キリスト者イエスの家に行く。イエス彼らに秘密の教義を示す!!
有名な話である。信仰とは、揺るぎない確信であって、拝むばかりが信仰ではない。
<記事に無関係-巨大な太陽フレアー>
はたして、その信念を持つ信仰者がどれほど居るであろうか? 大抵はあわよくばの世界が過半であろう。 絶対への信念が信仰である。
奇跡と言うが、絶対への信仰には、奇跡はない。その事が当然であるからだ。奇跡というのは、相対的な観点で、有り得ざる事が対極に想定されている。殊に現代はそれが多い。例えば、科学に対する信仰がそれである。科学は一つの見方であり、絶対的ではない。
人は何故、生まれ、生き、死ぬか? 科学はその解を知らない。単にその有様を論理的に説明しようとするが、誰もその何故に答えられない。そこには絶対的な魂の意思が存在する。魂の意思とは、それに同通する神の意思でもある。つまり、生きようとする魂が生まれ、生き、死ぬのであって、科学はそれを解けない。
科学は、絶対的な意思が、物事の有様を説明しようとする一つの見方を提供しているが、言い方によっては全て、後付理論と言うことになる。在りて有るものは、既に在る。そして、起こり得べきものは、全て起こり得るのである。
死者の蘇りも、魂が望めばそれはあり得る。スプーン曲げも、科学が説明に窮しているが、やはりあり得る。説明の手法が、一元的であるから、付かないのだ。
時間と空間は、線形ではない。つまり、常に一定ではない。ある場では、超μセコンドで経過すると考えると、その場においては、金属も気長に塑性を起こすことが可能だ。一年360日もかければ十分だろう。他方、それはコンマ一秒でそれは為されたと見る者は、スプーンは一瞬にして曲がったり、断裂するかのように判断する。
それを行うのは、魂の意思の念である。時間と空間は、絶対の意思(マトリックス) から投影されたスクリーン状の物語と観れば、納得できる。スクリーンと言っても、単なる2次元ばかりではない。言わすと知れたこの世界は3次元であるが、4次元も5次元もあると考えられる。
そう言う世界に科学は足を踏み入れた矢先に過ぎない。
科学は信仰に対立するものではなく、信仰する世界から投げ与えられた一つのメソッド(方法)と考えることが至当だ。そのメソッド(方法)を過信した人間の思い上がりは、今頂点に立っていると考えられる。
思い(想い、念い)一つで世界は変わる。今、人類はその試金石の上に立っている。
キリスト者イエスの家に行く。イエス彼らに秘密の教義を示す。彼らガリラヤ中に行き、教えまた病気をいやす。イエス、ナインでやもめの息子を生きかえらす。一同カペルナウムに帰る。
十二弟子はイエスと共にその家に行って、数日すごした。イエスは今ここで書物に記されてふさわしくないような内的生活について多くの事を彼らに語った。
さて、カペルナウムには、富めるローマの百卒長が住んでいた。彼はユダヤ人を愛し、そのために会堂を建ててやった。然るに、その僕(しもべ)が中風に罹り、死ぬばかりに苦しんでいた。
百卒長はイエスのことを知り、かねてイエスが聖言(みことば)によって病人をいやすことを聞いて、これを信じていた。そこで彼はユダヤ人の長老にたのんで、イエスに伝言して助けを求めた。
イエスは百卒長の信仰を認め、直ちに病人をいやそうとして出たが、百卒長は途中彼に逢って言った、「見よ、主よ、あなたがわたしの家にはいられるのはよろしくありません。わたくしは神の人の前にあるような立派なものではございません。
わたくしは軍人で、屢々(るる)同胞の生命をとるような連中と一緒に暮らして参りました。確かに、もしわたくしの家の屋根の下に来られるなら、御身分をけがすでございましょう。
ただ聖言(みことば)を賜わるなら、僕(しもべ)はよくなると思います。」
するとイエスは振りかえって自分について来た人々に言った、「百卒長の信仰を見よ。これほどの信仰はイスラエルの中でも見たことがない。饗宴はあなたがたの前に出ているのに、疑って手をつけないうちに、外国人が信仰を抱いて来て生命のパンを取る」
それから百卒長に言った、「帰りなさい。あなたの信仰どおりになろう。あなたの僕は生きている。」イエスが聖言(みことば)を言ったその時、中風の人が起ちあがって元気になっていた。
それからキリスト者は教えに出かけた。ヘルモン通りの町ナインに来ると、大勢の人々が門のほとりにいた。それは葬列であった。あるひとりの寡婦(やもめ)の息子が死んで友人たちがそのなきがらを墓に葬りに行く途中であった。
死者はやもめのひとり息子で、母親は悲しんで気も狂わんばかりであった。そこでイエスは言った、「泣くんではありません。わたしは生命です。お子さんは生きます。」
それからイエスは手を挙げたので、死者を運ぶ人々は立ち留まった。そこでイエスは棺に手をかけて言った、「若者よ、帰れ。」
魂は帰った。死者のからだに生命が満ち、起き上がってもの言った。
人々はこのありさまを見て驚き、神をほめよと叫んだ。ひとりのユダヤの祭司は言った、「見よ、大予言者が現われた。」すると人々はみなアーメンと言った。
キリスト者は旅をつづけ、ガリラヤの町で教えまた病人をいやし、それから再びカペルナウムに帰つた。
【宝瓶宮福音書:栗原 基訳】
第十六部 イエスのキリスト者奉仕の二年目
第百二章 キリスト者イエスの家に行く。イエス彼らに秘密の教義を示す。彼らガリラヤ中に行き、教えまた病気をいやす。イエス、ナインでやもめの息子を生きかえらす。一同カペルナウムに帰る。
1)十二弟子はイエスと共にその家に行って、数日すごした。
2)イエスは今ここで書物に記されてふさわしくないような内的生活について多くの事を彼らに語った。
3)さて、カペルナウムには、富めるローマの百卒長が住んでいた。彼はユダヤ人を愛し、そのために会堂を建ててやった。
4)然るに、その僕(しもべ)が中風に罹り、死ぬばかりに苦しんでいた。
5)百卒長はイエスのことを知り、かねてイエスが聖言(みことば)によって病人をいやすことを聞いて、これを信じていた。
6)そこで彼はユダヤ人の長老にたのんで、イエスに伝言して助けを求めた。
7)イエスは百卒長の信仰を認め、直ちに病人をいやそうとして出たが、百卒長は途中彼に逢って言った、
8)「見よ、主よ、あなたがわたしの家にはいられるのはよろしくありません。わたくしは神の人の前にあるような立派なものではございません。
9)わたくしは軍人で、屢々(るる)同胞の生命をとるような連中と一緒に暮らして参りました。
10)確かに、もしわたくしの家の屋根の下に来られるなら、御身分をけがすでございましょう。
11)ただ聖言(みことば)を賜わるなら、僕(しもべ)はよくなると思います。」
12)するとイエスは振りかえって自分について来た人々に言った、
13)「百卒長の信仰を見よ。これほどの信仰はイスラエルの中でも見たことがない。
14)饗宴はあなたがたの前に出ているのに、疑って手をつけないうちに、外国人が信仰を抱いて来て生命のパンを取る」
15)それから百卒長に言った、「帰りなさい。あなたの信仰どおりになろう。なたの僕は生きている。」
16)イエスが聖言(みことば)を言ったその時、中風の人が起ちあがって元気になっていた。
17)それからキリスト者は教えに出かけた。ヘルモン通りの町ナインに来ると、大勢の人々が門のほとりにいた。
18)それは葬列であった。あるひとりの寡婦(やもめ)の息子が死んで友人たちがそのなきがらを墓に葬りに行く途中であった。
19)死者はやもめのひとり息子で、母親は悲しんで気も狂わんばかりであった。そこでイエスは言った、「泣くんではありません。わたしは生命です。お子さんは生きます。」
20)それからイエスは手を挙げたので、死者を運ぶ人々は立ち留まった。
21)そこでイエスは棺に手をかけて言った、「若者よ、帰れ。」
22)魂は帰った。死者のからだに生命が満ち、起き上がってもの言った。
23)人々はこのありさまを見て驚き、神をほめよと叫んだ。
24)ひとりのユダヤの祭司は言った、「見よ、大予言者が現われた。」すると人々はみなアーメンと言った。
25)キリスト者は旅をつづけ、ガリラヤの町で教えまた病人をいやし、それから再びカペルナウムに帰つた。
【原文:The Aquarian Gospel of Jesus by Levi H. Dowling 】
SECTION XVI
AIN
The Second Annual Epoch of the Christine Ministry of
Jesus
CHAPTER 102
The Christines at the home of
Jesus. Jesus unfolds to them the secret
doctrine.
They go through all Galilee and teach
and heal.
Jesus brings to life the son of a widow at Nain.
They return to Capernaum.
THE
twelve apostles went with Jesus to his home, and there abode for certain days.
2) And Jesus told them many things about the inner life that may not now be
written in a book.
3) Now, in Capernaum, there lived a man of wealth, a Roman captain of a hundred
men, who loved the Jews and who had built for them a synagogue.
4) A servant of this man was paralyzed, and he was sick nigh unto death.
5) The captain knew of Jesus and had heard that by the sacred Word he healed
the sick, and he had faith in him.
6) He sent a message by the elders of the Jews to Jesus, and he pled for help.
7) And Jesus recognized the captain's faith and went at once to heal the sick;
the captain met him on the way and said to him,
8) Lo, Lord, it is not well that you should come unto
my house; I am not worthy of the presence of a man of God.
9) I am a man of war, my life is spent with those who ofttimes take the lives
of fellow men.
10) And surely he who comes to save would be dishonored if he came beneath my
roof.
11) If you will speak the Word I know my servant will be well.
12) And Jesus turned and said to those who followed him,
13) Behold the captain's faith; I have not seen
such faith, no, not in Israel.
14) Behold, the feast is spread for you; but while you doubt and wait, the
alien comes in faith and takes the bread of life.
15) Then turning to the man he said,
Go on your way; according to your faith so shall it
be; your servant lives.
16) It came to pass that at the time that Jesus spoke the Word the
palsied man arose, and he was well.
17) And then the Christines went abroad to teach. And as they came to Nain, a
city on the Hermon way, they saw a multitude about the gates.
18) It was a funeral train; a widow's son was dead, and friends were bearing
out the body to the tomb.
19) It was the widow's only son, and she was wild with grief. And Jesus said to
her,
Weep not, I am the life; your son shall live.
20) And Jesus raised his hand; the bearers of the dead stood still.
21) And Jesus touched the bier and said,
Young man, return.
22) The soul returned; the body of the dead was filled with life; the
man sat up and spoke.
23) The people were astonished at the scene, and every one exclaimed,
Praise God.
24) A Jewish priest stood forth and said,
Behold a mighty prophet has appeared;
and all the people said,
Amen.
25) The Christines journeyed on; they taught, and healed the sick in
many towns of Galilee, and then they came again unto Capernaum.
【続く】