オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

赤信号は誰のため?

2008年09月27日 | Weblog
過去に「赤信号みんなで渡れば恐くない」というジョークが流行った。  日本人にはインパクトがあったようだ。「規律は絶対守るべきものである」という固定観念から「規律はみんなで作ったものだからみんなで破れば何も問題ない」という逆転の発想が受けたのだと思う。反対に、日本人の「規律は絶対守るべきものである」という固定観念をせせら笑ったものでもある。この固定概念は一旦みんなで決めたことはたとえ間違っていて . . . 本文を読む
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単身赴任奮闘記

2008年09月19日 | Weblog
私は九州男児で、厨房に入る習慣がなかった。 私の生い立った周辺では男が厨房をうろうろすることは恥ずかしいこととして育った。現に家庭内でも親戚でも隣近所でも男が厨房で腕を振るう姿は日常生活ではあまり目にしなかったし、食事時にはそこの主人は床の間を背にゆったり座って酒でも飲んでいた。子供であろうとも男が厨房をうろうろしてると逆に怒られたものである。男は猟や釣りに行って大物が獲れた時にこれをさばいたり、 . . . 本文を読む
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政党間連立のお粗末

2008年09月15日 | Weblog
基本的には組織はピラミッドの集合体である。  ピラミッドと言うことは、上層部が少数で下層部が大多数となる。なぜピラミッドになるかというと、みんな同じであればただの烏合の衆になるからである。それぞれ各人の地位・役割があり、各人の人格、能力・適性などに応じて責任・権限が与えられ、最終的に全体としてはピラミッド構造になる。一部の人で、このピラミッド構造を「体制」だとして拒否する人がいるが、拒否してど . . . 本文を読む
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国民に対する謝罪の方法

2008年09月13日 | Weblog
何か不祥事が起こると、その組織のトップと言われる人達が大衆の面前に現れて、  深々と頭を下げて、「二度とこのようなことのないように努力いたします」と反省の意を示す。そして、これで終わりである。これだけである。あとには何もない。質問にも答えないし、答えても「調査中です」「検討中です」「現段階では答えられません」「勘弁してください」であり、ひどい場合は「ノーコメント」と横文字を使って突っぱねる。「 . . . 本文を読む
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検察や警察の民主化について

2008年09月07日 | Weblog
戦後日本は大改革を強いられたが、検察や警察は例外であった。 大改革の目玉は新日本憲法であろうが、この中に記述されていることは、天皇、戦争の放棄、国民の権利及び義務、国会、内閣、司法、財政、地方自治などであり、どういう訳か検察や警察については直接は記述されていない。国民を取り調べ取り締まる側の過去の横暴は特高や公安などと言われいろいろな記録からも事実として伺い知ることができるが、特高こそ廃止されたも . . . 本文を読む
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死ぬことの自由

2008年09月06日 | Weblog
生きることが自由であれば死ぬことも自由であるはずである。  本人が生きたいと思えば生きることを妨げることは「人」にはできない。同様に本人が死にたいと思えば死ぬことを妨げることは「人」にはできない。ところが、生きることを妨げることは殺人や事故や人災などで案外日常茶飯事に「人」はやっているが、死ぬことを妨げることつまり、人の命を救うことは医療は別として、日常茶飯事にやられているとは言えない。こうい . . . 本文を読む
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