何でもできるAIが仮想的に実現したとして、
例えば、世界中の膨大な一流シェフのデータを集めて、これを使ってオムレツを作ったとする。出来上がったオムレツを食べた時、人間はこれを黙って食べるだろうか?私はそう思わない。これを何も考えないでそのまま食べて問題ない人はそれでいいだろうけれども、それは怠惰で妥協しているような気がしてならない。その味をこの先何十年も食べ続けることができるのだろうか?「今日の気分としてはもっと塩気が欲しいな」「調味料がイマイチだな」「もっと半熟気味がいいな」「明日はお大事な客さんがあるのでもっと高級な卵を使いたいな」などと文句を言うのだろう。
実は、この文句の部分が人間の果たす役割である。
黙って提供された料理を食べている人は、人間としての仕事をしていないことでもある。AIが万能でなんでもできるのであれば、もっともっと要求を出して文句を言えばいいのである。AIが作り出した一般的、標準的なものが完成形ではないのである。そこの部分が人間のやるべきことであり、AIに指示を出してより自分の要求に合ったものを創り出す努力をしなければならないのである。たとえ世界最高峰の一流シェフが作ったオムレツであっても、一人の人間としては何某かの不満があるものである。
AIが作ったものにはさらに文句を言いたくなる。
一流シェフにはなかなか文句は言えないが、AIにはいくらでも文句を言える。それがAIの便利なところでもある。大いに自分の要求に合致したものを作り上げる努力をしたいものである。外食する時でも、あの店がうまい、この店はまずいと言っているが、それは比較検討の結果であり、うまいと思っている店が本当にうまい訳ではない。ある程度で妥協しているだけである。もっとおいしい店はどこかにあるはずである。その基準は自分が持っていて尺度は日々変わっているのが通常である。
そう考えてみると、AIの進化で人間の仕事がなくなることはない。
かえって仕事は増えると思う。すべてをAIに全面的に任せれば確かにやることはなくなって、人間はAIのできない部分の仕事しかできないだろうが、AIありきであってもその結果に対して人間のやるべき仕事は際限なく存在する。結果をより良いものにするためには、現状に合致したものにするには、将来的なことを考えれば、倫理的なことを考えればなど、いくらでもやる仕事はある。その分の仕事を省略しているだけである。AIの出した結論は過去のデータに基づいた一つの考え方に沿った結論であって、最適でもないし、現在の環境に合致したものでもない。
また、オムレツの話に戻るが、
世界中の一流のシェフが、AIの進化によって仕事を失ったとして、シェフ業をやめてしまったらどうなるだろう。新しいレシピは生まれないし、斬新な作り方のオムレツも登場することはない。データの更新もなく、その後は昔のデータに基づいたオムレツしかAIは作れない。人間も変わり映えのしないオムレツしか食べられなくなる。本当にそれでいいのだろうか?違うだろうと思う。ただ、AIの進化にかこつけて人間が手抜きをして新たに考えることをやめてしまっているだけであり、やるべき仕事を放棄しているだけである。
一流シェフでも外食でもAIでも自分好みのオムレツが食べれないなら、
自分で作るしかない。自分で作るオムレツの作り方はAIには理解できない。そのレシピは本人の頭の中にしかないし、頭をかち割って中を覗くわけにもいかないし、本人もどのようにしてオムレツを作ろうとしているのかも不確かである。本人が試行錯誤しながら作り上げていくのだろう。そうして自分の理想に近いオムレツが出来上がるのだろう。たぶんそのオムレツは世界に一つのものだろうし、独創的なものでもある。これこそが人間のやる人間らしい仕事であるはずである。
こう考えてくると、
やはり、AIの結論をを一方的に真実として信じ込むのは間違っている。全く嘘ではないが、改良の余地が必要な素材にしか過ぎない。素材だけで勝負する人と、素材を改良して勝負する人とどちらが有利で勝利するかは目に見えている。人間のやる仕事はこの部分であり、AIの活動領域が拡大していけばいくほど人間の仕事は増大することになりそうである。また、AIを育てるのも人間の仕事で、改良された新しいデータと処理方法を作り上げてゆくのも人間の仕事である。結論として、AIが進化しても人間の仕事は増大こそすれなくなることはないと思う。ただ、改革は起こるだろう。
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