高名な心理学者に”甘えの構造”と言う著書がある。日本人の精神構造は”甘え”である。
国の姿、国家のたどる運命は国民、民族の総合無意識の現象化である。大東亜戦争敗戦に至る過程もまた国民全部の総合無意識が”不安を前提に”、”やけっぱち”の戦争を始めたことにある。無論そうなるようにアングロ・サクソンの老獪な策略に引っかかったのだが。
”勝った勝ったまた勝った”とちょうちん行列した連中が一夜明けると敗戦を”お上の”、”お国の”或いは”軍人の”責任と言い做し、あたかも自分は哀れな被害者面する、この卑劣な百姓根性を直さない限り日本は本当に立ち直らない。百姓根性と言う言い方に異論があるか?あるなら七人の侍を見たまえ、そこに現われているよ。
何でも、よくないことは政府の責任、役人の責任、カネモチの責任、と言う貧乏根性を捨てなければ日本は真に豊かにはなれない。労も苦も貧も、ともかく”全て自分の境遇は自分自身の責任、自分で思い描いている通りの人生”と悟らなければ前には進まない。
ケネディ大統領は”国家があなたに何をしてくれるか、ではなくあなたが国家に何をできるかを考えよ”と言った。”票(=カネ)”が目の前にぶら下がって汲々とする日本の政治関与者には言えないことだろうな。自分の国のことを”人ごと”のように斜に眺め、ケチを付ける、おちょくる、批判する、こき下ろす、・・・報道はほとんど全てそうだな・・・そこから如何なる積極的建設的なものも”現象化”しない。
今、日本に必要なことは”甘えからの卒業”である。原発からの卒業ではない。国家と言う神輿を自分も担がなければならないとの覚悟である。現実を見据えて、苦いは苦いでその苦さを徹底的に味わう、悔しかったらその悔しさを心底味わう、そこから立ち上がろうとの覚悟が未だ定まらない。いつまで甘えているのかね。いつまでエエカッコするのかね報道諸君。
国の姿、国家のたどる運命は国民、民族の総合無意識の現象化である。大東亜戦争敗戦に至る過程もまた国民全部の総合無意識が”不安を前提に”、”やけっぱち”の戦争を始めたことにある。無論そうなるようにアングロ・サクソンの老獪な策略に引っかかったのだが。
”勝った勝ったまた勝った”とちょうちん行列した連中が一夜明けると敗戦を”お上の”、”お国の”或いは”軍人の”責任と言い做し、あたかも自分は哀れな被害者面する、この卑劣な百姓根性を直さない限り日本は本当に立ち直らない。百姓根性と言う言い方に異論があるか?あるなら七人の侍を見たまえ、そこに現われているよ。
何でも、よくないことは政府の責任、役人の責任、カネモチの責任、と言う貧乏根性を捨てなければ日本は真に豊かにはなれない。労も苦も貧も、ともかく”全て自分の境遇は自分自身の責任、自分で思い描いている通りの人生”と悟らなければ前には進まない。
ケネディ大統領は”国家があなたに何をしてくれるか、ではなくあなたが国家に何をできるかを考えよ”と言った。”票(=カネ)”が目の前にぶら下がって汲々とする日本の政治関与者には言えないことだろうな。自分の国のことを”人ごと”のように斜に眺め、ケチを付ける、おちょくる、批判する、こき下ろす、・・・報道はほとんど全てそうだな・・・そこから如何なる積極的建設的なものも”現象化”しない。
今、日本に必要なことは”甘えからの卒業”である。原発からの卒業ではない。国家と言う神輿を自分も担がなければならないとの覚悟である。現実を見据えて、苦いは苦いでその苦さを徹底的に味わう、悔しかったらその悔しさを心底味わう、そこから立ち上がろうとの覚悟が未だ定まらない。いつまで甘えているのかね。いつまでエエカッコするのかね報道諸君。
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