オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

科学的根拠

2024年07月23日 | Weblog
健康のためウォーキングをしている。

 もう始めてから20年以上にもなる。歩きながら常にどのように歩いたら理想的かと考えながら歩き続けている。もうそろそろ結論が出そうであるが、未だに理想を追求しながら歩いている。一生かけたら世界的にも素晴らしい成果が出るのだろうかと思ってはいるが、誰も相手にしてくれないだろう。タダの自己満足ではあるが、これはこれで私なりの現時点の結論である。自分でも素晴らしいと思っているし、機会があれば世に向けて発表したいくらいではあるが、すでに誰かが発表しているかもしれない。

歩くときに、大きな球の中で歩いている自分を想像するのである。

 球の中心は頭のてっぺんである。この球を転がすつもりで歩くのである。両脚の長さは身長の約半分であるから、半径が足らないために身体全体で補正してやらなければならない。球が転がれば、当然球の中心も前方に動く。どっちかと言うと球の中心を動かすから転がり始めるのである。頭のてっぺんが最初に前方に動かなければならない。そのためには身体が一本の棒のように伸びている必要がある。そうでないと頭がおいてかれる。顔もまっすぐ前方を注視している必要がある。

足の裏は球の円弧に沿って動かす必要がある。

 かかとから着地してつま先をけり出して理想の円弧を作り出す必要がある。円運動であるので最小の力で効率的に前進することができる。脚はけり出した後に前に振り出すが、腰から下だけでは円弧が小さくなるので、頭のてっぺんからの円弧を描くには、腰骨をひねって前に押し出すことと、腰骨自体を前方に推進させる必要がある。そのためには肩を開いて背筋を伸ばして上半身が一体となるように前方に動かし移動させる必要がある。

感じとしては両肩が先行し頭がついてゆく感覚である。

 確かに円運動は効率的であり、自転車や車のタイヤは円運動によって効率的な運動力を得ている。四つ足の動物は、前足と後ろ足のストライドと跳躍力によって駆け回ることができるが、人間は二足歩行のため、こんな歩き方になるのであろう。しかし、この歩き方も優れていて、42.195キロのマラソンが走れるのは人間くらいしかいない。それくらい効率的なのであろう。そんなことを考えながらウォーキングをし、その都度考えていたことの長年の集大成がこの歩き方の真髄である。

この考え方は何も科学的ではない。

 科学的な根拠も何もない。自分の身体で試行錯誤した結果である。でも、これはこれで私にとっては真実である。20年以上試行錯誤した真実である。是非科学的な裏付けをしてもらいたいが、考えてみると科学はいつも後付けである。一つの仮説があって、その仮説を裏付けるために科学は使用される。そうであれば、この仮説を見出すのは誰だろう。仮説を立てる人がいない限り科学は遅々として進まない。たぶんこうではないかと言う仮説を作り上げる人も重要である。

我々の生活は全てが科学の根拠を確かめながら成り立っていない。

 ほとんどが、いい加減に何となく気分で物事を決定し実行している。いちいち科学的根拠を調べながら生活していたらたまったものではない。法律や規則も同じである。ところが、科学的根拠や法律や規則を盾にして不正や不備を訴える人がいかに多いことか。しかも、そのほとんどは結果論であって、しかも不具合や不備があったときだけである。うまく行った時は何も反応せず無視するだけである。せめていい時も評価して賞賛してもらいたいし、いいことも悪いことも含めて冷静に判断すべきだと思う。

もっと科学や法律や規則ばかりを振り回さないで、

 独創的で個性的な考えを持つ人を重用してもらいたいし、その考え方を実際に実行し挑戦する人を失敗しても成功しても寛容の心で見守ってもらいたい。あまりにも刹那的で、感情的で、一方的な評価を即座に下すことは間違っている気がする。仮説を打ち出す人とは、問題点を提示する人でもある。事なかれ主義の人にとっては問題点を突き付ける人は迷惑ではあるだろうが、事なかれ主義では何の発展も期待できない。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 一部と全体の話 | トップ | 「道」について »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事