我々の住む世界は宇宙をも含めて【法則が姿を現した】ものだと考えている。しかしその法則なるものは中々判りにくい。キリスト教哲学・・という言葉があるかどうかは知らないが、現代世界を構築し牽引している学問の体系の始まり・・・はその法則を何とか見出そうとの探究だったと思う。
だからそこから幾何学・・その大家であるデカルトは哲学者でもあった、数学、物理学、化学はじめ多種多様の学問、自然科学が派生した。それらが現代のわれわれに多大の恩恵を齎している。
凡人たる我々に最も分かりやすい法則は多分重力の法則だろう。是に逆らうとその法則に【妬まれて】墜落する。【我は妬む神である】とはそういう意味である。
そして・・最も分かりにくいのが人間が構成する集団、社会に作用する法則だろうと思う。その法則に逆らうと法則の妬みを受ける、別の言い方をすれば人類は破滅することを神は知って居た。
しかしそれは複雑で岐路に岐路あり、で解説出来ない。体感して体得する以外にない。その為に旧約聖書の出エジプト記、以下ヨブ記までの書籍があったと思う。
これらを経てその集大成の慨嘆ともいうべきものが詩編から雅歌であったろう。その後のイザヤ書からマラキ書はイスラエル民族の衰亡と復活の予告である。
日本人であるあなたが試しにレビ記や民数記を読んでみられよ、或はサムエル前書、後書、列王記など拾い読みして見られよ、ピンと来るから。つまり日本人が先祖代々守って来た一種の掟、行動原理みたいなものへの親和性を見るから。
新約聖書の四福音書はイエス・キリストの事績を記録したものである。我々一人一人が個人的にそこから宇宙の法則なる行動原理、思考様式を察知洞察しなければならない。その後に続くパウロなる人物の書簡は神と人との間に割り込んでよからぬ差し出口をした悪魔の差し金である。
世界に多くの害悪をまき散らしたキリスト教会なるものはこのパウロなる【神の言葉に余計なものを着けたした者】の【事ごとに議を言う屁理屈の体系である。】さらにこれをもっと悪くしたのがマルチン・ルーテルに始まるプロテスタント教会だと思っている。
カルヴィンなる神学坊主のキリスト教綱要なるものを読んでウンザリした。イエスさんの【明日の事を思い煩うなかれ・・・天の父はあなたがたがこれらのものを必要としていることを知っておられるのです】と言うほんの数行の言葉よりも力を持たない。
最後が黙示録である。人類史の大立替の始まりと終結を幻視させられた記録である。幻視であるから文面をそのまま考えると判らなくなる。ではどうのようにすれば解るのか?
神の王国、つまり人類社会創造の神が想定設計した有様を見たい、それに与りたい、との熱意に対して閃きを以て解釈が示される。その事を予告した文言がダニエル書にある、曰く『ダニエルよ往け此のことばは終極の時まで秘し且つ封じおかるべし、衆多のもの浄められ潔くせられ試みられん、されど悪しき者は悪しき事を行わん、悪しき者は一人も悟ることなかるべし、されど暁きものはさとるべし・・・汝は安息に入り日の終わりに至りて汝の分を享けん』(ダニエル書12章9節~)
人類社会に作用する法則が判りにくいから旧約聖書に多くの事績実例が記録されているわけであるがかつて現われた最も賢い人と言われるソロモン王は次のように言っている。・・『事の全体の帰するところを聴くべし、曰く【神を畏れその戒めを守れ是は総ての人の本文たり】神は総ての行為(わざ)ならびにすべての隠れたることを善悪ともに裁きたまうなり(ここに法則性が暗示されている)』伝道の書12章13節
神道はこれを何と言ったか?・・・【神ながらの道】と言った。仏教はどうか?・・【放下、何事も放てば満つる】と言った。
だからそこから幾何学・・その大家であるデカルトは哲学者でもあった、数学、物理学、化学はじめ多種多様の学問、自然科学が派生した。それらが現代のわれわれに多大の恩恵を齎している。
凡人たる我々に最も分かりやすい法則は多分重力の法則だろう。是に逆らうとその法則に【妬まれて】墜落する。【我は妬む神である】とはそういう意味である。
そして・・最も分かりにくいのが人間が構成する集団、社会に作用する法則だろうと思う。その法則に逆らうと法則の妬みを受ける、別の言い方をすれば人類は破滅することを神は知って居た。
しかしそれは複雑で岐路に岐路あり、で解説出来ない。体感して体得する以外にない。その為に旧約聖書の出エジプト記、以下ヨブ記までの書籍があったと思う。
これらを経てその集大成の慨嘆ともいうべきものが詩編から雅歌であったろう。その後のイザヤ書からマラキ書はイスラエル民族の衰亡と復活の予告である。
日本人であるあなたが試しにレビ記や民数記を読んでみられよ、或はサムエル前書、後書、列王記など拾い読みして見られよ、ピンと来るから。つまり日本人が先祖代々守って来た一種の掟、行動原理みたいなものへの親和性を見るから。
新約聖書の四福音書はイエス・キリストの事績を記録したものである。我々一人一人が個人的にそこから宇宙の法則なる行動原理、思考様式を察知洞察しなければならない。その後に続くパウロなる人物の書簡は神と人との間に割り込んでよからぬ差し出口をした悪魔の差し金である。
世界に多くの害悪をまき散らしたキリスト教会なるものはこのパウロなる【神の言葉に余計なものを着けたした者】の【事ごとに議を言う屁理屈の体系である。】さらにこれをもっと悪くしたのがマルチン・ルーテルに始まるプロテスタント教会だと思っている。
カルヴィンなる神学坊主のキリスト教綱要なるものを読んでウンザリした。イエスさんの【明日の事を思い煩うなかれ・・・天の父はあなたがたがこれらのものを必要としていることを知っておられるのです】と言うほんの数行の言葉よりも力を持たない。
最後が黙示録である。人類史の大立替の始まりと終結を幻視させられた記録である。幻視であるから文面をそのまま考えると判らなくなる。ではどうのようにすれば解るのか?
神の王国、つまり人類社会創造の神が想定設計した有様を見たい、それに与りたい、との熱意に対して閃きを以て解釈が示される。その事を予告した文言がダニエル書にある、曰く『ダニエルよ往け此のことばは終極の時まで秘し且つ封じおかるべし、衆多のもの浄められ潔くせられ試みられん、されど悪しき者は悪しき事を行わん、悪しき者は一人も悟ることなかるべし、されど暁きものはさとるべし・・・汝は安息に入り日の終わりに至りて汝の分を享けん』(ダニエル書12章9節~)
人類社会に作用する法則が判りにくいから旧約聖書に多くの事績実例が記録されているわけであるがかつて現われた最も賢い人と言われるソロモン王は次のように言っている。・・『事の全体の帰するところを聴くべし、曰く【神を畏れその戒めを守れ是は総ての人の本文たり】神は総ての行為(わざ)ならびにすべての隠れたることを善悪ともに裁きたまうなり(ここに法則性が暗示されている)』伝道の書12章13節
神道はこれを何と言ったか?・・・【神ながらの道】と言った。仏教はどうか?・・【放下、何事も放てば満つる】と言った。