではないかと思う。

 で、今ある人の言った事が非常に気に成っている。落ち着かない。曰く・・・女の脚に色気を感じ始めたら老境にさしかかったと思え、物言わぬものを相手にし出したら老人、石にはまったらもう終わり。・・・まだ石にははまっていない。だが、鉱石や化石には甚大な興味がある。

外向きの音楽と内向きの音楽

2016年02月26日 12時22分19秒 | 日記
 音楽評論家の中村とうよう氏の話に外向きの音楽と内向きの音楽、と言うのがあるらしい。それを読んだ時に閃いた、『そうだ、自分が探していたのは内向きの音楽なんだ、だからモダンギターにもルネッサンスリュートにも満足しなかったのだ!』

そして実は、今やっているバロック・リュートも怪しいと思う事がある。外向き、とは人に聴かせる音楽、内向きとは自分の為の音楽、或は神おろしの音楽。瞑想が好きだから結局一人で聴きながら、或は次の音は?と考えながら弾くのが理想、するとまず音階のある楽器が選択から外れる。

血が日本人のせいか外国由来の楽器の音にあまり親しみを感じない。すると和楽器になる。和楽器で音階が固定していない楽器となると・・・三味線、三線、一弦琴、八雲(二弦)琴などになろうか。多分最終的には一弦琴を弾くようになるだろう。

愛の鳥かご

2016年02月26日 11時23分54秒 | 日記
 母上様、あなたが亡くなってから30年になります。あなたを想い出す度に哀惜と憎悪の相反する思いに心が乱れ未だに落ち着きません。

後妻の最初の子として産まれ、同じく後妻の長男であったあなたの父親から後妻の息子故に兄たちから苛められて故郷を追い出され朝鮮、台湾と転々としたその鬱屈した思いを、ただ一身に受けて育たなければならなかったその苦痛を僕は今は解ります。

薩摩国川内の川原家はその家紋を見ると遠祖が肥前国松浦党、それなりに名門だった。故にか、我が曾祖父は薩摩国一宮新田八幡宮権宮司の権執印家から妻を迎えたが男子4人を産んだ後に亡くなった。彼女は自分が連れて嫁入って来た下女を、鹿児島弁で『たましきき(魂利き・・しっかり者)』である故に後妻にせよと言い残した。その後妻八重の長男が私の母方祖父、母の父。

どういうわけかその父親は母だけにことさら厳しかった、・・・叔父が言っていた『美知姉はいつも親父に怒鳴られて可哀想だった、学校から帰るといつも、お父さん居る?お父さん居る?、と怖がった』

心理学を少し齧った僕は今なら解る、『子供にとって父親は即ち社会そのもの』。母はこうして『世の中は恐ろしい油断ならないもの』との刷り込みを受けた。また、恐ろしい父親の元を一刻も早く逃げ出したくて若ハゲピーターパンと結婚してしまった。二十歳で!

すぐに男の子が産まれた、それが私、そしてスケベピーターパンによって年子の弟も生まれた。その弟、可愛そうに・・・開放性結核を患っている近所の婆さん見せろ見せろとせがまれて断り切れず見せた。・・・『まあ、かわいい!』とその婆さんは弟の顔を覗き込んだ、結核菌が感染した、それが腸間膜についた、間もなく腸重積で麻酔もかけられず泣く力もないまま手術されて死んだ。・・・母さん、あなたにとってこれが如何に衝撃的であったかは今は解る、・・・『かわいい子供は女の命』って唄にもあるよね。

だからあなたが僕の周りに塁を築き柵を張り巡らし、さながら加護の鳥のように育てたのは解る。でもひよわなヒナのまま僕は七人の敵が居る世間に飛びださなければならなかった。それが如何に困難な人生であったかあなたには解らないだろう。自分の人生を自分で考え試行錯誤する自由をあなたは僕から奪った、いつも何事も、先回りして『僕』ちゃんのためによかれと思って、との動機でレールを敷いた、そのレールを外れることを許さなかった。

・・・今でも忘れない、初めて一緒に喫茶店に行った女性、そのハスキーな声が今でも夜中の入眠幻聴で囁く、あなたはそれを蹴散らした、私の大事な箱庭をひっくり返したのだ。そして自分の気に入った人形を僕の手に握らせた。皮肉なものだ、その人形があなたを僕から引きはがしたのだ。

自分が母の愛(と自分で思い込んでいたが実際は依存と執着)の鳥カゴで育ったことを潜在意識で知っていた私は自分に自信がなかった、男としての自信が・・・。ゼロから自分を築き直さなければならなかった、こうして母さん、僕はあなたの眼には愚かで甚だ心外な生き方をした。

自分だけならまだよかった、その被害はあなたが眼の中に入れても痛くないほど可愛がった僕の長男にも及んだのだ。僕は無から自分を造り直し、それでも自分の前途が見えない苦しみをいつもいつも背負っていた。・・・子供は親の無意識をその生き方で表現する、・・・前途が見えない、まさにそれを彼は実現して人生に絶望して不登校から始まって20年あまりをひきこもりで過ごした。

これらの事を想い出す度に激しい憎悪が湧き上がる。しかしその後すぐに歌が上手で美しかった大柄な姿、私を気遣ってやまなかった姿を想い出して気の毒な一生だったと思う。その母を怒鳴り散らした祖父に憎悪が湧きがるがこれもまた腹違いの兄たちから故郷を追い出された口惜しさを思えば憎めないとも思う。

最後にピーターパンのオヤジに目が向く、妻を身勝手な性欲の対象にしやがって、彼女をカバーする男の甲斐性もないままに長生きしやがって、と。しかしそのDNAを自分が持っていること、息子達にも受け継がれていることに思い当たって粛然とするのです。