😄 皇室関連で【速報】出すなら、このくらいのニュースでなくては。
【速報】秋篠宮ご夫妻が12月にトルコご訪問 国交樹立100年記念の節目
9/13(金) 17:22配信 FNNプライムオンライン
秋篠宮ご夫妻が12月上旬、トルコを公式訪問されることになりました。
宮内庁によりますと、日本とトルコは、国交樹立から100年の節目にあたり、ご夫妻はトルコ政府からの招待を受け、12月上旬に公式訪問されるということです。
ご夫妻のトルコ訪問は今回が初めてで、政府専用機を利用して1週間程度滞在し、大統領への表敬や記念行事などへの出席が調整されています。
ご夫妻の外国への公式訪問は去年9月のベトナム以来です。
※トルコ政府からの招待 補足
(読売新聞)
8月下旬に同国政府からご夫妻あてに招待があった。
(テレ朝NEWS)
8月下旬に東京のトルコ大使館から外務省に秋篠宮ご夫妻宛ての招待の書状が届けられたということです。
トルコの国花はチューリップ
4月26日 紀子さまが金沢大学病院を視察された際に病院へ贈られた造花
日本とトルコ、国交はこのように始まった。
日本とオスマン帝国との間では1887年に行われた小松宮彰仁親王夫妻のイスタンブール訪問を契機に皇室儀礼関係が始まり、アブデュルハミト2世は明治天皇に勲章を奉呈するためにエルトゥールル号を日本へ派遣することとなった.
エルトゥールル号は船体の整備を受けたうえで1889年7月14日にイスタンブールを出港し、数々の困難に遭いながらも航海の途上に立ち寄ったインドやインドネシアなどのイスラム諸国で歓迎を受けつつ、11ヶ月かけて1890年6月7日にようやく日本へ到着した。横浜港に入港したエルトゥールル号の司令官オスマン・パシャを特使とする一行は、同年6月13日にアブデュルハミト2世からの皇帝親書を明治天皇に奉呈し、オスマン帝国最初の親善訪日使節団として歓迎を受けた。
エルトゥールル号は艦齢26年の老朽艦だったうえ、補給品の不足や乗員の経験不足などもあり、そもそも極東行きの航海自体も海軍内部に反対意見は強く、日本にたどり着いたこと自体が大変な幸運だとみられていた。そして出港以来、蓄積し続けた艦の消耗や乗員の消耗、資金不足に伴う物資不足が限界に達していた。
さらにエルトゥールル号ではコレラ禍が発生し、1890年9月15日になってようやく横浜を出港することとなった。遠洋航海に耐えないエルトゥールル号の消耗ぶりをみた日本側は台風の時期をやり過ごすように勧告するも、オスマン帝国側はその制止を振り切って帰路についた。
このように無理を押してエルトゥールル号が派遣された裏には、インド・東南アジアのムスリム(イスラム教徒)にイスラム教の盟主・オスマン帝国の国力を誇示したい皇帝・アブデュルハミト2世の意志が働いており、出港を強行したのも、日本に留まりつづけることでオスマン帝国海軍の弱体化を流布されることを危惧したためと言われている。遭難事件はその帰途に起こった。
(wikiより)
😐 日本国民の殆どは、「昔、遭難したトルコの船の乗組員を日本人が救ったのでトルコは親日国」くらいにしか思っていないが、日本とトルコの関係はそんな単純な恩義で語るようなものではない。
1922年 帝政廃止
1923年 トルコ共和国建国
1924年 国交樹立
1935年 日土協会総裁としてトルコを訪問された高松宮殿下
前列左から8人目がケマル大統領、9人目が高松宮殿下
土耳其国情展覧会を観覧する高松宮殿下と同妃殿下
1963年 トルコを訪問された三笠宮崇仁親王と百合子さま
1926年(大正15年) | 日土協会創設 |
1929年(昭和4年) | 総裁 高松宮殿下 |
1945年(昭和20年) | 総裁 高松宮殿下 御辞任 |
―第二次世界大戦により国交断絶、活動休止― |
1953年(昭和28年) | 国交復活後、活動再開 |
1971年(昭和46年) | 日土協会を日本・トルコ協会として再発足 名誉会長 シュクリュ・エレキダー大使 会長 大屋晋三 |
1991年(平成3年) | 名誉総裁 三笠宮殿下 |
2009年(平成21年) | 総裁 寬仁親王殿下 |
2012年(平成24年) | 総裁 寬仁親王殿下 薨去 |
2013年(平成25年) | 総裁 彬子女王殿下 |
2016年(平成28年) | 名誉総裁 三笠宮殿下 薨去 |
😐 皇嗣殿下同妃両殿下は、日本がトルコとの間に時間をかけて地道に作り上げて来た友好関係をより強固にするためにお出かけになるのです。
ネットには、相変わらずこの件に関しても秋篠宮ご夫妻を貶める書き込みが一斉に上がっているようですが、そういうひとは何も解っちゃいないのでしょう。