27日秋篠宮皇嗣殿下タイご訪問のご不在を見計らったかのように、悠仁殿下加冠の儀の日程が発表された。
加冠の儀を含む成年式は9月6日、悠仁殿下満19歳の誕生日に挙行される。
法定成年年齢18歳を1年過ぎての「成年式」挙行に疑問を抱くものは多い。
成年式が一年延期された背後には今上の強い意志があったのではないか、と推測する声は多いが、状況証拠からみても延期の原因が今上と雅子さまの御意思であることはほぼ間違いない。
※ネットでは令和6年には悠仁殿下の成年式費用が予算に組み込まれていたが、令和7年には0になっていた。だから成年式は令和6年度中に行われるはずだった。という声もあるが、、
令和6年・令和7年皇室費概算要求書
令和6年
宮廷費→儀典費→悠仁親王成年式関係費
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令和7年
宮廷費→儀典費→悠仁親王成年式関係費
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・令和6年には悠仁殿下成年式関係費257万8千円が請求されていた。
・令和7年には悠仁殿下成年式関係費が請求されていない。
😐 この257万8千円という数字ですが、、、これは冠の製作費と思われます。
悠仁さま、ご成年式は高校卒業後 冠の製作費257万円 宮内庁、来年度概算要求
2023/8/30 15:44 産経新聞
宮内庁は30日、令和6年に成年を迎えられる秋篠宮ご夫妻の長男、悠仁さまの成年式で、天皇陛下が授けられる冠の製作費用257万8000円などを盛り込んだ6年度予算の概算要求を発表した。宮内庁によると、成年式は悠仁さまが高校を卒業される7年春以降に実施する方針という。
(後略)
冠の製作費ですから令和6年予算計上令和7年0ということはあるでしょう。
産経新聞のこの記事からは令和5年8月30日当時、成年式は令和7年春以降が予定されていたことが読み取れる。
その後も「成年式」の日程は発表されないままに日が過ぎ、令和7年2月21日、悠仁殿下の青年会見が3月3日におこなわれることが発表された。
遅れること6日後、「成年式」の日程が発表。
一連の流れの中、「成年記者会見」の日程発表と同時に「成年式」の日程を発表できなかったところがミソだろう。
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昭和27年10月22日 現上皇の立太子礼及び成年式挙行について昭和天皇の裁可を求めた吉田茂
悠仁殿下の成年式も今上の裁可がなければ挙行できません。
常識的に考えれば「成年会見」の日程発表と同時に「成年式」の日程も発表するのではないか。
もっと言えば、令和6年9月6日、成年となられた誕生日に日延べの理由と共に成年式と成年会見の日程を発表するのが皇室らしく格調があるやり方では無かったか。皇嗣職もそうしたかったのではないかと思う。
「成年になりました」と挨拶し「ただし、成年式をおえないと成年としての活動はできません。でも成年式がいつになるか分かりません」一般社会では通らないふざけた話だが、今上はそれで良いと考えたようだ。
21日の成年会見日程発表から27日成年式日程発表まで、今上と宮内庁皇嗣職の間にここを最後に激しいせめぎ合いがあったのではないかと想像する。
旧皇室典範
第三章
第十三章
天皇及び皇太子皇太孫は満十八年をもって成年とす
第十四章
前条の外の皇族は満二十年をもって成年とす
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現行皇室典範
第四章
第二十二条 天皇皇太子及び皇太孫の成年は十八年とす
※皇族の成年齢に規定なし
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現上皇の立太子礼・成年式は昭和27年11月10日に挙行されている。
昭和8年12月23日誕生の上皇は誕生日前の満18歳。皇太子の成年式と親王の成年式では身位の違いによる差があるので、立太子礼の後に加冠の儀を行ったようです。
今上 昭和55年2月23日、満20歳 加冠の儀
秋篠宮殿下 昭和60年11月20日満20歳 加冠の儀
悠仁殿下 令和7年9月6日満19歳 加冠の儀(予定)
甥への加冠の儀、いつかはしなくてはいけないかもしれないが、それは今ではないまだまだずっと先、、、と逃げ回っていた今上、ついに回り込まれてタックルダウン~
「皇太子でもないのに18歳で加冠の儀を行うのは、、、皇室典範に皇族の成年年齢の規定は無いのですから20歳ではダメでしょうか。私も弟も加冠の儀は20歳でしたし、、」
満19歳で手打ち。
今上が良識と常識を備えた天皇であることを示す機会は4度あった。
1,令和5年8月 令和6年9月6日に成年式を行わないと発表した時点
2,令和6年9月6日誕生日当日
3,令和7年2月20日天皇誕生日記者会見
4,令和7年2月21日成年会見の日程発表時
1,2,4のいずれかで、成年式の日程を発表していたら、今上にも良識はある、と思えるのですが、、、天皇としてはまったく信頼できない御方です。
此処まで悠仁殿下を蔑ろにする今上のなさりようを見て、宮内庁が秋篠宮ご一家への目を背けたくなるような誹謗中傷記事と愛子天皇派の妄想捏造記事を放置している理由がハッキリとわかりました。
今上がそれを望んでいるからに違いありません。