バージニア工科大乱射事件以降、銃規制の話題が取り沙汰されているが、今回も何も変わらないだろう。共和党と全米ライフル協会の関係とか、そういう問題を抜きにしても、米国民1人1人の「銃は必要」という意識が簡単に変わるとは思えない。多くの米国民は「銃を持っているから自分は身を守れている」という意識を持っている。銃所持許可がない日本人は「簡単に誰でも銃を持てるから危ない」と考えるが、それとは全く逆なのだ(尤も長崎の市長暗殺事件や町田の立て篭もり事件などを見ると、一部の業種の方々だけ簡単に銃を入手できる現状が一番危ない感じだがww)。銃を持っているから、銃撃はもちろん、より軽微な犯罪――たとえば引った繰りや暴行など――から守られていると考えている。だから銃を取り上げられるのは恐怖なのだ。この感覚、国家レベルで言うと、核保有に通じる。自国は核を持っているので外国からの侵略から守られている――というものだ。
個人は銃を持っているから他人の犯罪から守られ、国家は核を持っているから他国の侵略から守られている。まったく同じ理屈ではないか? こういう国民によって形成されている国家なのだから、米国主導の核軍縮など最初から無理な話ではないか?
個人は銃を持っているから他人の犯罪から守られ、国家は核を持っているから他国の侵略から守られている。まったく同じ理屈ではないか? こういう国民によって形成されている国家なのだから、米国主導の核軍縮など最初から無理な話ではないか?
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