オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

人間関係

2006年05月31日 | Weblog
「何もやってくれない」と文句を言う人がいる。 何故やってくれないかを冷静によく考えてみると、最初はやってくれていたはずである。最初からやってくれないような人には最初から期待しないはずであり、やってくれると期待していた人がやらなくなったために困って文句を言っているのであろう。その人を変化させた理由は何だろう。たぶん過去にやっても無駄だった数々の事実があるのだろう。その経験をさせたのはやって欲しいと望 . . . 本文を読む
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拉致、日本は見捨てない

2006年05月30日 | Weblog
街頭のポスターに「拉致、日本は見捨てない」とあった。  北朝鮮の拉致被害者に向けた日本政府のメッセージである。申し訳ないけれども笑ってしまった。確かにインパクトはあるが、よくよく考えてみると何かおかしい。「見捨てない」とあえて宣言しなければならない状態が最初からおかしい。当然拉致被害者を「見捨てる」ことなんてしてはいけないし、「見捨てる」ことは最初から存在しないはずである。それを今さら否定する . . . 本文を読む
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先の見えない社会

2006年05月29日 | Weblog
今、毎朝電車で通勤している。  途中駅で乗り換えのために電車を降りるが、その時に我先に突進する人達がいる。出口付近で扉に向かって立っていると、横から身体を割り込ませて前に立とうとしている。思わず後ろに下がって譲ってしまい、ひどい時は最後尾で降りることになる。事情があって急いでいるのだろうと思っては見るが、同じ乗り換えのホームに立って同じ電車を待っている。一体なんだったのだろうと心の中で笑ってし . . . 本文を読む
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二重否定

2006年05月28日 | Weblog
昔の文書には「~ざるべからず」という表現が諸所に出てくる。  最初は違和感を持って二重否定なので「~すべし」に読み替えていたが、何かちょっと真意が伝わらない気がするのである。「~すべし」と言うと、そのものズバリを表現するが、「~ざるべからず」の場合は、「当然すべきことをしないのはいけない」と表現しているのである。真理そのものを行うのでなく . . . 本文を読む
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好き嫌い

2006年05月26日 | Weblog
あるものに憧れている人はそのものをよく知らない。  だから憧れるのである。   憧れはそのものをよく知るための入り口である。    入り口に入ったばかりは自慢したくなるものである。   自分の憧れが正しかったことを証明したいのである。  多くの場合は道のあまりの険しさに挫折し引き返すことになる。 あるものを嫌っている人もそのものをよく知らない。  だから嫌うのである。   嫌うのは別のものへの . . . 本文を読む
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TVの通信販売の不思議

2006年05月26日 | Weblog
素朴な疑問である。 テレビのチャンネルを回していると、たまたま通信販売の番組が目にはいることがある。私は見ているだけで胸くそが悪くなる。販売担当者の説明に対する共演者のリアクションが大げさでわざとらしくて嘘っぽいからである。見ていて恥ずかしいくらい魂胆が見え見えである。それを図々しくもヌケヌケと平静を装ってオーバー気味にコメントしている。「私は役者だから演じるのが仕事」と言う言葉が返ってきそうだが . . . 本文を読む
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スイッチのON、OFF

2006年05月25日 | Weblog
人間の身体は面白いものである。  どんな生物でも生まれるときはひとつの細胞から生まれる。どんなに複雑な生物でも、最初はひとつの細胞から発生している。人間だって同じである。基本的には身体のいたるところの細胞は同じ細胞からできている。ところが、身体の部位で形作られるものは異なっている。どうしてだろう。人間のひとつの細胞はあらゆるものを作り出せる能力を持っている。身体の部位によって細胞の働きが異なる . . . 本文を読む
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「無い事」を証明するのは難しい。

2006年05月24日 | Weblog
「在る事」は、その対象物に焦点をあてて証明することは可能である。  しかし、無い事を証明するには、全ての領域で無い事を確認するか、対象物が存在した証拠がないことを証明しなければならない。これは無理な話であるし、際限なく無限の領域に及び最終的には発散してしまう。最初から無い物はこの世に何の痕跡も残さないが、その無い物がどんな痕跡を残すのかも定かでないし、実世界で起こっている全ての現象が「無いは . . . 本文を読む
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諍いについて

2006年05月23日 | Weblog
周囲の人との諍いが絶えないが、その原因は些細なことである。  他人は他人であり、自分の思い通りにはならないという事をまず肝に銘じなければならない。諍いを少なくするためには謙虚であることが重要である。何でもかんでも周囲に対して自己主張する人、自己中心的な人、周囲への思いやりに欠けている人などは常に諍いが絶えないことになる。しかもその原因はほんのちっぽけなどうでもいいことである。結局はどうでもいい . . . 本文を読む
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解決する当てのない不満

2006年05月22日 | Weblog
人間のわがまま 「九つまで満ち足りていて、十のうち一つだけしか不満がないときでさえ、人間はまずその不満を真っ先に口から出し、文句を言い続けるものなのだ。自分を顧みてつくづくそう思う。なぜ私達は不満を後まわしにして、感謝すべきことを先に言わないのだろう」と作家の故三浦綾子さんは言い遺している。しかし、私は十のうち一つの不満があることに感謝したい。全てが満ち足りていることの何と味気ないことよ。進歩も発 . . . 本文を読む
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少子高齢化の不思議

2006年05月21日 | Weblog
少子高齢化の問題があちこちで取り沙汰されている。  何が問題なのかをよく考えてみると、良い所もあり悪い所もありでプラスマイナスゼロではないだろうか。なぜ悲観的な話ばかりするのだろう。そして長期的な視野に立たないで短絡的な施策に走るのだろう。「産まぬなら産ませてやろう・・・」でもあるまい。少子高齢化大いに良いではないか。少子高齢化の方向にあるならその長所を伸ばし欠点を是正して現在のやり方を少しず . . . 本文を読む
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叩く

2006年05月20日 | Weblog
この頃テレビのお笑い番組で、 何かと言うと相手役を叩く場面を多用している。お笑いの人達はプロなのだから、叩き方もリハーサルして、見ている人に感動を与える叩き方を研究しているんだろうが、見ている側は叩かれるのを目の当たりにするとあまりいい気分はしない。どう考えても暴力現場を目撃した時の「アラ!マァ!!」という感覚である。観客や視聴者に受けて面白いからやっているんだろうが、受けるからやる . . . 本文を読む
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個人識別

2006年05月19日 | Weblog
コンピュータのアクセス管理や、建物への入出門、クレジットカードやCD利用などに本人確認は欠かせない。  しかし、現段階では完全な識別技術は確立されておらず、なりすましや偽造が後を絶たない。考えてみると、完全に本人確認ができるのならば、暗証番号も鍵もICカードも要らないはずだ。本人そのものが暗証番号であり、鍵であり、IA . . . 本文を読む
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「なんとなく」の考察

2006年05月17日 | Weblog
意思決定の理由を聞かれたとき「なんとなく」と答える人が多い。  「なんとなく」の意味を考えてみよう。まずは、自分の意見の整理と分析が不十分なことである。曖昧模糊とした状態で気分的になんとなくそうではないかと判断してしまっているのである。そんな時は本来意思決定をしてはいけないのである。意思決定できないと優柔不断と思われるのと、周囲から意思決定を迫られるため仕方なく結論を出してその理由が「なんとな . . . 本文を読む
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システム神話

2006年05月16日 | Weblog
世の中何でもかんでも「システム」である。 「システム」とは一体なんだろう。広辞苑によると「複数の要素が有機的に関係しあい、全体としてまとまった機能を発揮している要素の集合体。組織、系統、仕組み」とある。例えば、茶碗と箸で食べるシステムが出来上がる。茶碗と箸が複数の要素で、これが有機的に関係しあい、食べるというまとまった機能を発揮している要素の集合体ができる。ようく考えてみると何でもかんでも「シス . . . 本文を読む
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