日々の思い

日常の出来事、思いを書き続けて、自分を見つめて行きたいと思っています。

彼岸花の咲く頃

2015-09-30 08:27:30 | 日記
もしどうしても誇る必要があるなら、私は自分の弱さを誇ります。(コリント人への手紙 第二 11章30節)



この日の田原川には彼岸花は畔草と共に農家の方がかられたのでしょう。刈った束があるだけで少しの花がありました。また10月初めに咲くとは思うのですが。





沖島へ向かうには大津市を目さします。ここはもう大津市と思うのですが、田んぼの畔に咲く彼岸花を見つけました。アチコチに見えますが、そうゆっくりと撮れないです。だって長命寺から通船の時間がありますから。
向こうの雲様に見えるのは瀬田川(宇治川上流)の霧です。ここは必ず霧の発生が有る様です。





毎年撮る彼岸花。今年も見れました。これって感謝ですね。



慌ててマクロで撮った花。でも愛しいです。



これからゴルフ場を通ります。宇治田原から大津市への道も案外自然豊かな里山です。

上の言葉
(人は難しいもので、自分は強く賢く、地位もあると思っている時は真実が見えないものですね。この私は若い頃から体が本当は弱くも無かった?かも解らないですが、自分では弱いと思い、人目に弱さを見せまいとして突っ張ったかも。能力も無いのにある様に見せようとしてました。何という浅はかさ!紆余屈折により弱さをまんまと見せかけられ、辿った所が今の町と教会でした。弱くて弱くて仕方の無い自分。やっと光と真理を見出せました。今も私は世界で最も弱い醜い、頼りない者です。弱さを誇りなさと、主は言われる。良かったです。弱さを覚え、心の壁を打ち砕き、神の光を見なさいという事です。)




霧の川や野

2015-09-28 08:04:40 | 日記
主のみおしえは完全で、たましいを生き帰らせ、主のあかしは確かで、わきまえのない者を賢くする。(詩篇19編7節)



私のブログ操作の間違いなのか、沖島行のコーナーは削除しまして何とか正常になりました。だから沖島へ向かった道順に書かせて頂きます。
朝6時出発。遠くへは早い出発です。宇治田原まで行くと何とこの日は霧!ラッキーかな。



田原川は美しいものですね。橋は過っての台風で流れましたが。彼岸花は勤勉な皆さんは綺麗に刈ってしまわれていましたが、2本はありました。



毎度の小道です。ウオーキングの道でもあります。



何の変哲もない納屋ですが、朝は違いますね。





川の輝き、といきたいですが、余り美しくはないです。やはりここにあの橋がないと、、、



横に眼を向けると田んぼです。



朝日を浴びると昔懐かしい風景になってくれます。



大津に向かいますから、中途で左折します。また違った風景が広がります。



薄い光芒が見えました。草むらも輝いています。



滴を浴びた草も朝のみの美しさでしょうか。霧が出て得した気分です。

上の言葉
(神を知ることは知識の初めなり、という言葉があります。心を開き神を受け入れたら、確かに真理を解らせて頂き、誠の知識を知らせて頂けます。人間の決めた知識は時代と共に変貌していきます。例えば江戸時代から、また戦争前とは、180度違うでしょう。しかし神の言葉は数千年前と変わらないです。真理は一つ!どんな人も神を信じ本当の知識が入れば、賢くします。頭脳の良し悪しと賢さはまた違います。)












花の中で

2015-09-26 18:35:11 | 日記
ああ、わが愛する者。あなたはなんと美しいことよ。なんと美しいこと。あなたの目は、顏おおいのうしろで鳩のようだ。(雅歌4章1節)



先日の宇治植物公園で、久し振りに花に接し、春の花の様な華やかさはないけども、やはり花は優しく美しいな、と再確認しました。



とっても心癒され、少女の様な気分になります。(バーバの癖にって言わないで下さい。)花の香りに包まれ心は夢の様。



人に顔がある様に、花も顔がありますね。温室花は殆どがグロテスクで、ちょっと、、、やはり優しい乙女の様な花に惹かれます。好みは人それどれですが。



しょんぼり一人の花、ちょっと声をかけたくなります。



秋のコーラスをしてるのでしょうか。



昨日からブログの調子が悪く、さて正常になるかどうか?

上の言葉
(ソロモンの雅歌です。あまり雅歌からはメッセージは殆どありませんが、ソロモンの愛?神様の愛?
花は人を癒します。お見舞いにはとっても喜ばれるのはやはり心癒される為でしょう。
若い時ちょっとした事で入院した時、花を頂きとっても癒され、花はこんなに癒されるものか!と感動したものです。神様が創造された花、美しいです。)

花散歩

2015-09-23 08:45:31 | 日記
あなたの真理のうちにわたしを導き、私を教えてください。(詩篇25章5節)



秋晴れの11日、近くの宇治植物公園へ出かけました。ガレージからレストランの間の木の下に咲く花々が好きなのです。またアーチから入口までがまるでカナダを模したのでしょうか。色んな花を合わせて美しいのです。またこの公園のメーン会場も見えてワクワクします。結局入口に入らず、2時間ここで費やしてしまって、さっさと帰りました。



まぁ、ダリアが美しいですね。案外好きな花です。



見たこともない実が一杯つけたものがありました。名前は知らないのです。でも風変りで面白いものです。



木の下の花からレストランを見れば灯りが丸ボケになっています。



花を寄せ集めたものも、何故か花と共に過ごしている様で楽しいものです。







風景と花を楽しみます。



初めての海外旅行がカナダでした。凄くハードな旅で、もっとじっくり行けたらどんなに楽しかったか!と悔やまれますが、でも行けただけ良かった。カナダにこんなアーチが一杯ありましたっけ。(海外は3回のみです。)








アゲハや白の彼岸花が。ショックな事は左雌の乱視が進み、蝶の眼や花のしべがよく見えない。今までの
感で何とか。花と共に楽しい時を過ごせました。

上の言葉
(聖書を読み、メッセージを聞いてもまだまだ解らない面が一杯あります。もっともっと解る様に祈る必要があります。人間の能力は神の力には小さくて、及ばないものです。少しでも近づけますように。))



心の変化

2015-09-21 08:59:45 | 日記
あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。(ヨハネの福音書14章1節



いつものKH病院の隣に古いお寺か公家屋敷の様な建物があり、以前1度はいったら教会の様なので驚いたのでした。先日もう1度入れば神学校!どうやらドミニコ派トマス神学校とか。もちカトリックですが、トマスはキリストの弟子でアジアに伝道した人。こんな屋敷に、と感動しました。



塀もこんなに古びています。

昨日は昇天者記念礼拝でした。天に召された教会の兄弟姉妹、また私の両親を偲び感慨深いものがありました。生きる道が解り、天国の希望を与えられてるキリスト者はどんなに幸いかを語られました。その事が解らないと人生が苦しい事も、、、

2代前の牧師HS先生が関東から久し振りに来られました。先生の長男さんが難病で召され教会墓地に葬られてるからです。回心した夫はこの記念礼拝に出席し、先生にお会いしました。先生は夫の大きく変わった心の変化に涙し、手を握り合って祈って下さいました。夫も祈っていました。

この2か月半、こんなに信仰により変った人は少ないのでは?と共にいる私も凄く感じます。聖書を猛烈に読み、祈り、態度が変りました。たまに暴言をはく夫が凄く嫌で、離れて暮らしたいと思った事もあります。それが全く無くなりました。神様は信仰によりこれ程働かれるのか!と凄く思います。また自分は罪人だった、と悔い改めてますし、これから神を第一として生きて行きたいと申しています。平安と喜びで一杯だそうです。



息子ですが、父親が癌で心配し、今はPSA0,2で心配要らないと言われていますし、信仰も復活しましたからこれはいいのです。また私は黄斑変性症になり4年以上。今頃になって、心配するのです。私は落ち込んでないし、心配せんといて!というのですが、急に両親という面がクローズアップした様です。

結婚し16年。息子も親慣れ。私も子離れ。良かったと思ったのですが、子供の手が離れると今までそう思わなかった特に母親への思いが募るのでしょうか。確かに息子とは仲良しではあり、弱かったので心配はよくしました。私は大丈夫だからそんなに心配せんといて!ていうのですが。何を今さら4年以上も経ってるのに。

これは有り得ることらしい。それだけ優しいのでしょうが、今さら困ります。
上の言葉の様に、主に委ねて欲しいものです。「あんた信仰が足らんのと違うか?」と言うのですが、、、その内、全き主に委ねる時があり、導かれる時があるでしょう。
クリスチャンが御言葉で全てコントロール出来たら牧師は要らない。だから礼拝に出席し、神様の導きを得る必要があるのです。