「徒労サイクル」という言葉がある。
車で言うところのアイドリングみたいなものである。アイドリングといっても全力を尽くしたアイドリングである。いつでもどんなことでも対応できるように準備し何かがあったら即座に反応できる状態を維持することである。これには多大のエネルギーを使用する。しかも、何もなかったら、それこそ「徒労」に終わる。これは必要な無駄である。
人の脳は、
活動が活発な覚醒時も休止 . . . 本文を読む
何か不祥事が起こると、その組織のトップと言われる人達が大衆の面前に現れて、
深々と頭を下げて、「二度とこのようなことのないように努力いたします」と反省の意を示す。そして、これで終わりである。これだけである。あとには何もない。質問にも答えないし、答えても「調査中です」「検討中です」「現段階では答えられません」「勘弁してください」であり、ひどい場合は「ノーコメント」と横文字を使って突っぱねる。「 . . . 本文を読む
生きることが自由であれば死ぬことも自由であるはずである。
本人が生きたいと思えば生きることを妨げることは「人」にはできない。同様に本人が死にたいと思えば死ぬことを妨げることは「人」にはできない。ところが、生きることを妨げることは殺人や事故や人災などで案外日常茶飯事に「人」はやっているが、死ぬことを妨げることつまり、人の命を救うことは日常茶飯事にやられているとは言えない。こういうことは珍しくて . . . 本文を読む
かつて日本の住宅は「ウサギ小屋」であると言われたことがある。
この頃はあまり騒がれないが、以前は日本人自ら自虐的に面白がって取り上げたものである。日本の住宅を「ウサギ小屋」にしたのは日本国政府である。この「オクトシティー正直村」の熱狂的な読者(いるわけがないが・・・)は「またはじまった」と思われるかも知れない。なんでもかんでも「日本国政府」の責任である。しかし、一 . . . 本文を読む
我が家にも狭いながら庭がある。
この庭に野鳥が訪れ庭木の上や草むら(自然に任せているので雑草がはびこっている)で遊んだり餌をとったり休憩してゆく。そのおみやげというわけでもないが、庭のあちこちに鳥の糞に混じった木の実が発芽し育っている。何かの縁でせっかく我が家で芽を出したのだからとそのままにしていると、ずんずん伸びて今では桜(4本 . . . 本文を読む
私の住んでいる近くで蛍を見ることができる。
是非見に行ってみたいと思っている。しかし、その場所は毒ヘビの「マムシ」が出ることでも有名である。かつて昼間にタケノコを堀りに行った時、私の足下で「マムシ」を見つけたことがある。木の棒で頭を押さえてペットボトルに入れ、集会所の近くで見せ物にして近所の人達に注意喚起を促した。このマムシは型は小さかったが「赤マムシ」と言われる種類で、猛毒を持ち、その道の . . . 本文を読む
マスコミの報道を聞いていると、
思いこみが激し過ぎるのではと思われる場面に多々でくわす。基本的には現在進行中の事件は真相は解らない場合がほとんどである。過去の重大事件でさえ真相が解らないままになっているものが多い。そして、「科学的」に考えると「ほんとうの真相」は最後まで解らないというのが事実である。真相に近い結果をもって公式発表としているだけである。ましてや、毎日際限なく発生している中小の事 . . . 本文を読む
日本国経済を自由化せよという論調がある。
しかし、個人生活において考えてみると、社会生活における個人経済を自由化すべきだという意見は聞かない。すでに個人の経済は自由化されており、国の経済はまだ自由化されておらず閉鎖的な状況にあると言うのだろうか・・・。そして、自由化することが理想的であり、自由化することですべての問題が解決するとでも言うのだろうか・・・。どうもよくわからない。
自由化する . . . 本文を読む
物事の一番最初は良いのか悪いのかわからないところから始まる。
ある段階でこれを「悪い」と判断して止めてしまっては、ほんとうに悪いのかがわからないままで終わってしまう。当然周りの人が悪いと勝手に判断を下して強制的に止めさせるのも発展的な思考を阻害するものである。他人に迷惑をかけない限り良くても悪くても自由に扱われるのが基本であり、勝手に決めつけられた物事そのものの善し悪しではなく、他との関係で . . . 本文を読む
この頃の音楽ソースは音質も良いし雑音もなく演奏も完璧である。
しかし、何となく近寄りがたいような他人行儀な自分と違う世界にあるような違和感を持つのは私だけであろうか・・・。あまりにも完璧に高度で複雑な電子機器を駆使し、しかもスタジオで人工的に造られたものであるためであろうか・・・。音楽は音色や旋律やリズムだけではない。結局は音楽を通じて伝えるのは「心」である。あまりにも完璧に造られ過ぎたも . . . 本文を読む
ずっと以前に、職場の近しい人が入院した。 心臓を動かしている冠状動脈が詰まっているための血管のバイパスをするという緊急大手術である。医者も私たちもまさかそんなに重病だとは思ってもいなかったのである。当然定期健康診断でも異常なしであった。本人は急激な運動をすると心臓が苦しいという自覚症状はあったが、通常の生活には何も問題ない程度だったという。 ところが、血縁者の中に心臓病でなくなった方がおり、 症状 . . . 本文を読む
今年も8月15日が来る。 この日が近くなると、戦争の悲惨さを忘れないように、風化させないようにと言う特集番組があちこちで行われる。何も戦争が過去のものになったわけではなく、現在でも世界のあちこちで戦争は行われている。それを我々日本人は自分のこととして実感していないだけである。過去に自分のことととして実感した日本人の人達は高齢となり、語り継ぐ者も少なくなったし、現代の戦争を知らない世代はあえてこの . . . 本文を読む
考えてみると、通信と電力は形態的に似ている。
電力も電線を使うし電線の中を通るのは電気である。違うのはこの電線の中を通るのが「情報」か「電気エネルギー」かの差である。情報を生み出すのはコンピュータであり「電気エネルギー」を生み出すのは発電所である。通信の発達によりコンピュータネットワーク技術が飛躍的に向上し爆発的に普及拡大している。このコンピュータネットワーク普及の恩恵にあずかり「電力」も . . . 本文を読む
私は子供の頃、変に好奇心が強い性格であったようで、
時計やラジオなどを分解するのが大好きであった。家にあった時計やラジオは一度以上は「分解」の試練を受けたと思ってもいいくらいであった。昔の機械は簡単でたいていはネジ回しひとつで分解できた。分解が終わると組立であるが、たいていは組立に失敗し、動かないもしくは鳴らないという状況になる。そこで「修理」が始まる。なぜ動かないのかなぜ鳴らないのか一生懸 . . . 本文を読む