夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

公・・・おおやけ

2012年11月15日 08時20分17秒 | 日記
 ルバング島から帰還した小野田寛郎氏が空港で話された言葉に『公(おおやけ)の事柄』と言う一節があった。長く忘れられていた言葉である。
 しかし、歴史を振り返れば、いつの時代も日本人は官民あげて『おおやけ』を最重要にして生きた。そこから明治以降、敗戦後の発展、そして現在がある。世界が賞賛する節度も美も、その根底に一般大衆の『公』を大事にする思いがある。煎じ詰めれば日本人は『個』ではなく『公』に生きた。その過程でにじみ出る『美』を自分の美学として生きてきた。最たるものは神風特別攻撃であろうか。知覧の記念館に行って涙する、或いは子供が生長した時、そこの連れて行く父親も居る。結局『己を虚しくして公に尽くす』ことを美とする心が日本人の中に生きているのだ。
 しかしこれを強要するとそこからいびつな精神が生まれる。おそらくこの”羹に懲りてナマスを吹いて喰う”愚劣に陥ったのが戦後教育であろう。
・・・そしてその最も下らない結果が”国民の生活が第一”と言うキャッチフレーズであろう。情けないことにこれにまんまと引っかかったバカ国民が多数居た。衆議院が解散になった。次の選挙で私は北海道、岩手の民度をじっと見ていよう。なんとかガールズやなんとかチルドレン、がまた国政に出るようになるのか、大局を見ず小不満を論うどこかの国に似た論調に賛同するものが多いか否か・・・などを見よう。

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