私と携帯電話の付き合いは長い。
携帯電話が始まった頃から使っている。最初はIDOという電話だった。乾電池で動くのだが、電池の持ちが悪くて、カバンの中には大量の乾電池を入れていて、次々に交換しながら使っていたのを今でも覚えている。電話は小型で今で言う親子電話の子機くらいの大きさだった。市街地や主要幹線道路や鉄道沿いでなければ通じなかったので苦労したものであ . . . 本文を読む
先生とは尊称である。
教える者と教えられる者、尊敬する者と尊敬される者の関係である。大阪府議会で議員に使う「先生」という呼び方を使用しない提案が正式に決定した。面白いなぁと感心することこの上ない。いったい何なんだろう。こんな決定を正式の議会で決定することに本当の意味があるのだろうか?身内での申し合わせであれば連絡文書でも回せばいいし、府民や国民に提言しようとするのなら何か違和感があ . . . 本文を読む
このブログでもよく「説明責任」という言葉を使う。
日本語でこの頃よく使われるが、歴史が浅いのかあまり意味が浸透しないようだし、意味づけも不十分な気がする。そして、ただの「説明する責任」の意味になっている気がする。本当はそうではないのである。日本語に適当な言葉がないので英語の「アカウンタビリティー」で本来の意味を確認しようと思う。たぶん、英語の「アカウンタビリティー」を日本語に翻訳して「説明責任」 . . . 本文を読む
メディアの報道を見ていると、犯人探しに躍起である。
犯人さえ見つかって、それなりの処分がなされれば問題が解決したと思っているが、そうではないと思う。時にはまだ犯人と確定していない容疑者でさえ犯人扱いである。早く犯人にして安心したいとでも思っているのだろうか?また、国民側もその傾向が強い。その期待、に応えるているのであろうか?いずれにしても、なにかおかしいと思うばかりで . . . 本文を読む