憂国の花束

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祖国日本よ! 誇り高くあれ。

26日 百合子さま 令和流斂葬の儀で送られる

2024-11-27 00:33:23 | 令和の皇室
百合子さまは「皇室最後の貴婦人」と称えられることもあるが、皇室に貴婦人は他にも華子さまがいらっしゃる。
百合子さまも、華子さまも、お生まれになった時は華族。百合子さまの御実家は子爵。華子さまの御実家は伯爵。失礼ながら華子さまのご実家のほうが位が高い。
旧皇室令下で皇族妃になられた最後のかた、でもない。
百合子さまの御結婚は昭和16年(1941年)10月22日(18歳)、昭和天皇の長女照宮成子さまが皇族東久邇盛厚王と結婚されたのは昭和18年(1943年)10月13日(18歳)です。
ちなみに、昭和16年百合子さまがご結婚された同じ年の5月に、成子さまの婚約内定が公表されている。

百合子さまご結婚当時、昭和天皇40歳、崇仁親王26歳。一回り以上年が離れた長兄は「兄弟というより親に近い感覚で怖い存在」とも聞くが…
年の離れた弟を見る兄もまた親に近い感覚で弟を見るのかしら。

崇仁親王は生前「三笠宮は新しくできた宮家で、他の宮家から浮いた存在であり、他の宮家と違って経済的基盤が弱いために経済的に苦労した云々」と語っておられましたが、百合子さまの御実家が経済的に苦労されていたことは当時の国民は皆知っていた。
(高木家の当主、百合子さまの御父上は華族であったころから経済的に苦しみ詐欺事件を起こしている。)
崇仁殿下は赤い宮様、テープカットの宮様、ダンスの宮様、スポーツの宮様、オリエントの宮様等幾つもの異名を捧げられるほど多方面に活躍されたが、背景には三笠宮家の経済的基盤の確立を求めて、、ということもあったのかしら。
三笠宮は他の宮家に比べて新しい宮家だから経済的基盤が弱い、とおっしゃるが秩父宮、高松宮も新しく出来た宮家です。
崇仁親王が他の宮家にあって三笠宮家に無いといわれた「経済的基盤」とは何だったのか。それは、もしや、宮妃の実家からの支援を指していたのか?
当時の国民は百合子さまを「貧乏子爵の娘」と、やや侮蔑的に噂していましたが、そのような噂が百合子さまの耳に入らないはずが無い。耐えていらっしゃったのではないかとも思う。
長生きはするもの、すべては歴史となり何事かがあったような、無かったような、と晩年は穏やかなお気持ちで過ごされていたのではないか、とも思うのですが…宿題は残して行かれましたね。

百合子さまの斂葬の儀、随所に「令和流」が見られるものでした。


三笠宮邸から最後のお出まし。時代とはいえ寂しいお見送り。


三笠宮妃百合子さまの「斂葬の儀」に参列される秋篠宮ご一家、天皇、皇后の長女愛子さま(26日午前9時31分、東京都文京区で)
😕 此処が令和流
皇嗣殿下同妃殿下の後ろは、悠仁殿下、愛子さま、佳子さま、の順でなくてはなりません。
と、定めた皇室令は1947年5月2日に廃令となり、その後は「慣例」という扱い。慣例破りを身上としている今上と雅子さまですからね~「愛子を前に」と天皇皇后から主張されたら、はい、それまでです。
今上と雅子さまの慣例破りを修正しようとした工夫は、悠仁殿下を佳子さまの前ではなく後ろにしたあたりでしょうか。
愛子さま、悠仁殿下、佳子さま、の順では、明らかに悠仁殿下より愛子さまが上になってしまいます。
そこをうやむやにするために、敢えて悠仁殿下を佳子さまの後ろにしたのでしょう、と私は見ます。
これまで愛子さまの居ない場面では、悠仁殿下は佳子さまの前を歩かれていますから。
今上と雅子さまの意向を受けて愛子さまのための余計な段取り、いつまで続くのでしょうね。

というのは今上と雅子さまを悪く思い過ぎで、すべては天皇家との親密な関係がうかがえる三笠宮親戚一同と喪主彬子さまの御意向でしょうか?






瑤子さまのお顔が見える。


大人の顔で沈思黙考する彬子さま。


涙をこらえる彬子さま。素直な心もお持ちなのでしょう。その心を信子さまにも向けていただけたら、と思う。


愛子さまの眼付悪し
守谷ご夫妻っぽい顔が見えますが、、、瑤子さまの隣は黒田ご夫妻?違うかな?その隣のマスクの女性は、承子さま?典子さま?
親戚一同、適当に並べました?


 

動画 日テレ 儀式がほぼノーカットで記録されている。
【速報】三笠宮妃百合子さま「斂葬の儀」
見どころ、、、見えないところ
天皇皇后代理、上皇上皇后代理、喪主までは玉串奉奠の様子を映していたカメラが、秋篠宮殿下同妃殿下からの玉串奉奠を幡で隠して映さない。
(邪推、愛子さまの不器用な玉串奉奠を隠すためか?)

動画 テレ東ビズ 納骨の儀を伝える
百合子さま「斂葬の儀」 皇族方らが参列

😔 納骨の儀に愛子さまは参列されたようですが、悠仁殿下は参列されなかったようです。
三笠宮親戚一同が悠仁殿下を招かなかったとも考えられますが、どうかな?

じっと見ていれば、三笠宮の方々の本心はいずれわかるでしょう。



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