夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

恐れるものが来る

2012年12月28日 09時09分13秒 | 日記
 潜在意識にあるものが現象化しているのがこの世界である。とりわけ暗い想念は遠からず実現する。それはその人の人格の基本的な部分を構成している。
 例えば”不安”と言う概念だが、物心着いた時から家庭の雰囲気が尖った冷たいものであり、父親が己の苛立ちの発散を子供にぶつける、子供に八つ当たり、怒鳴り散らす、とする・・・。するとその子の基本的人格の一部に”不安”が織り込まれ、長ずるに及んであらゆる事象が不安と不確実に彩られて立ち現れる。
 全てが自分を攻撃してくるような相貌を帯びる。世間に出れば人からアラ探しされたりするのではないか、と、ことさらに防御本能が働く、或いはその逆説として尊大になって人を近付けなくなる。或いはまた貧乏になるのではないかと極端に心配し、爪に火灯すような生活をする、要は縮こまって生きる。子供を持てばその子の破滅を恐れ破滅の種類を考えてしきりに予防線を張る、ビョーキで死にはせぬか、と心配し、その恐怖が現実化して子供は頻繁に病気になる、子供の友達がみんな不良に見える、新興宗教で破滅するんではないか、とか女で身を持ち崩すのではないか、などと疑心暗鬼のオンパレードになる。
 そしてその強い不安は必ず現実化する。ナポレオン・ヒル氏言う通りである。しかし物心つく頃から暖かく幸せでノーテンキな家庭で育った子供は不安とは何か?さえわからない。だからその子の人生に不安の現実化と言うようなものは起こらない。

 何を言いたいかお分かりか??国の借金1000兆円、国民ひとりあたりに直せば数百万円、などとここごとしく不安を煽る、デフレだデフレだ、このまま行けば日本は没落する、だとか・・・要するに国民に不安の種を蒔き、煽り、縮こまらせる”報道”は百害あって一利なし、なのだ。一億国民の心底に同じ思いがあればそれは必ず現象化する。
 笑う門には福来る、と古人は言った。非常に深遠な真理を実に分かり易く言っている。ウソだと思うなら周囲を見てみたまえ、明るく朗らかな人に不幸に生きている人はいない。カネモチ喧嘩せず、と言うではないか。喧嘩しないからカネモチになるのだ。一方、何なに反対、と事あるごとに反対運動をする、デモる人々の顔を穴のあくほど見て見たまえ、辛気臭いから。
 何にしろ”臭い”のはダメだ。オジン臭い、ウソ臭い、辛気臭い、口が臭い、アブラ臭い、ウサン臭い・・・手前味噌でどんなに崇高な主義主張であってもその現れが”臭い”であればそれはこの三次元地上世界の場の力学では否定的に現実となる。
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