オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

犬と人間の関係

2006年10月31日 | Weblog
テレビを見ていたら犬のしつけ訓練について専門家の話があった。 ひとつは、犬は集団生活するのが基本なので、子犬の頃から集団の中で思う存分遊ばせるのが重要だそうである。遊びの中で集団生活に必要な暗黙の知識を習得するらしい。現在の犬はペットとして人間の家でほとんど単独で飼われるため、集団でのルールを習得する機会がなく、例えば遊びとしての甘咬みの程度が解らないで人間に噛みついて怪我をさせてしまう。集団の中 . . . 本文を読む
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プロフェッショナル

2006年10月26日 | Weblog
プロは余裕を持っている。 我々端から見ていると、プロは限界ギリギリの挑戦をしているように見えるが、本当のプロはそんな冒険はしない。冒険するとしても時と場所をわきまえて必要もないのにむやみやたらに挑戦することはしない。にわかプロや見せかけプロ、似非プロは、やたらと限界に挑戦し、無謀な冒険を試みる。それがプロだと思い込んでいるし、それをやらなければプロではないと思っている。冒険はするくせに、基本的なト . . . 本文を読む
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便利そうで不便なカードリモコンキー

2006年10月23日 | Weblog
妻が車のカードキーを持っていったので、マスターキーで車に乗った。  乗る時はドアキーを入れてからドアを開けてキーを差込み電源を入れるまで6秒でやらないと警報が鳴り出す。ところが、キーが入りにくいし、入っても引っかかって回らない。この方法は販売店に聞いても解らなくて、あちこち調べ回ってやっと見つけた。間に合わないと持ち主が泥棒扱いにされる。本来、カードリモコンキーで乗る前提で設計されているのである。 . . . 本文を読む
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金の亡者

2006年10月22日 | Weblog
金のためにやりたくもないことをやることは恥ずかしいことである。 人間は何人からも一方的に強制させられることはない。あくまでも自発的に行動する。イヤなことはイヤと拒否することができる。そのような自由が与えられているのが自由主義社会である。自発的な行為を促すものはその行為自体の価値であり存在意義である。行為自体の価値や存在意義がなくても代償として金を得ることができれば何でもするという集団がいる。本来で . . . 本文を読む
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やっていいこととやってはいけないこと。

2006年10月15日 | Weblog
世の中にはやっていいこととやってはいけないことがあるが、どちらの領域が大きいのだろう。 生まれたばかりの子供は自然のままであり、人間社会を知らない。やっていいこととやってはいけないこととは人間社会が作り上げた決め事である。よって生まれたばかりの子供はやる事なす事「やってはいけないこと」ばかりである。まずは人間社会の先輩たちは生まれたばかりの子供に対しては「やってはいけないこと」を教え込まなければな . . . 本文を読む
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甘えと我慢

2006年10月09日 | Weblog
子供が「喉が渇いたジュース飲みたい」とおねだりした時、  親の対応は、「はいはい」と要求通りに買い与える、「我慢しなさい」と拒絶する。要求を無視する等があるだろう。常に要求通りに買い与えるのも問題だし、常に拒絶するのも問題だし、常に無視するのも問題である。じゃあどうすればいいのか。答えは、対応はその時その場の状況によって変わり、答えはひとつではないのである。親はその時その場の状況を自ら判断して . . . 本文を読む
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フロンティア精神とゼロサム社会

2006年10月08日 | Weblog
「フロンティア精神」とよく言われ、新天地を開拓するのがフロンティアであるが、  新天地がなくなったら何を開拓するのだろう。また、未開の地の先頭を走る者は確かにフロンティアであるかも知れないが、それに続く多くの人達はすでにフロンティアではない。それなのに、全ての人に対して「フロンティア精神」が全ての拠り所となるという言い方は完全ではない。精神の一部に「フロンティア魂」を持つ必要はあるが、全てに対 . . . 本文を読む
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公共のルール

2006年10月05日 | Weblog
現代の人間社会の中での立ち小便や野グソは恥ずかしいが、 公共の場でゴミを捨てたり座り込んだり大声で騒いだりするのは恥ずかしくないようである。基本的には原始的であり、社会生活のルールを無視していることには変わりない。自然界の中で原始的な生活をする場合は立ち小便や野グソも認められ、どこにゴミを捨てようとどこに座り込もうと雄叫びをあげようと特に問題ない。人間の生活は自然の一部であり他の動物と同等に扱われ . . . 本文を読む
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