オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

評論家

2007年01月30日 | Weblog
人間のしゃべる言葉の解釈は難しい。  とってもすばらしいことを自分から述べたとすると、その人は自分で述べたことをすばらしいと感じているはずであり、すばらしいと感じるということは自分がその状態にないことになる。すでに自分がすばらしい状態に十分に達していればそのこと自体を「すばらしい」とはあまり感じないはずである。すばらしいことを強調すればするほど自分にそのすばらしいものが少ないことを表現している . . . 本文を読む
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メディアについて考える

2007年01月29日 | Weblog
我々はメディアは人と人をつなぐ中間の伝達機構としてとらえている。  果たしてそうであろうか。真ん中に巨大なメディアがあって、我々は砂糖の山にたかる蟻のごとくその巨大なメディアに群がったりぶら下がったりしているのではなかろうかと思えてくる。メディアが中心で我々がメディアに従属しているのである。我々が中心になろうとすれば一旦メディアから離脱しなければならないし、真に人と人のつながりを持とうとすれば . . . 本文を読む
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常人と病人との差

2007年01月28日 | Weblog
手元に自殺予防マニュアルがある。  結論から言うと、自殺願望の人間は精神的な病に冒されており、普通の一般人では手に負えない。兆候を見つけたら速やかに専門家に任せなさい。その際、勝手な素人判断で決めつけないで、おかしいと思った兆候を見逃さないように報告しなさい。ということであるらしい。 私の周りには「おかしい?」と思える人がたくさんいる。  どうしたものだろう。これを常人の異常 . . . 本文を読む
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亭主関白

2007年01月26日 | Weblog
男女7歳にして席を同じゅうせず  イスラームの国では、今だに男女を隔離する考えが残っている。女の人は公の席には全く出てこないでもっぱら家の中に閉じこもっている。女の人を見るのは町中の大衆の一人としてであり、会合やパーティーの席で見ることはないし、公の席は男ばかりしかいない。当然夫婦や家族でない限り男女二人で同じ部屋に同室したり、車に同乗したりはあり得ない。 イスラームの国で会社 . . . 本文を読む
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人間ドックで思ったこと

2007年01月25日 | Weblog
人間の体重を60kgとすると、  水分が約40kg、脂肪が約10kg、残りの約10kgが骨や肉や皮膚等の固形物だ。改めて思ったことは水分が多いことだ。約7割が . . . 本文を読む
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政治が自分たちの手で変えられないという幻想

2007年01月24日 | Weblog
政治は当然国民である自分たちの手で変えられるのが本来の姿である。  自分たちの手で変えられない政治はもはや国民のための政治では有り得ない。国民の意志を反映して政治は成り立つ。日本人はどこで政治が自分たちの手で変えられないという幻想に取り憑かれたのだろう。 個人個人の生活環境の中に、個人で自由に意見発表し、  意志を表明する場が少ないんだろう。そして周囲に対する個人の影響力が少ないんだろう。 . . . 本文を読む
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タレント議員

2007年01月23日 | Weblog
宮崎県知事にそのまんま東氏が当選した。  どう考えても知名度だけで当選したとしか思えない。マスコミの申し子である。しかも知名度だけで実力にしても実績にしても県知事としての資質と能力には程遠いものがある。私は宮崎出身で県知事選に興味もあったが、そのまんま東氏に関する情報はコメディアンであることと週刊誌を騒がせたことくらいしか知らない。 それでは、外の候補者を知っているかというと、  外の候補 . . . 本文を読む
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宮中歌会始めの不思議

2007年01月17日 | Weblog
宮中歌会始めの様子がテレビで実況放送されていた。  見ていると、みんな神妙な顔をして和歌をそれぞれ披露し鑑賞している。厳かと言えば厳かだが、もっと感動や表情があってもいいのではと思う。みんな裁判の被告席に立ったような顔をしてまるで埴輪の土像のような表情である。少なくとも和歌を鑑賞し鑑賞してもらうのなら依頼と感謝と称賛の表情と仕草ぐらいは許されるのではないかと思う。 歌会始めはもっと和やかで大 . . . 本文を読む
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醒めた生活

2007年01月14日 | Weblog
この頃、無性に孤独感を感じる。  何をしていても冷静な自分がつきまとう。冷静な自分を忘れて熱狂できる時もあるが、終わってしまうと平常の醒めた自分しかなく、いったい何だったんだろうと半分後悔と反省を思い起こしてしまう。通常は熱狂するまでに至らず、淡々とした気持ちのままで物事を実行している自分が見えてしまう。周囲の反応に合わせてこじんまりとまとめてしまうため、出来上がりも標準的であり盛り上がりに欠 . . . 本文を読む
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自主性に任せる幻想

2007年01月13日 | Weblog
世の中何でもかんでも自主性に任せるのが最良の選択だという風潮が強い。  自主性の持ち主は個人である。要は個人の自由にするのが理想的な解決策だと主張している。果たしてそうだろうか?個人の自由にしてしまったらバラバラでメチャメチャになってしまうのではないだろうか。「自主性に任せる」と主張する人達は、その前提として任せた本人が常識的な日本人であることを期待している。よって自主性に任せる . . . 本文を読む
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差別語

2007年01月12日 | Weblog
差別語なるものがあるらしい。  男と女を差別するもの、身体障害者を差別するものなどであろうか。そこで差別語をなくして別の言葉に言い換えようという動きがあって、すでに実行されている。そもそも、「差別語」なるものはどのようにして生まれたのだろう。最初から差別するために生まれたのか、それとも現実を忠実に表現した言葉が差別に用いられたのか、それとも理不尽に差別された過去の歴史の中で象徴的な差別語として . . . 本文を読む
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不言実行

2007年01月11日 | Weblog
物を言うことは自分から他人に対して行われる。  自分に対して言い聞かせている部分もあるのだろうが、基本的には他人に対する意思表明が主体となる。他人との関わりにおいて必要なことを約束するために言葉を交わすのは理解できるが、自分のことについて「いついつまでに何をする」と宣言する時、その人は何を期待しているのだろう。宣言しなければ自分が不安になるのか、宣言することで自分に強制力を働かせているのか、自 . . . 本文を読む
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必要十分条件

2007年01月10日 | Weblog
「AのためにBを実行する」という人と、「Bを実行することはAに反している」という人がいる。  AとBの関係をはっきりさせないと議論は全く噛み合わないし、真っ向から対立するだけで反発することはあっても歩み寄ることはない。AとBの関係が必要条件なのか必要十分条件なのかの議論なら、果たして十分条件だけで十分なのか、必要十分条件である必要があるのかを検討をすればいい。意見の差は「必要条件」と「必要十分 . . . 本文を読む
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職人

2007年01月08日 | Weblog
この前九州を旅行した。  車を使って移動したが、あちこちに立派な道の駅ができている。休憩を兼ねて立ち寄って、その土地の名産物や郷土品を見るのが楽しみでもあった。そんな中で、手作りの民芸品を作って出している人の話を直接聞くことができた。売値が一個500円で、丹精込めて作っているためか評判が良く毎日売り切れになる。たくさん作ればいいと思うが、体力と集中力を . . . 本文を読む
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忠告・注意と小言・不平

2007年01月07日 | Weblog
今単身赴任中だが、たまたま家に帰ると、一挙手一投足について家族の小言と不平がつきまとい困っている。 片っ端から突っつき回される感覚である。何をしても文句を言われるし、その後は不平タラタラである。多分招からざる迷惑な異端者と思われているのであろう。残されている家族には家族なりのやり方が定着していて、それをいちいち乱すために文句を言われるのであろう。文句を忠告や注意と思えばまだ救われるが、どう考えても . . . 本文を読む
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