夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

最近の高校生の制服

2016年12月18日 16時20分50秒 | 日記
 最近の高校生の制服、特に女子高校生の。

 人生で最も初々しく姿美しい・・鬼も十八何とやら・・、その時の衣服に【清楚さ】を見なくなった。それで自分が惜しくないのかな?
 楡の若葉に風薫る・・・、大連第一高等女学校の歌詞を見て居ると、清楚で美しかったであろう少女達の姿が彷彿する。台北第二高等女学校は、・・天津日高照る・・じゃなかったかな?ねえ母上様?


 男子高校生のブレザー、昔一緒に仕事したゴロツキオヤジが言った、【バカガッコにあげんとが多かな】真冬の詰襟のカラーの冷たかったこと!大学教育学部を出たばかりの担任の先生が仰った・・セビロはズンダレた感じでなじめなかった。

 詰襟に兵科のマークの付いた旧陸軍軍服、ステンカラーの陸軍幼年学校制服、予科練の制服、カッコよかったね。

 従軍看護婦、・・火ずつの響き遠ざかる、そこ吹く風は生臭く・・・品と威厳があった。
 

汚染

2016年12月18日 11時36分42秒 | 日記
 1967年に社会に出た。猛烈に忙しく頭は明日解決しなければならない事やトラブルの処理で満杯になっていた。そして1978年、突然チキンレースをしくじったように会社倒産がけ下転落人生となった。

 それから生きる事に精一杯で世間を見る余裕もなく生きた。綱渡り人生を終わって日本再生関連サイトを見る。そこにはかつて憧れを持って遠望した大学に、自分などはとてもそこには値しないと思ったような組織に、汚らしい朝鮮人の名をおびただしく見る。

 生きることに精一杯で走り続けている間にこんなことになってしまっていたのか?!知らなかった、何も知らなかった、知らなかったのはオマエの無責任だ、おまえがボケナスだったのだ、と言われれば弁解の余地はなかろう。しかし報道では全く見えなかった。

 でも感じていはいた・・・何かがオカシクなりつつあるのではないか?日本のあらゆる面で品位が下がり、屁理屈がまかりとおる、何より【物事の道理】を弁えぬ者共が増えた!と感じていた。

 これらの寄生虫が食い込むに任せたのは誰だ!その毒に冒された者共がまた毒をまき散らした、その感染者は誰だ。叔父達が、大伯父達が命に懸けて護ろうとした国を汚らしい穢らわしい者共や思想に汚染されるがままに放置或は画策した者共を我らが神見逃さないで戴きたい。


願わくは我が頼りとする聖書の神、日本神界の神々、【穢れ】を除き、我が民族我が国を【浄く高貴に】戻したまえ。


注:聖書の神と日本神界の神々との同一性について私見・・・
 日本で神社に祀られている神々は(表現が適切でないが)何かの個体ではない。日本人は【働き、乃至は顕現】に名前をつけて神としている。田舎の道端の祠は知らないが由緒格式正しい神宮神社の幕の内側に祀られているのは【鏡】であるはずだ。

 モーセを通じて十戒が与えられた時、シナイ山は密雲に覆われ、稲光、雷鳴で人々は怖じ戦いた。・・・【神を見てなお生きているものは居ない】と言われていたからだ。その恐懼の記憶が【鏡】であり、密雲雷鳴が【注連縄】、(この解釈はどこかのサイトの受け売り)そして察するに神社に備えてある大きな太鼓は雷鳴の記憶であろう。

イエス・キリストが言った奥の間とは

2016年12月18日 10時48分38秒 | 日記
 どこにあったか度忘れして探すがまだ探し当てない、確か終末の時に際して世界には【自分がキリストである】・・『つまり人類の救済はこのようになる』と論ずる人々、論調がそこここに現われる。しかしどれをも信じてはならない。『あなたは奥の間に入り後ろで戸を閉じなさい』とイエスさんが言っていたと記憶している。

 最近ある事で非常な衝撃を受けて自分の行いは間違っていた、日本再生は人類世界大立替の一環であってそれは【神の権限】の裡にある、人間が仮に正しい動機であっても手を出すことではない、・・・もう少し判り易く言おうか、最近皇室についてとやかく論う記事が散見されるが皇室は神が選んで立て、維持しておられるのであって人間的な観点からそれを評価して云々することは神の領域を侵すことである・・・解るだろう?

 そのような考えから日本再生に関わる記事閲覧、コメントから一切退いて行こうと考えた。しかしある者が言う、【奥の間】とは言い争いをしたり無暗に悩んだりせず気を丹田に鎮めよ、と言う意味にも取れるのではないか?と。なるほど!

 そこで閃いた・・・
 マタイ伝6章にはこのように書いてある。『あなたは祈る時、自分の部屋に入り、戸を閉じて、隠れた所においでになるあなたの父に祈りなさい。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。……』

 また詩篇27章にはこのように書いてある。「あなたは仰せられました、『わが顔をたずね求めよ』と。あなたにむかって、わたしの心は言います、『主よ、わたしはみ顔をたずね求めます』と。み顔をわたしに隠さないでください。怒ってあなたのしもべを退けないでください。あなたはわたしの助けです。わが救の神よ、わたしを追い出し、わたしを捨てないでください。」

 つまり外界に心を捉われて惑わされるのではなく、神から眼を逸らさないように生きよ、と言う事だろうと考えた。