ひろひろの生活日記(LIFE Of HIROHIRO)

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価値論

2020年08月24日 13時59分11秒 | Light Night Buddhism(光と闇と仏法)

価値論
2011年04月04日 09時42分30秒 | ぶらぶら日記
価値論

価値を生む基準の項目に「善・理・美」があったが、
現代社会では、理は複雑にシステム化(コンピュータの利用)されている為、
昔の道徳的意味での価値基準に理を上げるには無理があると感じます。
「美」についても単に美しいものを美しいと評価するかといえば、例を上げると
ジーパンでも破れているものに「美」を感じたり、個性的に成っている。
 そこで、私は価値基準を改め「善・愛・欲・悪」として見ました。
善は仏法で説く利他的行動の基準であり、
愛はキリスト教で説く自他的愛。
欲は人間に本来そなわっている欲望を示します。
悪は行って良いかと言うものではなく、悪は悪で価値を判断する上で
独立した価値観を取るべきである。
つまり、価値の発生する基準となる項目は「善・愛・欲」に成ります。
価値の評価の基準は「悪」に成ります。
それを実現する方法としては、
理があり、詳しく書くと
・律法(司法、行政、立法)
・社会システム(経済、経営、活動)
・組織・労働
・等
 複雑な、国、会社、個人の価値を実現するための手段で構成されます。
そして、価値を生むためには、資源、金、健康、自然、命と言う代価を
払わなければならない。
 本当は「人・物・金」と書くところですが具体的に人を健康、命、物を
資源、自然、情報、流通とし、金は金としました。
善の行動も
  自然保護→人命保護→社会的使命→生活活動

  自然愛→人類愛→国→地域→友人→家族愛

  知識、指導、発言、実行、実現
  我欲、美(美しい形、音楽)
  他欲があり
(幸福感についても自分中心であるが社会と一致してあり、世界と一致する)
悪は代価の評価により、命を損なうものは悪と呼ぶべきである。
いかなる善であろうとも悪はさけなければならない。
ただ、自身に対する害は、小悪と認めるが、自身を犠牲にして、
他の幸福を望むものは良いものとは言えない。
親にもらった命を粗末に扱うことは悪と言える。
悪は犯さないにかぎるが、罰的に人に制裁、それなりの代価を
要求するのは、仕方ない事と認めざるおえないところも有るが、
出きれば許す気持ちを求めたいし、
本当の罪とは自分にきざまれているものである。

以上


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