三島由紀夫氏を語るなら我が郷里の大先輩、蓮田善明氏についても言及しなければならない。ネット検索すると記載がある。戦争が終わって生きて帰還できる見込みがありながら大東亜戦争の責任の所在に関して発言の上官、連隊長を卑怯者と射殺し、自らも自決した国文学者、何年も前に暗澹たる思いで知った。熊本県植木の出身。
・・・はかなき少年の日 遠きふるさとにありて うるわしかりし桜はなびら・・の詩の一節が忘れられない。
私思う・・賢者ソロモンが言ったように『すべての事に時がある』。そう、日本の今は旧約聖書エゼキエル書に描かれている『我らが望みは潰えたり』とつぶやく枯れた骨、それが神の息吹によって蘇る、あの予告が実現しつつある。
三島由紀夫は絶望していたのか?その自決は日本民族に何らかのインパクトを与えたのか?少なくとも日本建国の神はそれを憶えただろうと思う。我々は決して【自らの力で立ち上がろう】としているのではない、立とうとするのはそこに神の息吹が吹きこまれているのだという事に思いを致して謙遜にならなければならない。
結局、日本再生はそれによって【神の栄光が顕わされる】為に行われる、日本人の栄光ではなく・・。そしてさらに、あのソドムとゴモラの時のようにこれを言う人間が一人でも居れば日本は潰れない。
文士の死は時代を画するものであると、昔何かで読んだ事がある。三島由紀夫の死から程経ずして、川端康成も自殺した。彼はノーベル文学賞授賞式の記念講演で【美しい日本の私】と題して講演した。思うに、この二人の文士の他界までは古き良き日本がまだかろうじて残っていた。我我は小学校で元旦には晴れ着で集まり『歳の初めのためしとて・・・』と歌い、卒業式では『仰げば尊し・・』と歌った。
しかし徐々に日本は正気を失い始めていた。二人は【崩れゆく日本】を見るに堪えなかったのではないか?時期を同じくして、美しい日本語で詩を綴った四季派の詩人たちも退場して行き、日本から純朴と詩情はなくなり河川は汚染、カネカネカネで人の心も汚染の時代になっていった。
宇宙とは法則が姿を現しているものである。法則故に易、占星術、まじない、等々が時に的を射るわけである。その法則に【陰極まって陽となる】がある。民主党政権はその1970年代を境に崩壊が顕著になった日本の【陰極まった】状態ではなかったか?・・私はこの政権、それに加担した人々は外患誘致ではなく外患そのものではなかったか?と思っている。聖書がその預言の中で『これらの王たちの日に(人間による覇権勢力繁栄の時代に)神ひとつの国を建て賜わん』と述べたその日本を朝鮮の属国にすべく目論むシナの意を戴して日本国民をたばかって政権奪取と得意満面になり、シナ朝鮮詣でをやったその行為を神がどう処断なさるか興味津々でその時を待っている。
これはまさに日本の【落ちる処まで落ちた、陰極まった】状態だった。日月神示に言う【息をしている人民は3分になり、地を這いずり回る】時であった。あの政権があのまま続いていたら間違いなく日本は国民が知らない状態で実質は韓国の属領になっていたと思う。しかし、東日本大災害、原発事故によって彼らの目論見は頓挫した。ついでに言えば、この国家転覆政権の主導的人物が東日本出身ではなかったか?阪神淡路の時の総理は西日本出身だった。
あの政権が神が創った国日本を他民族に売り渡そうとしたことを私は忘れない、神も忘れない。神とは宇宙であり、その本質は法則である。法則に例外や情状酌量はない。
2012年冬の選挙で自民が勝った。大峠は何とか越えた。総裁選挙で安倍氏が勝った、ここにも神の手が働いたと思う。あの時石破が勝っていたら今の日本はない。何をどうしていいか解らずキリスト教、その実質はパウロなる人物が僭越にもイエスを慕う人々に差し出口をしたのが始まりである、言って見ればパウロ教の教条主義によるとんでもない博愛グローバリズム日本解体が進んでいただろう。組織は外からは壊しにくい、中から腐って崩れてゆくのだ。我我は今、日本の中、その頭の部分が如何に寄生虫によって侵されているかを見て居る。余命ブログを見れば検察も罹患していた。
面白い事に、例えば『保育園落ちた日本死ね』が山尾シオリとかの発案言辞だということが国民の目に露見した。検察もまた上記の如くその実態が暴露した。次から次に【露見】しつつあるのではないか?こうして毒麦がまごうことなき毒麦と識別がいつか終わる。その終わった時、黙示録は言う【鎌を入れよ、刈り取れ、刈り取って酒樽に入れて踏め!】
・・・はかなき少年の日 遠きふるさとにありて うるわしかりし桜はなびら・・の詩の一節が忘れられない。
私思う・・賢者ソロモンが言ったように『すべての事に時がある』。そう、日本の今は旧約聖書エゼキエル書に描かれている『我らが望みは潰えたり』とつぶやく枯れた骨、それが神の息吹によって蘇る、あの予告が実現しつつある。
三島由紀夫は絶望していたのか?その自決は日本民族に何らかのインパクトを与えたのか?少なくとも日本建国の神はそれを憶えただろうと思う。我々は決して【自らの力で立ち上がろう】としているのではない、立とうとするのはそこに神の息吹が吹きこまれているのだという事に思いを致して謙遜にならなければならない。
結局、日本再生はそれによって【神の栄光が顕わされる】為に行われる、日本人の栄光ではなく・・。そしてさらに、あのソドムとゴモラの時のようにこれを言う人間が一人でも居れば日本は潰れない。
文士の死は時代を画するものであると、昔何かで読んだ事がある。三島由紀夫の死から程経ずして、川端康成も自殺した。彼はノーベル文学賞授賞式の記念講演で【美しい日本の私】と題して講演した。思うに、この二人の文士の他界までは古き良き日本がまだかろうじて残っていた。我我は小学校で元旦には晴れ着で集まり『歳の初めのためしとて・・・』と歌い、卒業式では『仰げば尊し・・』と歌った。
しかし徐々に日本は正気を失い始めていた。二人は【崩れゆく日本】を見るに堪えなかったのではないか?時期を同じくして、美しい日本語で詩を綴った四季派の詩人たちも退場して行き、日本から純朴と詩情はなくなり河川は汚染、カネカネカネで人の心も汚染の時代になっていった。
宇宙とは法則が姿を現しているものである。法則故に易、占星術、まじない、等々が時に的を射るわけである。その法則に【陰極まって陽となる】がある。民主党政権はその1970年代を境に崩壊が顕著になった日本の【陰極まった】状態ではなかったか?・・私はこの政権、それに加担した人々は外患誘致ではなく外患そのものではなかったか?と思っている。聖書がその預言の中で『これらの王たちの日に(人間による覇権勢力繁栄の時代に)神ひとつの国を建て賜わん』と述べたその日本を朝鮮の属国にすべく目論むシナの意を戴して日本国民をたばかって政権奪取と得意満面になり、シナ朝鮮詣でをやったその行為を神がどう処断なさるか興味津々でその時を待っている。
これはまさに日本の【落ちる処まで落ちた、陰極まった】状態だった。日月神示に言う【息をしている人民は3分になり、地を這いずり回る】時であった。あの政権があのまま続いていたら間違いなく日本は国民が知らない状態で実質は韓国の属領になっていたと思う。しかし、東日本大災害、原発事故によって彼らの目論見は頓挫した。ついでに言えば、この国家転覆政権の主導的人物が東日本出身ではなかったか?阪神淡路の時の総理は西日本出身だった。
あの政権が神が創った国日本を他民族に売り渡そうとしたことを私は忘れない、神も忘れない。神とは宇宙であり、その本質は法則である。法則に例外や情状酌量はない。
2012年冬の選挙で自民が勝った。大峠は何とか越えた。総裁選挙で安倍氏が勝った、ここにも神の手が働いたと思う。あの時石破が勝っていたら今の日本はない。何をどうしていいか解らずキリスト教、その実質はパウロなる人物が僭越にもイエスを慕う人々に差し出口をしたのが始まりである、言って見ればパウロ教の教条主義によるとんでもない博愛グローバリズム日本解体が進んでいただろう。組織は外からは壊しにくい、中から腐って崩れてゆくのだ。我我は今、日本の中、その頭の部分が如何に寄生虫によって侵されているかを見て居る。余命ブログを見れば検察も罹患していた。
面白い事に、例えば『保育園落ちた日本死ね』が山尾シオリとかの発案言辞だということが国民の目に露見した。検察もまた上記の如くその実態が暴露した。次から次に【露見】しつつあるのではないか?こうして毒麦がまごうことなき毒麦と識別がいつか終わる。その終わった時、黙示録は言う【鎌を入れよ、刈り取れ、刈り取って酒樽に入れて踏め!】