オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

風評被害(3)

2024年08月29日 | Weblog
風評被害は福島原発事故に限ったことではない。

 世界のあちこちの事件に風評被害が付きまとうし、この頃は「フェイクニュース」などと言う言葉も出現して、何が本当で何が偽物かわからないような状態が続いているし、この頃ではAIを使ったまことしやかな情報が大量に出回っているようである。ますます世の中のメディアは混沌とした状況であり、メディアそのものがその混沌を増幅し爆発寸前までになっているような状況である。それはそれとして、この状況を冷静に見守る側としては、そんなことに巻き込まれることなく、日常生活を送っている。

風評被害によって直接被害を被るのは風評にさらされる側である。

 そして、間接的に直接の被害者と関係する周辺の人達である。風評被害をもたらすのは直接関係ないその他大勢の人達である。風評被害を最初に作り出すのはメディアであり、メディアの情報をもとに根拠のない無責任な情報を意図的に拡散するネット情報である。この情報には感情的なものと理論的なものがある。最初は感情的なものであるのだろうが、そのあとに冷静に考えた理論的なものに変わってゆくのだろう。これが確実に変わってゆけば風評被害は時間が経てばなくなるはずである。

福島原発事故について考えてみると、

 未だに風評被害がなくなっていないようである。その原因を良く考えてみなければならないのだろう。未だに福島の農産物の拒否が続いている。いくら安全性が検証され、安全性を強調し、世界に訴えても依然風評被害は存在する。反対に安全だ安全だと主張すればするほど過去の原発事故を思い起こして何となく嫌な感覚が蘇って心の底に残ってしまう。理論的には理解していても感情的にしこりが残ってしまうのである。このしこりがまったくなくなってしまうにはまだまだ時間がかかるようである。

消費者がもたらす風評被害がある。

 消費者は多種多様な生産地の品物を目の前にしてどの商品を選ぼうと自由である。ほとんどの消費者は感情的な判断で商品を選び、その選択を理論的に行っているわけではない。しかも、どれを選んでも大差ない場合は、マイナスのイメージを持つものは避けてしまう。福島に対する何となく嫌な感覚が残る限り知らない間に風評被害の加害者になっているのかもしれない。消費者にとっては、日常生活に何も影響を与えないし、困ることもない。代替品はいくらでもあるのである。

市場や流通がもたらす風評被害がある。

 今現在では、福島の農産物は十分に生産されている。それなのに店頭に並ばないのである。「福島産」では売れないし、「福島産」でも売ろうとすれば、お客に対して状況を説明して納得させなければならない煩わしさがある。また、現実に消費者は福島産を買い控えするため売れないのである。売れないものを市場で扱い流通させ店頭に並べるわけにはいかない。よって、市場や流通の段階で「福島産」が扱われなくなる。この影響は未だに続いていると思われるし、この影響が消失するのも時間がかかるのだろう。

メディアがもたらす風評被害がある。

 風評被害の種をまくのはメディアであることに間違いはないだろう。なぜ風評被害になるかと言うと、状況不明のままで事実のみを伝えることもメディアの使命であり、その事実が何を意味するかはその後の経過で判明する。また一般大衆の動向を伝えるのもメディアの使命であり、一般大衆の主張は感情的であり、理論的であることは少ない。よって、事件の最初に報道される情報は不完全であり、感情的なものにならざるを得ないが、この情報がもたらす多大な影響はその後長期にわたり世間を騒がすことになる。

国による風評被害がある。

 風評被害の対極にあるのは実害である。実害と風評被害は分離して考えなければならないと思う。ところが、政府は風評被害対策をしようとしている。本来は実害の対策をすべきだと思う。実害を保障するのは実際に事故を起こした張本人である。福島原発事故の場合は、東京電力とこれを後押しした国である。国は福島原発の風評被害による損害を補償したが、これによって「福島産」の農産物の市場価格は保障費を前提にした価格に下がってしまった。これも風評被害だが、もとに戻るのには時間がかかるのだろう。

ネット情報による風評被害がある。

 この風評被害はほとんどが根拠の不明な情報であり、個人の感情的な情報であり、何かを意図した悪意の情報でもある。始末に負えないのは、ネット上で炎上に近い熱病のように爆発する情報の大本の情報がはっきりしないし特定できないことである。次々に核分裂のように肥大化してゆくが、これを止めることは困難に近い。これも時間が経って冷静に戻るまで待つしかないのだろうか。少なくとも初期の段階で対処できるような環境の整備が必要だし、根拠のない不明な情報に対抗して信頼できる根拠のはっきりした情報の発信が必要なんだろう。

いずれにしても風評被害が消失するには時間がかかる。

 風化と言う言い方をするが、風化にもいい風化と悪い風化がある。いい風化は真実でない不必要な情報が時間とともに消失してゆくことであり、真実で必要な情報が残ってゆくことである。悪い風化とは、それでも残ってしまう感情的なものであり、過去の記憶に焼き付けられたものは完全に忘れ去ることはできない。悪い風化は記憶を更新することによってなくすことができる。そのためには常に新しい情報で書き換える努力をしなければならないし、そのような情報を発信し続けなければならないと思う。
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