草むしりしながら

読書・料理・野菜つくりなど日々の想いをしたためます

今度の土産は

2025-02-27 06:36:01 | 草ながめの得意料理

今度の土産は

 長い間書きかけている文章。なかなか進みません。それでも一週間に2、3行程度は増えていくのだから、全く進んでいない訳ではないですね。

 今書いているのは料理のシーンで、一人暮らしの90歳のお婆さんがトマトソースを作っているところです。畑のトマトをめぐってのカラスとの攻防戦や、トマトをグツグツと煮込む所など面白く書けたのですが、その後の瓶詰めの作業がどうもうまく書けないのです。

 瓶詰めの場面は話の本筋ではないので、でできれば1、2行で片付けたいところです。ところがそれがうまく書けずに困っています。出来上がったソースの風味をそこなわず長期に保存ができるようにするのは、瓶の煮沸消毒と脱気が大切な作業になります。その作業自体が、ほんの1、2行で済まされるものでは無いからです。

 まず鍋にたっぷりの水にガラス瓶と蓋を入れて火に掛る。沸騰したら火を少し弱め10分ほど煮て、トングや菜箸などで取り出す。ざるの上に蓋と瓶を逆さにしてそのまま冷まし、食材がまだ熱いうちに瓶に詰める。とここまでが瓶詰めの作業で、後は脱気が控えています。

 食材は瓶の蓋がしまる部分から1㎝ほどの所まで入れ、蓋を軽く締しめる。鍋に湯を沸かし、沸騰したら鍋底に布巾を敷いて保存瓶を並べ、蓋にお湯がかぶらないような火加減で15分加熱し取り出す。布巾や鍋つかみ、軍手等を使って熱いうちに蓋をギュッと締め直し、そのまま放置して自然に冷ます。

 以上がその作業ですが、面倒くさそうですね。90歳のお婆さんにそんな作業をができるだろうかと、考えてしまったわけです。第一熱湯を使うので、火傷なんかしたら大変じゃないですか。そう思ったら、もう書けなくなってしまいました。実はトマトソースを作る場面のお婆さんは、私の姉をモデルにしているからです。

 もちろん姉はまだ90歳ではないので、熱湯を使っての消毒や脱気などむしろ楽しげにやっています。ただこれから先のことを考えればやはり心配です。実際トングで熱い空き瓶を掴むは難しいし危ないとは思いませんか。何かもっと安全な方法は無いもかと考えていたら、子供たちが哺乳瓶を電子レンジで消毒していたのを思い出しました。

 電子レンジで消毒?どうやってと思うかもしれませんが、専用の哺乳瓶消毒ケースがあるのです。このケースに中に哺乳瓶と水を入れて、電子レンジで5分加熱するとスチームで消毒ができる仕組みになっています。しかしこれは哺乳瓶専用なので、耐熱でもないガラス瓶はちょっと不安ですね。でもその他にも滑り止めのついた哺乳瓶専用のトングや、スタンドに哺乳瓶を被せて自然乾燥させる哺乳瓶専用の水切りラックもあります。

 このトングとラックがあれば作業がかなり安全で楽になるのではと、閃いてしまいました。早速「赤ちゃん本補」に行ってみなければ。三月になったらまた二週間ほど生家に帰ります。今度のお土産は哺乳瓶消毒セットします。姉は果たして喜ぶのでしょうか、それとも呆れるでしょうか。気になるところですね。

 さて気になると言えばもう一つ、畑の野菜も気になります。前回11月に帰った時にはタマネギを植えたのですが、それが今どうなっていることやら。自称「草むしり」の私に比べ、姉の方は「草ながめ」なのです。どんなに草が生えていようが頓着無し。無理に草むしりなどしようものなら倒れてしまいそうなので、私の方も彼女には草むしりなどするな。と言っております。

 そこでなるたけ草を生やさないように、マルチを張って野菜を栽培しています。ところが今回はタマネギにはマルチを張るなとの「草ながめ」の命令が下りました。。草ながめ曰く「草など生えていてもタマネギは育つ」というのです。言い出したら私の言うことなど聞かない人なので、黙って命令に従ったのですが、果たしてどうだか?草ボウボウの畑が思い浮かばれます。

 姉はこんな風だから野菜には全く興味が無いのかと言えば、そうでもありません。収穫した野菜の加工にかけては「草ながめ」に適う人はいません。出来上がったトマトソースを使ったピザやパスタは絶品です。ブルーベリージャムやバジルソースは婿殿達や親戚、隣近所いたるまで皆が楽しみにしています。

 長らく草むしりの得意料理を書いてきましたが、これからは「草ながめの得意料理」も書いて見ようと思っております。それにつけても物語の中の煮沸消毒と脱気作業、さらっと流すべきか詳しく書くべきか迷うところです。


べらぼう第8話逆襲の「金金先生」見ました

2025-02-25 06:59:28 | 最近見たドラマ

べらぼう第8話 逆襲の「金金先生」見ました

 蔦重が作った吉原細見「籬の花」は評判も良く、宣言の二倍以上の売れ行きになった。蔦重が細見を売り瀬川が客を引きつける。二人は吉原再建の立役者となったのだった。幻想的な瀬川の花魁道中、見応えがありましたね。

 しかし客は来なくては困るが、多すぎても困るものですね。過酷な労働に疲れはてた瀬川が煙管をふかしながら「籬の花」を愛おしいそうに見ていましたね。口では吉原のためなんて言いながら、やっぱり蔦重のためだったのですね。

 ところがそんな瀬川の心も知らず「お前のお陰だよ。お前には幸せになってもらいたなん」なんて優しいことを言いながら蔦重が差し出したのは「女中寶記」。とびきり良いところに身請けされて、そこのお内儀になれるようにこれを読んでおけというのだ。「馬鹿らしゅうありんす」と答える瀬川。重三にとって自分は吉原に山といる助けたい女のひとりなんだと。自分の気持ちが馬鹿らしいくなったのですね。切ない。

  しかしなんという野暮天、自分の気持ちに気づいていないのですね。しかし気づいた所でどうにもならないものですが、蔦重と瀬川はどうなるのか心配です。しかしもっと心配なのはうつせみと新之介さんですね。この二組には幸せになってもらいたいもですが、吉原ですからね。うまくは烏賊の嘴でしょうか?

 さてもう一つの心配ごとは鱗形屋の復活です。新たに出した「金金先生栄花の夢」が面白いと、江戸の本好きを虜にしてしまいましたね。そうなると心配なのは蔦重の地本問屋への加入ですそ。心配する瀬川に吉原の親父達が協力してくれると、蔦重は落ち着いたものです。

 ところがそうは問屋が卸さない。鶴屋が西村屋や鱗形屋他数名の地本問屋を引き連れて、吉原にやってきました。蔦重や忘八親父たちを前にして、今後は鱗形屋を支援していくので蔦重を仲間に入れる話は無かったことにしてもらいといと、言いだしたから大変です。

 この風間俊介さん演じる鶴屋喜右エ門、なかなかのやり手ですね。危うく忘八親父達に丸め込まれそうになった問屋仲間を退場させると、後は自分一人が親父達を相手にします。「私もそう言うのですがねー」親父達が何か言う度に同調するのですが、「仲間が承知しませんもので」での一点張り。あげくに今日この場に来ない者の中には「吉原者」のような卑しい外道とは、同じ座敷に座るのも嫌だ言う者もいると、言い出す始末。

 これに怒った駿河屋の親父さま。いきなり鶴屋の首根っ子を掴んで階段からたたき落とし、地本問屋の吉原へ「出禁」を言い渡しました。「覚悟しろやこの赤子面!」これで地本問屋は吉原に関する本が出せなくなるが、蔦重は吉原以外では本を売ることができなくなる。痛し痒しですね。

 駿河屋の親父さまの階段落とし、これで三回目ですね。あと何回あるかしら?ちょっと楽しみですね。それにしても「赤子面」とはよく言ったものですね。確かにこのドラマの中の風間俊介さんは子供ぽい顔をしているし、背丈も肩幅も何もかもが小さく見えますね。撮り方次第ではそこまで小さくは見えないのに、おかしいと感じていたのですが、駿河屋の親父さまに「赤子面」と言わせたかったのでしょうね。

 階段から突き落とされてもなおポーカーフェイスの鶴屋喜右エ門。私の経験では、自分の一番気にしているところを言われのが一番腹が立つものです。果たして鶴屋さんの胸中は如何に?蔦重はこの難局をどう乗りきるのか?次回が楽しみですね。


べらぼう第7話「好機到来『籬(まがき)の花』」見ました

2025-02-17 07:54:29 | 最近見たドラマ

べらぼう第7話「好機到来『籬(まがき)の花』」見ました

 どうしても版元になりたい蔦重。蔦重の仲間入りを嫌う地本問屋連中に、今までの倍は売れる細見をつくってみせる。と大見得をきって作ったのが「吉原細見『籬の花』」 

 大きさは従来の細見本の二倍はあるのが、その分薄くって懐に入れて持ち歩きしやすい。川岸見世も含めた吉原の女郎の名をすべて入れ、目当ての見世がすぐに見つけられる。随所に工夫され、値段は今までの半値。その上花ノ井の瀬川襲名のプレミアム細見本。

 今回は忘八以下吉原全体が蔦重側につき、呑気な義兄さんや新之介さんという強い?味方も得た。果たして蔦重、版元として認めてもらえるのだろうか。それにつけても気になるのは鱗型屋ラブリン。このまま黙って引き下がるのだろうか?蔦重憎し!次回が楽しみですね。

 安くって薄いけど情報盛りだくさんの「籬の花」。若いころ購読していた「ぴあ」という情報誌を思い出しました。もちろん「ぴあ」の説明など不要でしょうが、私が東京に出てきたころは「ぴあ」は薄くって値段も百円でした(たぶん)。映画やコンサートの情報が掲載されていました。

 私は主に映画の欄を見ていたのですが、東京中の映画館で何を上映するのかが分かりました。当時は東京のいたるところに名画座があり、旧作映画が格安の料金で観れたものでした。休日には「ぴあ」片手に名画座にほぼ一日中いました。昔は何度でも観れたものです。

 銀座の「並木座」で鈴木清順の「喧嘩えれじぃ」を池袋の「テアトルエコー」でジャンポール・ベルモンドの「ラスクムーン」を観ました。高橋洋子主演の「旅の重さは」どこだったかな?高田の馬場の西友の隣や飯田橋の名画座にもよく行きました。今もあるのでしょうか。

 朝一番に入って、出てくるのは夕方間近。暗い所から急に明るい所に出て、クラクラしていまいした。いまでいうおひとり様。貧乏なおひとり様には「ぴあ」と「名画座」は救いの神でした。今回の「べらぼう」は懐かしい青春時代を思い出させてくれました。

 


べらぼう第6話鱗剥がれた「節用集」見ました

2025-02-10 06:59:07 | 最近見たドラマ

べらぼう第6話鱗剥がれた「節用集」見ました

  版元になるには鱗型屋お抱えの「改」になり、いずれは暖簾分けしてもらうしか手がない。蔦重も吹っ切れたのでしょうね。もともとあった青本を、江戸っ子が楽しめるような粋の話をにできないものかと。鱗型屋ラブリンと一緒に知恵を絞っていました。

 悪い奴を一人つくると話はおもしろくなる。悪い奴の名前は「源四郎」(当時店の売り上げをちょろまかす悪い手代を「源四郎」といったとか)。いいじゃないか「うがってら」。そういう「うがち」を全編にちりばめよう。ありがた山のトンビがらす。恐れ入谷の鬼子母神。「地口(じぐち)」も入れよう、江戸っ子って言えば地口だぁって。という具合に二人で大盛り上がりでしたね。お陰で「ありがた山の寒がらす」みたいな言い回しのことを「地口」っていうのだと分かりました。

 さて蔦重を罠にはめた鱗型屋さん。江戸を代表するような老舗の地本問屋なのですが、あの迷惑大火で経営が傾いてしまったようですね。そこで「節用集」の海賊版の出版に手染め、奉行所に引っ張られてしました。

 内偵に現れたのは若き鬼平さん。だいぶ大人になったようで髪型もきちんとしてました。まだまた奉行所勤めではないが、探りを手伝っていたという。これを足がかりに奉行所、火付け盗賊改方の道に進むのでしょうか。今後の若き鬼平さんが楽しみですね。

 また今回は「地口」なんて言葉が出てきたせいか、たくさんの地口が登場しましたね。上がったりやのカンカン坊主とか占め子の兎(しめこのうさぎ)とか、まさに地口のオンパレードでしたね。その中で一番良かったのが、若き鬼平さんの濡れ手に粟餅(ぬれてにあわもち)でしたね。

 鱗型屋が危ないと知っていて黙っていた蔦重。心の何処かにこいつがいなきゃ取って代われる思っていたが……。「濡れ手の泡、棚からぼた餅なのだけど。堪えるこもんですね」と肩を落とす蔦重に、粟餅を差し出す若き鬼平さん。「濡れ手に粟」と「棚からぼた餅」を併せてと「粟餅」だとか。

「落とした泡餅、せいぜいありがた頂いておけ。それが落とした奴への手向けってもんだ」うまいこといいますね。若き鬼平さんの今後の活躍を期待します。

 さて落とした粟餅、餅旨い不味いか。次週が楽しみですね。


ハナコ

2025-02-04 09:59:36 | 猫自慢

ハナコ

 暦の上で春を迎えたものの、季節は逆戻りしそうですね。低気圧が北日本付近を通過した後は今期最強の寒気が7日まで居座り、四国や九州でも警戒級の大雪になる可能性があるとか。生家の上空にも寒気が張り出しており、どうなることかと心配しています。

 路面や水道管の凍結や停電も心配ですが、猫のハナコのことも心配です。年のせいかこの頃は毛繕いをしなくなり、フェルト状の毛玉ができるようになりました。櫛で梳いて後はカットするしか方法が無いとか。あんなに綺麗好きだったのに……。

 足から腹の下にかけての毛が雪のように真っ白で、人にはよく洗っているのかと聞かれました。綺麗好きで毛繕いをいつもしているので、洗ったりしたことはありませんでした。綺麗な毛並みとかわいらしい顔立ちの裏に、凄腕のネズミハンターの顔を持つハナコは私の自慢でした。

 地区の公民館の主催する文章講座に参加するようになり、書くことの楽しさを覚えた頃のことです。パソコンに向かう私の後ろで寝そべっているハナコに「きっと有名にしてあげるからね」と約束したことがあります。何度か地方紙の投稿欄にハナコのことを書いた文章が載ったことがあります。またハナコをイメージした猫が登場する小説も二つ書きました。そして今三つ目の小説を書いています。

 ところが先の二つはスラスラと書けたのに、今回は書けない日々が延々と続いています。多分ハナコが私の傍にいないからでしょう。ハナコを姉に預けたまま生家を出たので、バチが当たったのですね。

 ハナコは今生家で姉と暮らしています。台所に立ち料理する姉を、後ろのテーブルの上にあがって見ています。姉が新聞を読んでいれば上に乗って邪魔をし、我が家で一番上等の姉の羽毛布団の上で寝ています。朝でも夜でも、姉の傍にはいつもハナコがいます。きっと姉を守っているつもりなのでしょうね。

 三月になったらハナコと姉に会いに生家に帰ります。それまでハナコ、姉ちゃんのことを頼みますね。

 中断したままだった物語も、昨日やっと続が少しだけ書けました。九十歳になった私は生家の古民家でやっぱり猫と暮らしている。そんな話です。この分で行くと書き上げる頃には、本当に九十になっているかもしれませんね。