夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

昨夜の閃き・・・黙示録

2016年12月09日 08時56分47秒 | 日記
 丑三つ時に目覚めて眠れない、起き上がって灯りを点け、することもないままに漫然と黙示録を眺めていた。

 8章10節、『・・・燈火のごとく燃ゆる大いなる星天より隕ち来たり、川の三分の一と水の源泉との上に落ちたり。この星の名はニガヨモギと言う。水の三分の一はニガヨモギとなり水の苦くなりしに因りて多くの人死にたり・・・』が目に留まった。
・・・そうだ、これは共産主義の事だ!!

 11章5節以降に出て来る二人の證人とは第一次と第二次の世界大戦だろうとは以前に閃いてこのブログのどこかに書いた。

 13章に【海より上がる獣】の事が書いてある。その5節に『その頭の一つ傷付けられて死ぬばかりなるを見しが、その死ぬべき傷癒されたれば全地のものこれをあやしみて獣に随えり』の【死ぬべき傷の癒された頭】とは【国際連盟ー国際連合】だろう、と閃いた。国際連盟に死ぬべき傷を与えたのは何者か?・・・日本、大日本帝国である。

 疑問はまたいつもの処に行く・・・17章にある【大いなるバビロン】とは何か?何度も【これだ!】と思いながら暫くするとどうも違う、と思い始めるのだ。
昨夜閃いたのはこうだ・・・それが乗っている獣には七つの頭と十の角がある、即ち時空全域に亘る人類の統治体制の総集編である。同時にそれは【かつて在りしが今在らず、底無き処より昇りて滅びに到る】ものである。黙示録を記録したヨハネはギリシャのパトモス島でこの幻を見た。ギリシャとは直接民主制を取った都市国家である。しかしヨハネの当時は既にローマ帝国に編入されていた。

 こう考えると、【かつて在りしが今在らず】とは直接民主制のことかもしれない。その現代形は言わずと知れた【市民運動】だろう。どこかの国では市民のデモが政治体制をひっくりかえそうとしている。大いなるバビロンを見てヨハネは訝った・・・『これは、イエス・キリストの母マリアではないか?!』・・・カトリック教会を見給え、マリアの像がある。あるカトリック信者に言わせればカトリックとはマリア崇拝である、と。すると、これはその昔のニムロデの母セミラミス崇拝、さらにその先に地母神崇拝があるだろう。

 ルネッサンス以降、西欧諸国に絶大な力を齎し、世界制覇を可能にしたのはキリスト教由来の教養ではなかったか?そしてそれは今でも存続し、キリスト教世界が世界の富の大部分を掌握している。しかし格差拡大に対する憤懣に動かされた市民運動が突然、西欧の経済態勢を打倒する時が来るかもしれない。黙示録はこの大いなるバビロンを【都市】であると記述しているがバチカンのことかもしれない。つまりそれに代表されるキリスト教由来の文明も経済も一度に覆される、覆されて現在繁栄を誇っている西欧とアメリカが【蠢く市民の混沌のるつぼ】と化すかもしれない。

 その時!、或は特亜3国が『絶好のチャンス』と怒涛のように日本に押し寄せるかもしれない。・・・日本は孤立無援でこれに対処しなければならないが、慌てふためいてはならない、この時こそ、日本が神によって建てられた国であることが万人の目に明らかになる時である。