西向きのバルコニーから

私立カームラ博物館付属芸能芸術家研究所の日誌

北校舎 20

2006年02月06日 17時48分00秒 | 小説
 加頭は、亡くなった大宅と同じ団地に住んでいて、大宅とは幼なじみ。もう一人の浜口は、医者の息子である。ちなみに後に判ったことであるが、この浜口の姉は、浩人の兄、満保と同級生であったらしい。加頭も浜口も性格は明るいが、真面目タイプでやや大人しいめのグループに属しており、浩人もやがて、自然とこのグループに属すことになっていった。
 学校へ行くのが楽しみになった。早退するのが勿体なくなって、午後からの授業も出るようになった。昼休みに独りで弁当を食べていると、加頭が寄ってきて「一緒に食べよう」と言う。浩人は、そんな遠足やオママゴトみたいなことはしたくもなかった。だが加頭は、嫌がる浩人の机を無理やり皆の所へ引き摺っていった。男同士五、六人で向かい合って飯を食うなんて、何か気持ちが悪かった。けど、新しく親しい仲間ができた実感は、本当に気分が良かった。
 友達とは話をするだけでなく、体も動かした。机を二つくっ付けた即席の卓球台と、素手のラケットで卓球もした。グラウンドに出て、サッカーもした。体が弱いのが原因で留年をしたと聞いていた皆は、スポーツする浩人に驚いていた。中でも一番驚いたのは白川先生だった。
「えっ。栗栖君がサッカーしてるか? 大丈夫なんかいな?」
 目を丸く、びっくりして大きな声をあげた先生に、浩人は平気な顔で頷(うなず)いた。なおもグラウンドを走り回る浩人を見ながら、白川先生は一度丸くした目を今度は細め、また顔を皺だらけにして笑った。

 加頭や浜口ら近しい友達は、浩人のことを「栗栖君」と、君付けで呼んだ。他の連中は「栗栖」と呼び捨てにした。初めの内はこの連中の呼び捨てに、ムッとしたこともあった浩人であったが、自分はもう彼らの先輩ではなく、同輩になったんだと思えば、腹も立たなくなり、距離感のない敬称略は、むしろ嬉しくもあった。

(続く)