証拠とは「事実・真実を証明するよりどころ。あかし。」とある。
果たして、事実・真実を完全に証明することはできるのだろうか?まずは、この出発点から考えて怪しいし、心もとない。事実・真実と思い込んでいるだけなのかもしれないし、時が経てば、事実・真実と思っていたものが間違いだったということもある。しかも、時が経てば当時の事実・真実を証明しなおすことは不可能に近い。その時の状況に戻すことはできないし、 . . . 本文を読む
山崎豊子の小説の題名ではない。 土地や気候などの条件が悪く、作物などが育たない土地のことである。放射能で汚染されている土地や砂漠などが代表で、土地がやせていて草木が育たなく、何の成果も得られないことを意味する。日本は緑豊かな国で、不毛地帯と言っても鳥取砂丘ぐらいしか浮かばないが、鳥取砂丘でさえ草木が生えて砂漠ではなくなりつつある。ことほど左様に日本の気候と風土と環境は人間が住むのに適した素晴らしい . . . 本文を読む
何でもできるAIが仮想的に実現したとして、
例えば、世界中の膨大な一流シェフのデータを集めて、これを使ってオムレツを作ったとする。出来上がったオムレツを食べた時、人間はこれを黙って食べるだろうか?私はそう思わない。これを何も考えないでそのまま食べて問題ない人はそれでいいだろうけれども、それは怠惰で妥協しているような気がしてならない。その味をこの先何十 . . . 本文を読む
トランプさんがそうである。
まだ大統領に就任していない。そうであれば今現在トランプさんが発言している内容はトランプさん個人の意見である。それなのに大々的にメディアで取り上げて大騒ぎしている。メディアももっと冷静に受け止めるべきであり、反対に誇張したり扇動したりでは世の中を混乱させるだけである。メディアの影響力をもっと考えるべきである。個人的なローカルな話は関係する人達に伝えればいいのであって、全 . . . 本文を読む
小さな幸福に感謝する毎日。
毎日が絶頂の幸福に包まれる状態が真の幸福ではない。人間は幸福を常に消費する存在でもある。そしてもっと素晴らしい幸福を求めて常に次を切望することになる。ところが、幸福は周囲から与えられるものであり、常に与えられるものではない。幸福を手に入れるためには、自分の内面の充実を図る必要がある。外に向かって幸福を追求することは、内面の充実を疎かにしていることでもあるし、すでに今 . . . 本文を読む
またまたカタカナ言葉でFair Trade のことである。 日本で使われる場合は、ほとんどが経済的な面からだけである。社会的、環境的な立場から論じられることは少ない。そして、短絡的に「フェアートレードマークの商品を買いましょう」と呼びかけている。しかし、フェアートレードマー . . . 本文を読む
どういう時に嘘をつくのだろう。 自分の考えることと違う状況になった時に辻褄を合わせるために嘘をつくようである。そのような状況に陥った時に嘘をつく衝動に駆られる。この時、嘘をつくかつかないかは個人の裁量にまかされている。通常は嘘をつかないように努力するのだろうし、嘘はつきたくないのが信条だろう。常に嘘をつく人はちょっと人格を疑ってしまう。そして、嘘をつくことはますます自分を貶めることとなる。自分の考 . . . 本文を読む
何かと言うと運動は有酸素運動が推奨される。 運動の指導を見ると、呼吸ができることを維持しながらやりなさいと教えられる。運動には有酸素運動と無酸素運動がある。勧められるのは有酸素運動である。しかし、有酸素運動だけでは寝たきりが解消できないことを知った。筋肉には速筋と遅筋がある。有酸素運動で鍛えられるのは遅筋である。無酸素運動で鍛えられるのは速筋である。起き上がったり立ち上がったりする筋肉は残念ながら . . . 本文を読む
今朝の新聞に「自民党公約案6本柱」とあった。 ①ルールを守る②暮らしを守る③国を守る④未来を守る⑤地方を守る⑥新たな時代を切り拓く、だそうである。ある意味で私は思わず笑ってしまった。これが党の公約であろうか?いや違った、これは次期衆議院選挙のための公約らしい。選挙のための公約であったらこれでいいと思っているのだろうか?あまりにもお粗末である。果たして党を挙げて議論して作り上げたものなのだろうか?こ . . . 本文を読む
人間は本来自分たちの住みやすいように自然を変えてきた。 人間が幸せに暮らせることを目的にして自然を改善し改良してきた。まずは自然ありきであったのである。ところが、何を勘違いしたのか、人間の作り出した文明で独自の環境を作り出して、その環境に自分達を合わせようとしている。何もかも人間の作り出した人工物に囲まれてその人工物に合わせて暮らさなければならないのは何とも窮屈なものであり、これを日常的に強制され . . . 本文を読む
どんぐりとは、「鈍栗」である。 本当は「団栗」が正しいようである。「団」とは丸いという意味であり、丸い栗のことを言うらしい。しかし、食べられる栗も丸いが、どんぐりとは言わない。通常どんぐりは渋くてそのままでは食べられないものを言うようだ。「どんぐりの背比べ」とは、少しの差で本質的にはほとんど差がないことのたとえである。形や大きさも同じようで代わり映えしないことから平凡で特に優れたものがないことを意 . . . 本文を読む
風評被害は福島原発事故に限ったことではない。 世界のあちこちの事件に風評被害が付きまとうし、この頃は「フェイクニュース」などと言う言葉も出現して、何が本当で何が偽物かわからないような状態が続いているし、この頃ではAIを使ったまことしやかな情報が大量に出回っているようである。ますます世の中のメディアは混沌とした状況であり、メディアそのものがその混沌を増幅し爆発寸前までにな . . . 本文を読む
お盆休みに孫達が遊びに来た。 下の孫娘がただいまイヤイヤ期である。何でもかんでも「イヤだ」「いらない」「やりたくない」「ほっといて」の連発である。最初はかまってみるが、最後はめんどくさいので、「あ、そう、わかった」と受け流すのであるが、母親にするとこれが冷たいと反対に怒られる。その受け答えに本人は傷ついているんだそうである。困ったものであるが、そう言われればそうかもしれないと反省しきりである。イヤ . . . 本文を読む
私の使っているクラシックギターのペグ(糸巻き)が故障して調弦ができなくなった。 よく観察してみると、つまみが壊れて空回りして弦を巻き取ることができなくなって音程を上げることができない。最初は耳で聞いて発見し、手の感触で空回りしていることを確認し、目で見て巻き取られていないことを確認した。ここまでが五感からくる感覚である。これをもとに脳で考えてなぜ空回りしているか考えてみる。これ以降が知覚である。た . . . 本文を読む
昔は道は大切にしたらしい。 よく時代劇で、街道を掃除したり水をまいたりしているのを見かけるが、あれが道を大切にしていた頃の名残かもしれない。現代では道は移動のための便利な施設に過ぎなくて、道を大切にする気持ちなんてあまりないし、使いっぱなしで整備は国や地方自治体に任せっぱなしである。しつけの悪い人たちは道を汚したりゴミを捨てたりすることに何のためらいもない。こんなところから公徳心や倫理や伝統が廃れ . . . 本文を読む