要は『怠けて暮らしたい(見回してみるとどうやら出来そうな感じだ)』の本音をキレイゴトに言い成しているだけじゃないのか?
この世で生きる為にはカネが必要、カネを得るには社会なるものの歯車になって不本意でも回らなければならない・・あのねずみのようだな・・・。
その仕組みを作り、牛耳っているものの存在がどうやら明らかになりつつある。
現代の常識、つまりガッコーなる処を出て就活なるものをしてカイシャや組織なるものに属して明日のカネの為に今日一日を切り売りする、ような方式でなければ地上に生存出来ないとの刷り込みは誰かが作ったのだ。そうでなくても人々が生きて生活出来ていた時代があった。鳥獣戯画は鳥羽僧正がカネのために描いたのではない、アソビで描いた、だから面白いのだ。
それを考えれば確かに『働いたら負け・・その悪賢い存在に敗けたことになる』は当たっている。でもそう言って意地を張り己を主張する事には嫌悪を感じる。【そのようなケッコーなゴタクを並べていられない人々】の方が圧倒的に多い。そういう人々をおちょくっているだけではないか。だから理屈は解らぬでもないが感情的には嫌いである。町内会で道路の清掃をやっているのをよそ眼に着飾って遊びに行く不届きものに似ている。こんなのが仲間を置いて敵前逃亡するのだろう、利己主義。
・・・もうこうなっては仕方がなか、私の命をおはんたちにあげよう。(西郷隆盛)
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