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信長と茶の湯

2007年10月13日 11時43分00秒 | 学術・教育
昨夜はTBSの『ダウトをさがせ!』という番組を見た。なんでも13年ぶりの復活らしい。色々な物からマチガイを見つける内容で、復活の背景には昨今の脳トレやAHA体験ブームなどがあるのだろう。
問題のひとつに、歴史上の人物の肖像画で本人と違う物を探すのがあった。西郷隆盛と聖徳太子がマチガイなのは知ってた。なんでも上野の西郷像の序幕の際には彼の未亡人がまだ健在で、銅像を見て「全然似てない」と言ったエピソードを知ってたし、聖徳太子(厩戸皇子)の数々の逸話が最近の研究では多くの疑問が出ているのも聞いていた。そもそも10人の話を聞き分けたなんて史実というより神話っぽい(笑)。
しかし、それ以外の人物については全く知らず、有名な頼朝像や尊氏像も別人説があるのを初めて知った。親愛なる信長像が本物らしいのは良かった(笑)。
番組を見た後で「でも、本物って何だろう?」と思う。信長像を出したついでに信長の話をする。

織田信長は多彩な趣味人と伝わる。舞楽・謡曲・美術などを好んで保護した。とりわけ熱心だったのは茶の湯で、千利休を保護して茶道を大成させた。信長所有の茶器の多くは本能寺の変で焼けてしまったが、現存する物は国宝などになっている。
だが、これは単なる趣味だったのか?と、筆者は考える。織田信長という人物は卓越した政治センスの持主だった。信長に匹敵するほどの政治センスの持主は、それほど思い当たらない。
信長が茶の湯を愛したことで、織田家臣団では爆発的茶道ブームが起きた。細川藤孝(細川護熙のご先祖様)や明智光秀みたいな文化的素養があった武将だけでなく、木下藤吉郎みたいな貧農の倅までが茶道に傾倒した。名器とされる茶器は武将たちの羨望の品となり、国ひとつの価値があるとまで言われた。事実、滝川一益という家臣は手柄の褒美に領地を一国与えると言われたが、国よりも茶器が欲しいと信長に懇願している。
思う壺かな? 信長の狙いはこれではなかったのか? と思う。
当時、武士への恩賞は土地だった。だが当然だが土地には限りがある。与え続ければやがて枯渇する。しかし茶器はいくらでも造れる。千利休が名器とお墨付きを与えれば、国ひとつを造成したのと同じだ。信長は単に酔狂で茶の湯を楽しんでいたのではなく、土地に代わる恩賞のプレミアム化として茶道を大成させたのではないか?

のちに豊臣秀吉が朝鮮出兵という暴挙を起こすが、この原因のひとつに恩賞として与える土地不足を指摘する意見がある。天下統一を果たしてしまえば、新たに奪える土地が国内にはもうない。しかし家臣に求心力を保つためには恩賞を与え続ける必要がある。そのため、新たな領土獲得を目指して朝鮮へ出兵したという。信長ならこんな愚は冒さなかっただろう。そういえば利休を切腹させたのも秀吉だった。

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