uparupapapa 日記

今の日本の政治が嫌いです。
だからblogで訴えます。


成人式「きちんとした服装で」奇抜な衣装に苦情

2016-01-09 04:17:27 | 日記
北九州市は、10日に北九州メディアドーム(小倉北区)で開く成人式に参加する出席者に対し、

「きちんとした服装」で参加するよう、異例の呼びかけを行った。

 近年、奇抜な衣装で出席する新成人がテレビ番組などで取り上げられ、

市民から苦情が出ていた。服装による会場の入場制限などはしない。

 市によると、これまで金、銀色などの派手な和服を着て友人同士で旗を掲げたり、

「 花魁(おいらん) 」衣装や

背中に出身学校名を大きく記した服を着たりして参加する新成人がいた。

トラブルは確認されていないが、「厳粛な式典にふさわしくない」との声が寄せられ、

市議会にも同様の陳情が出されるなどしていた。



こうした事態を受け、市は初めて、

成人式の一般的な服装を写真や動画で紹介するサイトを用意し、式の案内はがきで紹介。

「『大人』として出席する初めての一大イベント。

きちんとした服装で出席するよう心がけましょう」とし、

男性はダークスーツ、女性は振り袖などを例に挙げた。

-YOMIURI ONLINE-




ここで若者を弁護する気は全くない

でも、こんな記事も。




≪生き物にとって、男性とは女性の保険である≫

ダーウィンで有名な進化論は、この世界にあふれる生物の多様性を説明しようする学説です。

クジラのように巨大なものからバクテリアのように目に見えない小さなものまで、

世界は多種多様な生物であふれかえっています。

その数がどれだけのものか、いまだわかっていません。

その昔、すべての生物は神によって創造され、

そのままずっと変わることはない、と信じられていました。

しかし現在では、進化論の誕生により、生物は長い時間とともに変化して、

多様性はその変化の過程のなかで生まれてきている、と考えられています。


進化論はひとつの理論体系があるわけではありません。

進化のメカニズムに関するさまざまな仮説の集合体です。

これほど社会に大きな影響を与えた理論であるにもかかわらず、

進化論は確立された科学とは見なされていません。

生物が何万年以上もかけて変化するプロセスを、

実験や観察などで実証することが難しいためです。

だから、ノーベル賞の対象にはなりにくいのです。


■ 男は何のために存在するのだろうか? 

 進化を巡る多くの議論のなかで、「なぜ生物にはオスとメスが存在するのか」

という大きなテーマがあります。生物のほとんどは性を持っています。

しかし、もともとはバクテリアのように、

ただ分裂して増えていく、という無性状態でした。

性は、そこから二次的に進化してきたものです。

これだけ多くの生物に性が見られるという事実から、

有性生物には無性生物にない何らかのメリットがあるに違いない、と考えられて当然です。


性とは、学問的には「子孫を残すために、ほかの個体の遺伝子の一部を取り込む行為」

と定義されています。

子供を残すことが性の目的ですから、

子供を産むことのできるメスの存在意義は明らかです。


わからないのはオスの存在です。

カタツムリやミミズのように、

ひとつの個体にオスとメスが混在していれば生殖はいたって簡単です。

ところが、オスとメスが分離していると、

生殖のためにわざわざパートナーを見つける必要が出てきます。

なぜこのような非効率なメカニズムになっているのでしょう。

オスは何のために存在しているのでしょう。

オスの役割とはいったい何なのでしょうか。


地球上の食物連鎖の頂点に立つ人間を捕らえて食べる捕食者などどこにもいない、

と考えるのは早計です。

人間の生存に大きな環境変化をもたらす捕食者はいくらでも考えられます。



その中でも大きな存在は、細菌、ウイルス、寄生虫のような「寄生生物」です。

ウイルスのような寄生生物は宿主である人間の遺伝子に致命的なダメージを与え、

人類を絶滅させるだけの劇的な環境変化をもたらします。

この時に、もし人間の遺伝子構造が単一でなく多様であれば、

人間すべてがウイルスに感染して全滅してしまうことを避けることができるわけです。

 
この多様な遺伝子構造にこそ、オスの存在理由があります。

つまり生殖により遺伝子を混ぜ合わせることがオスの使命なのです。

メスの子供だけが生まれるメスだけの社会の方が効率的に子供の数を増やすことができます。

短期的にはメスだけの社会の方が子孫を多く残せるのです。



一方で、オスとメスが半々の社会では、

子供を産むメスの数が半分になりますから、子供の増産スピードは半分に落ちます。

しかしオスとメスがいることで子供の遺伝子は多様化しますから、

ウイルスの攻撃による環境変化にも生き残る確率が高くなります。


長期的に見ると、

メスだけの社会はいずれウイルスの攻撃により全滅の危機に瀕する時が訪れるでしょう。

しかしオスが存在することで、長期的な生存率を確保することができるのです。

「いかに多く子孫を増やすか」よりも

「いかに滅びないか」の視点で生物の進化を考えると、

そこにオスが誕生した必然性を理解することができるというわけです。


■ 何事も起こらなければ必要ないのが保険


何事もない平穏な生活が続いている時には、

何の役にも立っていないと思われるのが保険です。

しかし、予期せぬ事態が起こった場合にこそ、保険はその存在価値を発揮します。

オスも同様です。大きな環境変化が起こらなければ、

メスだけで十分に子孫繁栄させることができます。

しかし、何万年、何十万年という超長期な進化論的視点に立てば、

生存環境を脅かす事態は必ず起こります。そこにオスの存在理由があります。

 

つまり、男は女にとって「滅びないための」保険なのです。

橋爪 健人


-東洋経済オンライン 1月6日(水)7時0分配信 -








多様性が圧殺された独裁国家の世界を連想した。


生物学的な進化論とは次元の違う話だとは

勿論承知している。


でも、人類は進化の過程で数え切れないほど

たくさんの戦争を経験してきた。


そして人類の進化は戦争の進化となった。


第一次世界大戦、第二次世界大戦と破壊・殺りくの規模は大きくなり、

とうとう原爆・水爆を造るに至った。



最近では嘆かわしい事に、北朝鮮まで・・・。


人類存続の危機を煽る大量殺りく兵器。


そんな簡単に持っちゃいけないでしょ。

ああ、それなのに・・・

猫も杓子も、北朝鮮も。

金正恩のおもちゃと化した水爆は、

突然世界を震撼させた。



私の偏見かもしれないが、

戦争を引き起こし易い国は、

独裁者が率いる、独裁国家が多いと思う。


米ソの冷戦も、現在の中国も、ISも独裁国家が火種を生んでいる。


反対者が圧殺される世界。


それは、世界を破壊に追い込む独裁の持つ猛毒だ。



歴史は何度も警鐘を鳴らしてきた。


でも、そこから教訓を学ぼうとする人は少ない。


いつまで経っても独裁者は減らないのだ。

そしていつまでも、いつまでも殺りくとその危険が続くのだ。



ここで昨日観た録画番組の言葉を思い出した。

NHKの『新・映像の世紀』独裁者編だ。


ヒトラーが如何にして政権を握り、

人心を管理し、反対者を抹殺したかを明らかにした番組だ。


その中であるナチス反対者の印象的な言葉が紹介されている。








ナチスが最初

共産主義者を攻撃したとき

私は声を上げなかった

私は共産主義者ではなかったから




ナチスがユダヤ人を

連行して行ったとき

私は声を上げなかった

私はユダヤ人ではなかったから



そしてナチスが私を

攻撃したとき

私のために声を上げる者は

誰一人残っていなかった


-反ナチ運動家「マルティン・ニーメラー」-







話題をテーマの成人式に戻す。



成人式は厳かな式典である。

大人として社会に迎えられるべき自覚を持つための儀式である。


もう子供のような甘えは許されないのだ。



でも・・・・。



だから皆、スーツを着なくちゃならない?

着物を着なくちゃならない?


常識人の立ち居振る舞いをしなくちゃならない?



繰り返すが、私は今の若者を弁護するつもりはない。


でも、そんな大人社会の常識から逸脱した新種の多様性は

もしかしたら、日本人を絶滅の危機から救う存在なのかもしれない。


日本人の目覚ましい経済発展や、鮮やかなチームプレーは美徳である。

でも、その画一性は滅びの危険も同時に孕んでいるのかもしれない。


そんな意味からもリスク回避の手段として

多様性を受け入れる社会の寛容さが、求められているのかもしれない。



醜いアヒルの子の個性は、実はかけがえのないリスク分散の保険だったのだ。


そう考えると、自分の持つコンプレックスなんて

日本人の、ひいては人類の貴重な「リスク分散保険」のツールであり

武器なのだと納得できる。



世の中の馬鹿にされたり、笑われたり、罵倒された人たち。

お互い胸を張って生きましょう。


そう考えると、少しだけ胸の痞えが軽くなったオヤジが一句。



いい男 あんたに大した 価値は無い  (ざまぁみろ!)

    (負け犬の遠吠え協会)




お粗末。