草むしりしながら

読書・料理・野菜つくりなど日々の想いをしたためます

一歳の門

2024-01-22 11:19:42 | 草むしりの子守歌

一歳の門

 先日末の娘が、一歳四ケ月になる娘を連れて遊びに来ました。家に遊びに来るのはクリスマス以来です。近くにいるのですが、それほど頻繁には会えません。

「また可愛く、なったんじゃないの」がいつもの挨拶です。ところが今回は可愛くなったには違いないのですが、孫娘の顔色がどことなくおかしいのです。

「あら、ずいぶん日に焼けたね」と言ったのですが、日焼けにしては肌の色がおかしな色です。

「どれどれ見せてごらん」

 足の裏や手のひら見ると、黄色くなっていました。前に来たときは足の裏が黄色くなっていた程度でしたが、今日は顔まで黄色くなっていました。

 ずばりこれは、みかんの食べ過ぎです。今年のみかんは甘くておいしかったからね。いっぱい食べたのかな。

 生家のある地域は昔からみかんの産地でした。親戚もみかん農家が多く、家にはいつも貰い物のみかんがありました。私も子供のころからみかんが大好きで、よく食べていました。

 炬燵に入ってみかんを食べていると止まらなくなり、気がつくと皮がひと山できていた。なんてことはよくありました。当時の私も今の孫のように、黄色くなっていたのでしょうね。

 みかん好きは私に似たのでしょうか、六人いる孫たちはみんなみかんが大好きです。そして揃いも揃って一歳を過ぎたころから、黄色くなってくるのです。

 初孫である長男の第一子やその次に生まれた長女の第一子が、黄色くなったときは驚きました。おまけに外遊びをするからでしょうか、日焼けまでしています。黄色に黒が重なり、どこか具合が悪いんのではないかと思いました。

 二人とも今でもみかんはよく食べますが、そこまで黄色くはなっていません。我が家の孫たちは一歳の門をくぐるとき、必ず黄色くなるみたいですね。一歳の門をくぐった末の娘の所の孫も、やがて黄色味が抜けてくるでしょう。来年はどん顔色をしているのでしょうか。


ハッピーバースデー

2024-01-21 07:28:30 | 草むしりの子守歌

ハッピーバースデー

 昨日は息子夫婦の三番目の子供の一歳の誕生日でした。上の二人が男の子だったので、待望の女の子です。

 ケーキの上のロウソクの火は消せたでしょうか?家族に囲まれ笑顔の孫娘の顔を思いうかべながら、私たちはすき焼きとビールでお祝いをしました。

 ハッピーバースデー孫ちゃん🎂生まれてきてくれて本当にありがとう💛ビールで乾杯🍻

 すき焼きのネギが甘くておいしくて、とても良い日になりました。

 


貰っちゃおうかな

2024-01-20 14:00:27 | 日記

貰っちゃおうかな

 先日夫宛に通販の荷物が届きました。欲しい時に欲しいものが配達されるなんて、便利な世の中になったものですね。さて、今日はいったい何を頼んだのかしら……。

 いつものことなので見て見ぬふりをしていましたら、夕食後に包を開けて中の品物を取り出しました。

 スマートウォッチと呼ばれる腕時計のような電子機器でした。この頃よく見かけますね。電子機器音痴の私が書くまでもないのですが、スマホと連携するととても便利なのだとか。

 たぶん夫は毎日の歩数を管理したいのでしょう。室内で出来る足踏みステッパーも買いました。四月からいよいよ年金生活です。通勤で歩くこと無くなります。足踏みステッパーもスマートウォッチも健康管理に上手に活用できるといいですね。

 ところが届いて四日もなるのですが、夫はいっこうに使おうとしません。どうやら色が気に入らないようです。本人はキャメルかブラウンいや、もしかしたらグレーと思ったのかもしれませんが、どう見てもあれはピンクです。

 私の方も黙っていればよかったのですが、「なんでピンクなの?」と思わず口走ってしまいました。夫の方はそれを聞いて改めてピンクだと自覚したのでしょう。テーブルの上に置いたきりです。

 ちゃんと色を確認する、かせめて私に相談してもらいたいものですね。でも今は男だから女だからという理由で、色を決める時代ではありませんね。

「男だから黒って決めつけないで、好きな色を身につければいいンじゃないの!こうゆうことは私たち年寄りから率先してやるべきよ」

 と言うのですが、もう見向きもしなくなりました。ピンクはあまり好きな色ではないようですね。

 このまま使わなければ、私が貰っちゃおうかな!ピンク好きです。

 


頼りにしてます

2024-01-18 12:49:49 | 猫自慢

 頼りにしています

 前の日に風に吹かれて寒い思いをしたので、昨日は毛糸の帽子とマフラーという出で立ちで散歩出かけました。しかし同じ晴れていても、風があるのと無いのでは違いますね。昨日は帽子もマフラーも邪魔になるくらいの暖かさでした。

 いつもの公園には、前日よりも一時間ほど早く行きました。やはり公園の人影は少なく、あれほどいた鳩や雀もいませんでした。食べ物が見つかったのでしょうか、それとも公園に来る時間が決まっているのでしょうか。

どうやら行動パタンーが決まっていないのは、私だけのようですね。今頃鳥たちはどこにいるのでしょうか。雀はとにかく鳩の群れは、夜はどこで寝ているのでしょうか。  

 以前我が家に鳩の群れが住みついたことがありました。母が亡くなって一年くらいしたころでした。ちょうど公園で見かけたくらいの群れの鳩たちが夕方になると飛んできて、屋根の上で夜を過ごすようになったのです。

 何度も追い払うのですがすぐに戻ってきて、瓦のうえは糞だらけになってしまいました。

 家には要になる人がいるのですね。我が家にとってそれは父で、父の亡き後は母でした。その母が亡くなって家の要がなくなったことを、動物は悟ったのでしょうね。

 でも悟ったのは動物だけでなく人間のそうでした。どことなく周りの人たちの態度が違ってきたりして、中にはあからさまに嫌がらせをする人もいました。

 もちろんそんな人ばかりではありませんでした。地区で一番高齢のお婆ちゃんは、いじめられていないかといつも声をかけてくれました。その言葉にどんなにか励まされたことでしょう。そして動物もまたそうです。ハナコはまさに私にとって救世主でした。

 母が亡くなってすぐのことです。鼠が我が物顔で昼間でも出没するようになったのです。でも私は鼠だけではなく人間にも負けませんでした。嫌がらせをしてくる奴には毅然とした態度で接し、鼠には猫を飼って対抗しました。その猫が我が家の飼い猫ハナコです。

 ハナコは私の気持ちを察したのか、すぐに名うての鼠ハンターに成長しました。おかげでやっとチュウ害から解放されたと胸をなで下ろしたのですが、今度は鳩が屋根に住み着いてしまいました。

 何度追い払ってもすぐに戻ってくるし、屋根の上は糞だらけです。どうしたものかと困り果てていた私の所に、ハナコがやって来たのです。ゴロゴロと喉を鳴らしてすり寄ってくるハナコの頭をなでながら、ふと思いついたのです。ハナコを屋根の上に放してみようかと。

 当時はまだ外への出入りを自由にさせていたので、高い屋根の上でも心配はありませんでした。暗くなってからそっと窓から屋根の上にハナコを出してみました。

 ハナコも私の窮地を察していたのでしょう。振り返ることなくどんどんと鳩の群れの方に進んでいきました。しばらくすると羽音が聞こえ、鳩たちは一斉に闇の中を飛び立っていました。そして二度と戻ってきませんでした。

 ハナコは我が家の救世主です。今まで何度ハナコに助けられ励まされ、力を貰ったことでしょう。これからも長生きして、我が家の守り神様になってもらいたいです。

 頼りにしています。


まだ子ども

2024-01-16 15:53:38 | 草むしりの幼年時代

まだ子ども

 昨日はほんとに寒かったですね。日中は天気が良くて家の中は暖かかったのですが、外は風も吹いていて寒かったです。午前中に近くの公園に遠回りして行き、ウォーキングコースを4周しました。前日は3週だったので、少しだけ増やしました。

 午前中の公園には元気に遊ぶ子供の姿はなく、閑散としていました。落ち葉の溜まったあたりには、鳩の群れがしきりに落ち葉を脚でかいていました。きっと食べ物を捜しているのでしょうね。

 鳩の群れに近くにには数羽の雀もいて、同じように落ち葉をかいていました。ただ縄張りがあるのでしょうか、鳩とは一定の距離を取っていました。鳩の方も決して雀を攻撃したりはしません。

 双方のリーダーが賢いのでしょうか、それとも同じところで同じ餌を獲る異種の者同士、相手のテリトリーを侵さないような気づかいが自然に備わっているのでしょうか。人間も見習わなければなりませんね。

 雀の群れを見ていたら、不意に父親との思い出が浮かんできました。

 あれは今日みたいに北風の吹く寒い日でした。学校から帰ると、父がいたのを思い出しました。その頃まだ父の仕事先には夜勤があり、たぶんその日は夜勤明けだったのでしょう。

 とても寒い日で、雪もちらちら舞っていました。当時家には内所(ないしょ)と呼ばれる炊事場があり、竈で煮炊きをしていました。竈の後ろには囲炉裏がありましたが、このころにはもう使っていなかった気がします。

 普段は学校から帰ると勝手口から入るにですが、その日は内所から入っていきました。いつも家にいない父がいたからでしょう。  

「寒かっただろう」と父はいい、温かなお湯を飲ませてくれました。たぶん砂糖をお湯で溶いたものだと思います。当時はジュースなども無かったので、よく砂糖をお湯に入れて飲ませてもらっていました。

 父はその時たぶん囲炉裏にあたっていたのでしょうね。家の中がとても暖かかった記憶があります。砂糖湯を飲んでいると、父が見てごらんと牛小屋の餌箱を指さしました。当時は草と藁を小さく切って、それに糠をまぶしたものが牛の餌でした。たぶん餌箱の中の糠を雀が食べにきたのでしょう。

 たくさん雀がいた気がします。そして餌箱から少し離れた地面には丸い竹籠が細い棒に立てかけられていました。かごの下には米がまかれ、籠を支える棒の下の方は糸が結ばれていました。

「つかまえてやるからな」

 糸を結びつけた棒を握って父が私に言いました。ごくりと息をのみ私は静かに頷きました。

 なんて馬鹿な親子でしょう。後にこのやり方ではでは絶対に鳥は捕まらないと、聞いた覚えがあります。いい歳をして父はなんて子どもじみていたのだろうと、思い出すとおかしくなってきました。

 ただ考えてみれば当時父はまだ三十そこそだったはずです。三十なんて今の私から見れば、子どもも同然です。その時父はまだ、半分子どもだったかもしれませんね。

 結局雀は捕れたませんでしたが、あの時の雀は今の雀よりも大きかった気がします。