あなたの御手のなかで・・・
いろんな方がおられお話しさせていただくと
「あ~、この方はこの様に歩んでいるんだ・・・」って話しの内容から思うことがしばしば・・・
幼き頃の寂しい体験からなんでしょうか・・・
自分を誇示するような言動を押しつけられる感じがします。
「信じれるのは自分だけ・・・」みたいな感じの・・・
別に私がどうこう言うことではありません。
その方が自ら歩んで来ての今の想いなんですから・・・
「あ~、そうなんですか・・・」って話すことです。
「お前は、仏を信じるのか?」
「勿論、私にはこれしかありませんから・・・」
「そしたら、今、俺がお前を殴ろうとしたら仏は俺の拳を止めることが出来るのか?」
「止めることが出来ないでしょうね・・・」
「そんなことではいけんじゃないか!そんな仏を信じるのか?」
「この阿弥陀という仏さまは、あなたの拳を止めることが出来なくても私と一緒にその痛みの中で泣いてくれるでしょう。だから私は立ち上がることが出来るのです。」
宗教とは、除災招福するものである・・・
そんなところでこの浄土真宗もみられておられるのです。
何もかもごちゃ混ぜ。
俺が祈っているんだから・・・
俺が手を合わせているんだから・・・
俺が行動しているんだから・・・
これだけのことしているんだから何か返してくれるのが宗教だろう!
なんで痛い思いをせんといけんのか・・・
そんな結果なのに仏なんか信じるのか・・・
いろんな縁に触れていろんなことが起こってくる。
決して「運命」みたいなモノで決めつけられた人生ではなく、いろんな縁によって・・・なのです。
病気にもなるだろうし、事故にも遭ったりするでしょう、ケンカだってする・・・
己が煩悩引っさげながら歩むんですから、いろいろあります。
どこまでも「それほどの業」を持って生きるコイツを一人にすることが出来ず、
お前が地獄に堕ちたいのであれば、私も一緒に堕ちようと共に歩んで下さるのが仏さまなのでしょう。
一緒に泣いて下さる仏さま・・・
出遇えてよかった!
どれだけの人を殴った拳か知りませんが、その拳も痛かったでしょうに・・・
「み仏はおわします・・・今、ここに」