つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

「岐阜県歌壇史」と「鮫の体温」の出版祝賀会

2025-03-23 | 短歌
 昨日はようやく春らしくなり暖かい一日でした。JR岐阜駅に近いじゅうろくプラザのレストランで「岐阜県歌壇史」と「鮫の体温」の出版祝賀会が開催されましたので、出席しました。著者の小塩氏と後藤さんからも著書を頂いたり買い求めているからです。桐山岐阜県歌人クラブ会長の挨拶から始まりました。美味しいランチを頂きながら、二誌の高評や花束贈呈が終わりかけたころ、誰かが床で滑り転倒し動けなくなり、救急車を呼ぶ事態になりました。高齢者ばかりですからありうることです。痛いという女性の悲鳴もあり、一瞬緊張したのですが、すぐ担架で運ばれました。後から聞くと、骨折のようでした。
 偶然前の席に高山から来られた横山さんが座っておられました。彼女からは歌集「ひかりの梯子」を贈呈されブログにも記録しています。(2023.12.10) 初対面ですが話が弾みました。高山は大雪だったようです。小塩氏のお話もよかったし、実のある祝賀会でした。尚、「岐阜県歌壇史」は、2024.10.24に、「鮫の体温」は、2024.12.7のブログに書いています。



歌人クラブ会長桐山先生の挨拶から






右が横山さん、中央は小塩氏

小塩氏の挨拶


花束贈呈
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公民館短歌会 206

2025-03-22 | 短歌
 昨日もまだまだ寒い日でしたが、岐南町南町民センターでの短歌会を開催しました。これまで県歌人クラブ紙には月見草会員の作品は掲載されることはなかったのですが、初めて出ました。クラブ紙の編集者の選ぶ歌も見てほしいのでコピーして配布しました。このクラブ紙の歴史もかなりあります。30年前、兵庫県歌人クラブにも籍をおいたことがありますが、機関紙を見た記憶はありません。岐阜は戦後紙が不足していた時代を除いて、順調に出されてると思います。
今月の歌
「月見草」短歌小冊子十一冊十一年の吾の歩み詠む  Kさん

月見草は、二重カギカッコで囲むべきですが、このパソコンにその機能がありません。Kさんは途中入会のため11冊となりました。古参の3人は20冊。


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杜若

2025-03-21 | 文化
 「杜若」こう書いて「かきつばた」と読みます。昨日夫は岐阜市文化センターの能の舞台に2年ぶりに立ちました。もう87歳ですから恐らく最後になるかと思います。何とか無事「杜若」が終わりほっとしています。これを演ずるには、謡、鼓、小太鼓とか多くの脇役の方の協力が要ります。能面と衣装は借ります。これまでに、敦盛と羽衣を演じてきました。杜若の精になり、小面(こおもて) という能面をかむります。物語の舞台は三河の八橋。この歴史ある名所には毎年シーズンには多くの人が訪れます。
 知り合いにも来ていただき、中には高校の同級生のMさんも。彼女のお孫さんは、世界的ピアニストの亀井聖矢くんです。感心したのは、奥様と共に高校生の娘さんを連れてこられたKさんのこと。放送大学の友人のKさんは、日本の伝統芸能を若いうちに見せたかったようです。私が最初に能を見たのは、岐阜大付属中から団体で、岐阜市公会堂で、でした。(今は岐阜市民会館)。妹は付属中にクジで外れて行けなかったです。従って一生能は見ていないようです。
 胡蝶蘭の鉢植えまでいただき恐縮してしまいました。





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財務省が増税する理由

2025-03-18 | Weblog
北野幸伯氏のメルマガより
★財務省が増税したがる本当の理由

全世界の裏RPE読者の皆様、こんにちは!

北野です。

すでに100回ぐらい書いています。

「暗黒の30年の真因」が、「財務省に操られた総理が、タイミングの悪い増税を繰り返してきたから」であること、皆さん理解されているでしょう。

総理が財務省のいうことを聞いて増税するのは、「経済音痴だから」と説明すれば、皆さん「あ~なるほど」とすぐ納得できるでしょう。

では、なぜ財務省は、いつも増税を志向するのでしょうか?

彼らは「増税したら景気が悪くなること」がわからないのでしょうか?

元財務官僚の高橋洋一先生は、「財務官僚は、東大【 法学部 】出身が多いので、実は経済、財政については何もわからない」といいます。

そうなのかもしれません。

私は、財務省の人たちは、「増税したら景気が悪くなること」がわからないのではなく、「考えもしない」のだと思います。

どういうことでしょうか?

はっきりいえば、「景気をよくする」のは「財務省の仕事ではない」ので、「関係ない」のです。

『現代ビジネス』1月28日付に、
『増税したら偉くなれる…!? 財務省の官僚たちの、知られざる「出世の階段」を完全図解する』

という記事がありました。

引用してみましょう。

〈財務省には毎年20人程度がキャリア官僚として入省するが、事務次官に就けるのは通常、同期で1人だけ。〉

事務次官になれるのは、20分の1の確率。

出世競争で、同期19人に勝たなければならない。

過酷です。

そして、入省すると厳しい時代が待っています。

〈13~15年目の課長補佐時代までは昼夜を問わず下働きを強いられ、能力を評価される。〉

この記事が本当なら、「ブラック企業並みの労働環境」ということでしょうか。
〈その後の王道はやはり主計局畑で、主計局主査、主計局主計官と上り詰めるのが典型的。
各省庁が提出した予算要求の査定のまとめ役となる主計官ポストは9席しかなく、ここで同期の多くがふるい落とされる。〉
ーー
嗚呼、20人のうち11人が出世競争から脱落しました。

〈次官を目指すには、省内人事とOBの天下り先を差配する秘書課長、官邸・国会対策の要となる文書課長、政府の経済財政政策などに対応する総合政策課長の「官房三課長」のいずれかを経験するのも必須。
その後は首相秘書官などを経ながら、3人しかいない主計局次長に就くのが常道だ。〉

9人が3人になりました。

さらに勝ち抜いて、ゴール・次官になるためには、何が必要なのでしょうか?

ここから一番重要なポイントです。

〈増税に貢献したかどうかも大きなポイントだ。〉

〈増税に貢献したかどうかも大きなポイントだ。〉

〈増税に貢献したかどうかも大きなポイントだ。〉
ーー
重要なので、3回繰り返させていただきました。

「出世したければ、増税せよ!」

言葉を変えれば、

「出世したければ、【 もっと国民から金を奪え】!」

「出世したければ、【 もっと国民の手取りを減らせ】!」

「出世したければ、【 もっと国民を貧しくしろ!】」

ともいえるでしょう。

これ、ホントでしょうか?

東大出身のスーパーエリート官僚が、そんな「国民いじめ」を考えるでしょうか?

信じられますか?

そこで、記事の筆者は、実例を出しています。

〈前次官の茶谷栄治氏は、主計官だった2011年、東日本大震災の復興財源確保をめぐって所得税を2.1%上乗せしたり、住民税を10年間1人あたり1000円ずつ増やしたりと「広く薄く」増税を主導。

現次官の新川浩嗣氏は厚生労働担当の主計官時代、消費税率10%への引き上げに道筋を付ける社会保障と税の一体改革に貢献した。

いずれも財務省の「歴史に残る勝利」で、省内では両氏の次官就任は確実視されていた。〉

前次官も現次官も、【 増税に成功した 】=財務省の【 歴史に残る勝利! 】を実現したので、次官になれたそうです。

〈新川氏の後継には、やはり厚労担当の主計官経験者で、旧民主党・野田佳彦政権の官房長官秘書官として官邸・政界工作に汗をかいた宇波弘貴氏の名前が挙がる。〉

野田佳彦(★現立憲民主党代表)政権といえば、「消費税率を5%から10%に【 倍増する 】三党合意」を実現させたことで知られています。

その裏に官邸工作、政界工作に「汗をかいた」財務官僚がいたのですね。

その人が次期次官になる可能性が高いそうです。

〈物価高に苦しむ国民をよそに、熾烈な競争を勝ち残るには、やはり「増税」が一番の切り札となるようだ。〉

どうですか、皆さん?

「増税をすれば、景気が悪くなるじゃないか!

暗黒時代がつづくじゃないか!

東大出身の優秀な官僚がそんなこともわからないのか

「わからない」というより、「考えない」し、「考える必要もない」ということでしょう。

彼らは、出世ゲームをしている。

エントリーするのは20人で、次官になって勝利できるのは一人だけ。

そして、勝利するためには、【 増税すること 】が必須なのです。

そういう過酷なゲームをしている人たちが、「いや待てよ。増税したら国民生活が厳しくなるのではないか?」と考えるでしょうか?

増税が繰り返されてきた事実をみればわかるように、全然考えないのでしょう。

それはともかく、彼らの出世のために、国民生活がどんどん破壊されている状況を変えなければなりません。
道は二つです。

財務省に操られている、「石破大増税自民党」を参議院選で敗北させ、「反増税派」の高市さんに総理になっていただくこと。

「手取りを増やす」=「減税派」の国民民主党を参議院選挙で勝たせることです。

財務省支配がつづいていけば、日本の暗黒時代は40年、50年、60年と延長されていきます。

1988年世界2位だった一人当たりGDPは、2024年39位まで落ちました。
財務省支配がつづけば、40位、50位、60位と落ちていくのは、確実です。

皆さん、財務官僚の私利私欲が作り出した「暗黒時代」を終わらせましょう!

世界情勢をもっと深く知りたい、社長さん、起業家さん、投資家さん、ビジネスパーソンの皆さん、政治家さん、未来のリーダーさん、

「パワーゲーム」に参加してください。

詳細は↓
https://in.powergame.jp/k

写真は亡くなられたブロ友から贈られたクリスマスローズ


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ヒメトレ体操・庭師

2025-03-16 | 講演会
 昨日は今年度最後のヒメトレ体操に出ました。足のふくらはぎが、心臓と関連しているとは知らなかったです。ここを鍛えることは、心臓のポンプを滑らかに動かすことと関係しているようで、椅子に座りながらのトレーニングを教わりました。これで、激しい運動をしなくてもふくらはぎが鍛えられるそうです。
 先週から庭師さんが4人、雨天以外は剪定して頂いています。以前は年末でしたが、昨年から年明けになってしまいました。帰省してから30年。この間に数人が亡くなられ、今の庭師さんはお寺に紹介して頂いた人達で、腕は最高です。でも支払いがウン十万円かかります。木の処分代もバカにならないのです。
写真は剪定のすんだ梅。


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自殺

2025-03-13 | 学校
 先日の英会話は、楽しみな余談から。まず自殺のこと。先進国の中で日本の自殺がトップとか。そして何故か男性の方が多いとか。生徒の中には詳しい人がいて、韓国も負けず劣らず自殺が多いとか・・・精神科医のエランガ先生に言わせると、30分熟考し、一晩寝ると解決するとか。要するに鬱になる人は暇だからだそうです。忙しくしたら鬱とは無縁になると言う考えです。もっとなことと思います。先生の母国スリランカの宗教は大乗仏教ですが、日本では岐阜の正眼寺が最も近いらしくてよく行かれているようです。ご子息のサチン君は、10代で、正眼寺で禅の修業をさせたと言われ、一同驚きました。
写真は我家のしだれ梅


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音楽療法 28

2025-03-12 | わが家
 昨日は、濱島先生を迎えてのバイオリンコンサート。雨の中来ていただきました。最初にベートーベンの春をお願いしました。この時期限定ですので。3/11 昨日は東日本震災の日。2011年のあの日からもう14年も経ちました。「花は咲く」を皆の希望もあり、頼みました。あちこちでリクエストも多いらしく、何度も演奏されているようです。次は、葉加瀬太郎の情熱大陸。続いて以前にもお願いした、大好きなシューベルトのセレナード。何度聴いてもよいものです。感謝の半日でした。4月には銀行のオープニングコンサートなど二つの公演もあるようですが、大垣市のものもあり、残念ながら参加は難しいです。





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学制 2

2025-03-11 | Weblog
■4.国民平等、国民皆教育

花子: 江戸時代にそんなに教育が普及していたとは知りませんでした。その江戸時代の教育水準をベースに、明治政府は「学制」でさらにどんな教育を目指したんですか?

伊勢: その根本の方針が、「一般の人民(華族、士族、農工商、および婦女子)、必ず邑(むら)に不学の戸なく、家に不学の人なからしめん」という言葉に凝縮されている。

 一つは、国民が華族、士族、農工商、および婦女子の区別なく、平等に教育を受けさせようということだった。江戸時代は武士は藩校で学び、また庶民は寺子屋で、というように、階級によって別れていた。これをまさしく四民平等で、同じ教育を受けさせようということだった。

 もう一つは「邑に不学の戸なく、家に不学の人なからしめん」というように、すべての国民が落ちこぼれなく教育を受けるようにしようということだった。これを「国民皆兵」に倣って、「国民皆教育」と呼ぶ人もいる。

 近代的国民国家を作るには、階級の区別などなく、すべての国民が平等に初等教育を受けることが必要と考えられたんだ。

■5.江藤新平による「国民皆教育」構想

花子: それはとっても明快な方針ですが、いきなりそんな革命的な国家方針が、よくも打ち出されて、しかも着実に実行されていったものですねえ。これだけ気宇壮大な計画を、一体、明治政府の誰がどのように考えだし、進めていったのでしょうか?

伊勢: 発案者は佐賀藩出身の江藤新平だね。佐賀藩は幕府直轄の長崎に隣接しているから、長崎の御番、つまり警護役を担当していた。だから、日本でも西洋の学問は一番早く入ってきた。

 しかも幕末に英邁な第十代藩主・鍋島直正公が登場して、陶磁器・石炭などの殖産興業を行い、また教育改革を指揮した。もともと37万石の大藩ながら、実力は100万石を超えるのでは、とも言われている。

 その経済力を駆使して、日本で最初に鉄製大砲の量産に成功し、かつ蒸気船や蒸気機関までも製造している。幕府が長崎に海軍伝習所を作った時も、開設時の伝習生70名のうち、佐賀藩が48名、7割ほどを占めていた。明治政府の富国強兵策を、江戸時代から先んじてやっていたかたちだ。
__________
JOG(1275) 日本赤十字の創設者・佐野常民 ~「右手で文明開化、左手で博愛」(動画+読み物)
 前半生は文明開化、後半生は博愛で、幕末・明治の日本を牽引した佐野常民の生き様。
https://note.com/jog_jp/n/nf6b9a082b636
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 その鍋島公の懐刀として活躍したのが江藤新平で、明治2(1869)年には藩政刷新に辣腕を振るった。「民生仕組書」という企画書には「村中の子供男女、筆算の稽古は是非致すべく仕組みを立つべし」と、女子も含めた領民全員の義務教育を提言している。これが「学制」の原型だね。

 新政府の中心として活躍していた岩倉具視は、頼りにしていた鍋島公を通じて、江藤をブレーンとして迎え、国家制度全般の構想をまとめさせた。江藤がまとめた『建国策』は後に岩倉の名前で太政官会議に提出され、政府の基本方針とされた。そこでは日本を三権分立の君主国とすべき、とまで規定していた。そして、やはり「天下に中小学校を設置して大学に隷属せしむべき事」と定めていた。

 明治4(1871)年7月14日の廃藩置県のわずか4日後に、全国の教育行政を担当する文部省が創設され、責任者として江藤自身が乗り出した。文部省の使命は「全国の人民を教育して、その道を得せしむるの責に任ず」と定めて、全国の教育を一元的に統括するという近代公教育の大方針が定められた。

 驚くべきことに、江藤の文部省在籍はわずか17日間で、この基本方針のレールを敷いて、次は議会制度の創設の方に移っていった。江藤の基本構想を引き継いで、「学制」として結実させたのが、これまた佐賀藩出身の大木喬任(たかとう)で、その重厚で手堅い行政手腕で、「学制」として発表し、実行していった。[毛利、p129]

 ちなみに、「学制」の実施の際は、大蔵省から、内容に異議はないが、財政難で予算が工面できないという横やりが入ったけど、これを、やはり佐賀藩出身の参議・大隈重信が大蔵省に圧力をかけて必要な費用を出させたというエピソードが残っている。[竹中、p166]

花子: 日本の近代教育制度は、佐賀藩の功績が大きいのですね。

■6.「学制」を支えた「五箇条の御誓文」

花子: それにしても、これだけ革命的な案を、明治政府の中で大した異論もなく、一気に進めて行けたのは、なぜなのでしょうか?

伊勢: そう、そこの所が大事だ。まず、この『学制』の大方針が、その4年前に発出された五箇条の御誓文に則ったものであることを指摘しておきたい。

 その第三条には、こうある。
__________
一 官武一途(いっと)庶民二至ル迄、各(おのおの)其(その)志ヲ遂ゲ、人心ヲシテ倦(うま)ザラシメン事ヲ要ス

(文官や武官はいうまでもなく一般の国民も、それぞれ自分の職責を果たし、各自の志すところを達成できるように、人々に希望を失わせないことが肝要です)[明治神宮ホームページ]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 商人が商売を興し、農民は進んだ農業技術を取り入れる、など、人々がそれぞれの志を追求する。そういう希望に満ちた、活き活きとした生き方を国民にさせよう、というんだ。そのためには、当然、すべての国民の教育が必要となる。

 さらにこうした国民一人ひとりの生き方をベースにして、第二条では、こう言っている。
__________
一、上下(しょうか)心を一にして、盛(さかん)に経綸を行うべし

(身分の上下を問わず、心を一つにして積極的に国を治め整えましょう)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 国民一人ひとりが志を持った生き方をし、互いに心を合わせて、国を治め整える。そうなれば、国家は富み栄える。西洋列強から日本の独立を守るには、そうした全国民のエネルギーを結集する必要があった。

 明治天皇は御誓文と同日に「国威宣揚の御宸翰(ごしんかん、天皇から国民へのお手紙)」を明らかにされた。そこには「天下億兆、一人もその処を得ざる時は、みな朕が罪なれば(国民が一人でもその処を得られなければ、それは私の罪であるから)」という一節があった。

花子: 「一人ひとりが処を得る」というのは、学制の「邑に不学の戸なく、家に不学の人なからしめん」という言葉に繋がっているようですね。

伊勢: いいところに気がついたね。私もそう思う。「学制」のこれほど大胆な計画が大きな反対も受けずに実行されていった背景には、それが明治天皇が神に誓われた「五箇条の御誓文」と、国民に誓われた御宸翰の内容に則ったものだったから、と私は思うんだ。

__________

■7.「学制」の根本にある国民を「大御宝」とする祈り

伊勢: そして、この「国民一人ひとりが処を得る」とは、神武天皇の即位の詔(みことのり)で、国民を「大御宝」として安寧に暮らせるようにしようという建国目的につながっていると、拙著『大御宝』では指摘した。

__________
伊勢雅臣『大御宝 日本史を貫く建国の理念』、扶桑社、R06
 民を大切な宝物として考え、その安寧を祈る「大御宝」の思想。
神武天皇即位の詔に示され、歴代天皇の責務とされてきた理念が日本の歴史を支えていた!
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/459409788X/japanontheg01-22/
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 国民一人ひとりが大御宝なんだから、誰一人取り残すことなく、それぞれが、個性と能力を発揮して、生き甲斐のある人生をあゆみ、それによって、互いに支えあう「仕合わせ」の国を作る。この理念が「学制」の根本にあるのだね。

花子: 150年も前に、そういう深い考えで作られた小学校に、私も学んでいたなんて、全く知りませんでした。何万という小中学校を作ってくれたご先祖様たちに感謝しなければ、なりませんね。

伊勢: 花子ちゃんが、一生懸命勉強して、自分の才能を開花させ、自分自身の処を得て、そこでの志を追求する。そんなふうに活き活きとした人生を歩むことが、ご先祖様への恩返しだよ。

花子: 分かりました。何か、元気が出てきました。
(文責 伊勢雅臣)

写真は光受寺にて

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学制 1

2025-03-10 | Weblog
伊勢雅臣先生のメルマガより

■1.全国で5万校以上の小学校を作る「学制」の計画

伊勢: 花子ちゃん、今日はちょっとしゃれた野球帽をかぶっているね。前に「150」と刺繍があるけど、それは何の意味?

花子: これは、一昨年、私が地元の小学校を卒業した時に、PTAの会からの記念で貰った帽子です。ちょうど、その年は開校150周年だったんです。

伊勢: へえー、150周年と言ったら、明治の初めの頃の創立だね。

花子: 明治6(1873)年です。その時は、お寺の本堂が校舎で、村の子供たち数十人を集めて授業をしたそうです。

伊勢: そうか、確か、その前年、明治5(1872)年に「学制」という法令が出され、明治政府はもの凄い数の学校を一斉に作り始めたんだ。全国を8つの大学区に分けて、それぞれに大学を1校設ける。そして各大学区に32の中学校を作るから、合計で256校。そして一つの中学校区に210の小学校。小学校の総数は、256掛ける210で、なんと合計53,760校となる。

 小学校は全国津々浦々、子供たちが歩いて通える範囲で、およそ600人の地域に小学校を一つ作る、という計算で、当時の人口が3千万くらいだから、やはり5万校は必要となる。

花子: そんなに多くの学校を一気に作ろうというのは、凄い計画ですね。

伊勢: 本当だね。しかもこれは大風呂敷ではなくて、相当、真剣に実行された。「学制」施行2年後には、小学校はその計画の半分近くの2万4千校が出来ていたという。花子ちゃんの卒業した小学校も、その一つだね。

 文科省の『学制百五十年史』によれば、小学校の規模は一校当たり教員1~2人、児童40~50人程度、校舎の40%は寺院、30%は民家を転用したもので、「概して寺子屋と大差ない形態であった」[文科省、p28]という。

 しかし、考え方として大都市に上流階級の子弟向けに少数の立派な学校を作るのではなくて、粗末でもいいから、村々の子供たちがみんな通えるよう、全国津々浦々に学校を作ろうという方針は、当時の人々の深い見識を現していると思う。「学制」の序文では、その方針をこう語っている。
__________
 今後、一般の人民、すなわち華族、士族、農工商、および婦女子に至るまで、「必ず邑(むら)に不学の戸なく、家に不学の人なからしめん」、すなわち村に学校で学ばない家はなく、家の中に学校に学ばない人はいない事を目指す[伊勢現代語訳]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

■2.欧米先進国と肩を並べて義務教育を導入した「学制」

花子: これは当時の欧米のどこかの国の真似をしたのですか?

伊勢: それがどうもそうではないらしいんだ。「学制」のある研究書では、こう書かれている。
__________
 一八七二年の段階で、これほど大規模な公教育制度を完備した国はあまりなかったので、「学制」が欧米人に大きな衝撃を与えたのも無理なかった」[竹中、p283]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 最先進国のイギリスですら、「学制」の2年前に「基礎教育法」が定められたけど、制度の整備、無償性、強制修学などの点で不十分なものであったし、「全ての子どもに、読み、書き、算の十分な基礎教育を与えることは、親の義務である」と謳った「基礎教育法」が定められたのは1876年と「学制」の4年後だった。

「学制」の前に、義務教育制を採用していたのは、結局、アメリカのいくつかの州に過ぎない。それも義務とは言え、抜け道も多く、罰則の適用もかなり疑わしい状況だった。

 日本の「学制」による義務教育制度を報じたボストンの新聞では、アメリカの工場で多くの子供を働かせているのは、教育を義務と考える風潮に乏しく、両親たちの金銭欲、あるいは養育放棄が原因と指摘している[竹中、p284]。こういう史実を見ると、日本は「学制」で当時の欧米先進国と肩を並べて国民の義務教育制度を導入した、と言っても良さそうだね。

■3.教育面では欧米より進んでいた江戸日本

花子: 江戸時代というと、日本は欧米先進国からはだいぶ科学技術でも、政治制度でも遅れていた、という印象ですけど、なんで、教育面だけ、そんなに進んでいたのですか?

伊勢: これは江戸時代の長い平和の間に、農業、工業、商業、流通が発展し、それに民衆が対応できるよう、教育が普及していたからだろう。幕末の頃は寺子屋は全国で約1万もあり、読み・書き・そろばんだけでなく、道徳、古典、地理、農業など、7千種もの教科書が作られたと言われる。幕末に来日した西洋人も、女中や肉体労働者までが読み書きができると驚いている。
__________
JOG(997) 世界最高の教育水準が実現した農村自治
 年貢納めまで自主的に行っていた農村自治は、世界断トツの農民の読み書き能力が支えていた。
https://note.com/jog_jp/n/n61babf6a557b
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
伊勢: 武士も250以上の藩のほとんどで藩校を作り、統治階級として教育していた。幕府公認の朱子学だけでなく、陽明学や国学などを学ぶ場もあった。商人も石門心学、農民も二宮尊徳の報徳思想、さらには学者たちの蘭学も盛んになった。

 西欧では戦争ばかりしていたので軍事技術が発達し、また植民地主義で大船建造技術や産業革命は進んでいたけど、一般国民の教育という面では、江戸時代を通じて長い平和を享受していた日本の方がむしろ先行していたと思う。「学制」の大規模な学校創設の計画も、こうした江戸時代からの蓄積があったからこそではないかな。
写真は可睡斎の雛飾り



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手作りお菓子 87

2025-03-08 | わが家
 昨日も寒い日でしたが、午前中予約していた甥の歯科医院に行きました。午後は整体。整体師のNさんにまた手作りお菓子を頂きました。メニューは、キャラメルシフォンケーキ、スイート&サワーチェリーのゼリー、そしてタンジェリンオレンジゼリー。チェリーゼリーの上にあるのは、ブルーベリー。どれも絶品でした。今月はイラスト展が町内三ヶ所で開かれているので拝見する予定です。
 朝名鉄で歯科医に行ったのですが、昼頃帰る時、人身事故で、岐阜駅と一宮駅で、折り返し運転をしていました。私たちは途中の笠松で下車し、影響はありません。一宮から名古屋に行く場合は、JRに乗り換えれば大丈夫。しかしこの寒いのに自死とは悲惨です。



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