「仏の顔も三度まで」「三度目の正直」と言う言葉がある。
良い事をするにしても、悪い事をするにしても三度目が重要であるらしい。ただし、三度目までが許されるのは善悪の判定がはっきりできないことではないか。一度目二度目で善悪の判断が簡単につくものは三度目まで到達する必要はないだろう。どんなものでも三度まで許されると思うのも間違いであるようだ。そして、良いことは何度やっても誰も非難することはないし、 . . . 本文を読む
マジックのタネを明かせば「なぁんだぁ」と納得し最初の感動は消える。
タネを明かさない限りいつまでたっても「どうしてだろう?」「不思議だなぁ!」と言う気分を味わうことになる。人間は「どうしてだろう?」「不思議だなぁ!」と言う気分を楽しんでいる部分がある。私もマジックが好きだが、大掛かりなものや、複雑な仕掛けを必要とするものはあまり好まない。 . . . 本文を読む
ruleは専制的な力を持って規制するものであるが、
governは中立的で、どちらかというと民衆を先導するような感じを受ける。どちらを適用するのが望ましいかと言うと見方と考え方の違いだろうが、概念的にはgovernが上位でruleがgovernを実行するための細部の決め事のような気がする。日本の風潮としてはruleは良く聞くし目にもするが、governはあまり聞かないし見ない。
世の中が専 . . . 本文を読む
言われないとやらない人達が増えている。
言われないからやらないという。言われないまではやる必要がないと思っているし、言われないのにやるのは損だと思っている。その人達の行いをよく見てみると、結局は自分からは何もしないのかと思いきや、自分のためになって、自分が得をすることは他人を押しのけてでもやろうとする。自分の感性に沿わない事はまるで無関心である。他人は利用するものであって、利用する以外は他人 . . . 本文を読む
中学時代からの友達が亡くなった。
最後の最後まで、病院での闘病生活を送った。20年前にガン摘出手術をして、健康になったと本人も思っていたが、半年前くらいに再発したようだ。風邪をこじらしたまま、熱が下がらず微熱が続いて、近所の医者からは「再発」の言葉はなかった。本格的に病状が悪化して精密検査してもらった時は手遅れだったようである。その時彼は2ʌ . . . 本文を読む
私は政治家は本来ボランティアであるべきだと思っている。
民間においてもバリバリの有能な人物が一定期間国のために奉仕して国を良くし正しい方向に導く仕事に従事してもらうのが本来の姿ではないかと思う。そこには利害も得失もなく純粋で理想的な「仕事」ができる。そして、その実績は政治家を辞職した後の職業にも反映され個人の能力として評価される。また、その成果は国のために奉仕し尽力して多大な成果を残したとし . . . 本文を読む
地震の時に市長さんがゴルフと宴会で不在だったことが責められている。
マスコミの前で神妙に頭を下げて陳謝している。私は何で謝るのか理解できない。開き直れるくらいの根性が欲しい。市長がいなくても代行の者が整然と対応できるような態勢にしていれば何の問題もないし、市長が居なければ緊急時正常に働かない組織は何の役にも立たない。だから、市長がたまたま居なくても何も問題ないはずである。
たぶん、話題の市 . . . 本文を読む
情報共有と情報保護は相反する機能である。
それなのに同時並行的に必要性が求められている。情報共有すればするほど情報保護ができなくなり、情報保護すればするほど情報共有が阻害され利便性は格段に悪くなってくる。しかも、共有すべき情報は重要な情報でなければ意味がないが、重要な情報ほど保護しなければならない必要性が出てくる。全ての人に共有されることを許された情報は既に情報の価値がない。
情報共有と情 . . . 本文を読む
規則には必ず例外がある。
例外のない規則はない。反対に例外のない規則はおかしい。全て例外を認めないような規則は原則に反している。そして例外については個別に対応すべきなのである。規則はあくまで標準となる規範であって、標準でないものまでを規則化することは許されない。それは一部の人の横暴であり、規則は全ての人が了解した上で成り立っている。
ところが、全ての例外をなくそうという雰囲気がある。
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自然に死ぬ場合は選り好みはなく何人に対しても平等である。
善人であろうと悪人であろうと、老若男女に関係なく、貧富の差も貴賎の差も、天才であろうと凡人であろうと何のえこひいきもなく死ぬ時は死ぬ。自業自得の部分もあるが、死は万人に平等であり、死を免れる者はない。生きとし生ける者すべてに死は遅かれ早かれ訪れる。
神(自然)は常に平等である。
すべての者に生きる機会と必要性を与え生かされる。善 . . . 本文を読む
人はなぜ旅をするんだろう。
旅なんかせずに、同じ場所に留まって居ればいいではないか。その方が変化がなくて安全だし無駄もなく効率的である。それでも人は旅をする。旅をすることを夢見るし、新天地に思いを馳せて憧れる。人類発祥の時から、いや生物発祥の時点から旅は続けられている。
植物だって旅をする。
枝を張って根を張って伸びて行くし、種を飛ばすし、風にまかせて飛んで行くし、動物に運んでもらう。 . . . 本文を読む
戦争が悲惨なのは解る。
しかし、悲惨な部分だけを見るのは冷静な判断を誤る。戦争は悪だと決めつけるのも真実ではない。少なくとも戦っている者同士は正義のために戦っているのであり、世界の平和のため自国の安全のために戦っていて、悪のためでも世界を不幸にするためでも自国を災難に導くためでもない。結果として犠牲を強いる部分もあるが、それは全体の一部であり、戦争の目的が完全に果たされなかったわけではない。 . . . 本文を読む
反体制は体制を越えられない。
体制を批判しているばかりの反体制は永久に体制を越えられない。批判した部分が改善されたにしても、体制が改善されただけで、かえって体制を強化している。どう考えても体制を倒せるほどの力は期待できない。もし、体制を倒すつもりなら体制と同等のもしくは体制以上の魅力と実力と可能性を備える必要がある。
歴史上で改革が起こったのは、
体制批判の部分もあっただろうが、それ以 . . . 本文を読む
「謝った=罪を認めた」という意味でよく言われる。
しかし、ちょっと誤解しているようにも思える。この言葉をそのまんま信じれば、安易に謝ってはいけないことになる。決して謝らないことが世界の常識ではなく、適時必要な時に謝ることが世界の常識である。お互いに謝意を持って譲り合う社会が先進的であり、人間としても紳士的である。この頃日本で礼を失した人類がはびこっているが、失礼に対しては謝るこ . . . 本文を読む
12歳の少年が幼児を殺した事件があった。
細部マスコミで取り沙汰されていたが、どう考えても事故ではなさそうだし、怒りや恨みでもなさそうである。淡々とした平静状態で日常生活の延長として結果として殺人を犯している。原因は何だろうと考えてみるが、単純に言えば、「人を殺してはならない」ということをしっかりと教え込んでなかったのではないかと思う。自分と他人の関係で他人から殺 . . . 本文を読む