人は死んだら生きている時の事をまざまざと見せられ、冷汗三斗の想いをしたり報いを受けたりする、或は生きている時に苦労があっても死後はその逆を体験する・・・とかなんとか言う、所謂・・・『だから苦しくても諦めなさい』とか『じたばたするな』、とか要するに【教訓とか修養の類】の記事をネット上で見る。
そういう記事を書く人は死んだことがあるのだろうか? 実体験に依らない単なる【思考実験】で言っているだけではないのか?
私自身は自分の人生に起こった事は【自分の未熟さ故と先祖以来世の中に重ねた業払いであった、だから余り恵まれた一生ではなかったが息子達が立派に社会人になったと言うだけで有難かった】と思っているが、それを人に教訓として言おうなどとはつゆ思わない。人がどう考えるか、自分の一生をどう捉えるかは人の勝手であって他人が方向付けするのは僭越であろう。
実体験もしない世界の話をさもありがちに話すなどと言う事は理科系人間として出来る事ではない。
この世界にまずまず生きてどうにか人並に生きているから幸運ではあろう。だからと言ってどんな理不尽な事柄についても寛容であれ、などとは無礼千万、私はそんなお人よしではない。むしろケチで利己的な人間である。これが本音だ。他人の仏心に期待するほどいじましい事はない。