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「いつもイエスの死をこの身に負うている。」第二コリント4:10a
私たちはイエス様の死を自分の死として受けて、死んだ者であると認めます。死んだ者になりきってしまうと、神様はイエス様をよみがえらせた力で、私たちも生きるものとしてくださいます。生きるために死ぬ。これが福音の鉄則です。主の死に合体しようとしないために、信仰が中途半端になるのです。死んだ者は何を言われ、何をされても、全く頓着しません。そのとき、神様は新しい命、よみがえりの命によって、私たちを生かしてくださいます。自分に死にきって生きようではありませんか。(KE)
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城陽市 長池