前に未開の地の人達の数の数え方について書いたことがある。
数字の不思議
一つ、二つ、の次の三つ以上はすべてたくさんで済ましてしまうそうである。私とあなたがいてその周りの者はまとめてたくさんなのである。私が「1」であなたが「2」でそれ以外はたくさんの集団に過ぎないと考えているのだろう。確かに面白い考え方であり、幼い子供たちと会話していると、この数え方を念頭に置く . . . 本文を読む
お盆休みに孫達が我が家に帰ってきた。
まだ幼いために、家の中は危険が一杯である。いろんなものを部屋からなくして、危険と思われる物は別の部屋に避難させて孫達を迎い入れた。ただし、扇風機は残したままだった。当然のごとく孫達の興味の中心となった。孫達の家はエアコンが利いていて扇風機なんてない。珍しいようである。
扇風機の羽根に興味があるらしい。
スイッチを入れて回り始めると触りたくて手を入れよ . . . 本文を読む
何故死が怖いのだろう。
考えてみると、他者とのつながりが失われることの恐怖なのではないかと思う。お互いに共感していた感覚がなくなることに不安を感じているのではないかと思う。人生をかけて作り上げたたくさんの人達との関係が全て清算されることに恐怖を覚えているのかもしれない。自分が何のために生きているのかのすべての成果が無に帰することに不安を感じているのだろう。自分が何のために生きてきたかの中身が全 . . . 本文を読む
標準偏差について過去に記述したことがある。
「偏差値に基づく成績管理は悪くない」 である。
家でコロナ禍のために自宅でオリンピックのマラソンを観戦していたら、各人が自分の実力で競争をすると、競技者の形状は縦長の一直線上になる。各人の実力に応じて縦長に整列するのである。ここで、先頭グループが実力をセーブすると形状は団子状になる。遅いグループが先頭が確認できると発奮して前方に詰めるためますます . . . 本文を読む