日々の思い

日常の出来事、思いを書き続けて、自分を見つめて行きたいと思っています。

園の墓等

2017-02-28 09:09:00 | 日記
「岩の裂け目、がけの隠れ場におるわがはとよ、あなたの顔を見せなさい。あなたの声を聞かせなさい。あなたの声は愛らしく、あなたの顔は美しい。」雅歌2:1



30日の午後、最後の観光になりました。申し訳ないですが、前後してこの画像は前日のもので、ベツレヘム遠望でした。ベツレヘムへはパレスチナ地区になるのでしょうか。危ないらしく遠望と、ほんの小さな地域だけバスの運転手さんが通って下さいました。画像の一番上です。





別に変わったとこでもないですが一応ベツレヘムの地をバスで踏みました。ベツレヘムはイエスの降誕の地。またダビデの生まれた地で有名です。



ここはまた違いますが、映画「ベンハー」にライ病人の隠れ家が洞窟の中でした。映画でここへ食べ物を運ぶ人達を見ましたが、この場所がそうとの事です。



30日午後の観光として国立博物館へ行きました。ここは死海写本が出て来ましたその本をそのまま展示していました。紙のない時代ですから、動物の皮で綺麗に書かれていました。撮影は禁止でした。



次に園の墓へ。1900年代にある考古学者がイエスの墓はここだったのでは?と言い出して、この地に植物園の様な美しい公園を造ったのです。冬ですから花は殆ど咲いてないですが。









各国の観光客が多くおられました。





ここで聖餐式を牧師がして下さいました。自然豊かな場所で最後にやって下さって嬉しかったです。

上の言葉
 外敵から身を守るために、険しい崖の岩棚に隠れているはとに譬えて、愛する者を求める愛の歌です。神様は独り子をも惜しまない愛を私たちに注いでくださいます。しかし、それを信じられないゆえに、何かを恐れて身を縮め隠れ潜んでいます。主は私たちの顔を見たい、声を聞きたいと切に願っておられます。主に向かって顔を上げ呼び求めてください。(KE)

鶏鳴教会

2017-02-26 23:29:28 | 日記
ガリラヤの風薫る丘で 人々に話された 恵みの御言葉を 私にも聞かせて下さい。(新聖歌40)



間もなくイスラエルから帰国して1か月近くなります。帰った当時はよく皆さんにシャッター切ながら着いて行けたな。魅力的な国だったな。行って良かった。と思うくらいでしたが、写真を整理し、嘆きの壁やドロローサを更新してる内に、変わって来ました。今日の礼拝での讃美歌やメッセージにすべて行った場所が語られる訳です。そうなんだ、あの場所でイエス様が語られ行われたのだ!生の実感として伝わるのです。ドロローサに涙します。喜びと悲しみが交差し、私の心に聖霊が満たして下さいます。
鞭うたれ、棘の冠を被らされ、手に釘を打たれ、足に釘を打たれ、6時間程惨い十字架にかかられていたのです。罪のない方なのに、人々に罵声を浴び、けなされ、それでも逆らわず、隣の罪人を慰め、父なる神に祈られました。「父よ、彼等を赦したまえ、彼等は何をしているのか解らないのです。」そんな究極の苦しみの中でも人々を赦し、赦しを願ってられました。正に人がそんな事は出来ません。イエス様は神です。



ガリラヤ湖は案外大きな湖でした。弟子達が船で出かけたら大嵐。困っていたらイエス様が水面を歩いてこられました。びっくりしたペテロは「イエス様私もそこまで歩いて行きます。といって、歩きもう少しで辿る時波を見て怖くなりました。そうすればダボンと水の中。イエスは引き上げられました。「困った人だ、信仰の薄い人達。」弟子達は「あなたは本当の神です!」と言いました。ペテロはイエスだけを見ないで波というこの世を見たから水に投げ込まれたのです。



ドロローサの後、ダビデの町の模型の所へ連れて下さいました。案外広大です。





その後、鶏鳴教会見学でした。この教会はイエスの処刑で捕らわれの身になられ、役人の館の地下の部屋に連れて来られた時、ペテロこっそりイエスを見に来たのです。ここの女性が「あなたもあの人と一緒だったのでは?と聞かれ「私は知りません。」といいました。鶏は鳴きました。そんな事が3度ありました。イエス様は捕らわれる前に「貴方は3度私は知らないという。」と予言してられました。その通りだったのです。愛した弟子はやはり裏切ったのです。我々も自分の立場が窮地になれば、知らない、というのではないでしょうか。



地下にも礼拝堂がありました。







大きな教会です。



奥まった部屋で牧師先生のメッセージがありました。







外に出ると、、ペテロが「あなたもあの方たちと一緒だったのでは?と聞かれ「私は違います。」といってる像がありました。





見晴らしの良い美しいところです。





エルサレムが大きく見えます。

ドロローサ(十字架の道) 2

2017-02-25 10:09:10 | 日記
「彼らが出て行くと、シモンという名のクレネ人に出会ったので、イエスの十字架を無理に負わせた。」マタイ27:32





これがイエスキリストの十字架の処刑の場なんだ、と感無量の気持ちで歩いていました。想像とは違うけど確かに主が歩まれた道。どんなに苦難の道でしょう。





こんな暗い場所って何故?と不思議でしたが、聖墳墓教会がゴルゴザの丘であり、十字架の場所なんです。またキラキラと飾っていて?7つの教会というか教派ですから、カトリックの思いだけが通らないのでしょう。



ここに十字架の穴があったらしいのです。ツアーの人が「穴に手を入れて来たよ、」って言われ行こうとしたら、ものすごい人出。私も手を入れて来たかったけど諦めました。



横に小さな教会があります。







誰もが自分の罪の為に死ねば十字架の刑を受けなけらばならないですが、私達信仰者の為に、我々の身替わりに死んでくださったその事は大きな喜びですが、イエスの御心を思えば泣きたくなります。この前でイエスの死体を置かれた場所で多くの方が泣いておられました。胸迫ります。





皆同じ気持ちですね。







実におおきな教会です。来て良かったです!





明るい広場。エルサレムが見回せます。

上の言葉
 イエス様はピラトの法廷で十字架刑を宣告された後、ご自分の十字架を負うてゴルゴタに向かいました。そのとき、居合わせたシモンは思いがけず主の十字架を負うはめになったのです。不本意ながら負わされたものでしたが、彼の生涯を変える事態でした。主に仕えて生きるとき、主が負わせられる重荷を負わなければなりません。私たちも第二のシモンとなろうではありませんか。(KE)

ドロローサ(十字架の道)

2017-02-24 13:55:21 | 日記
「イエスを裏切ったユダが答えて言った、『先生、まさか、わたしではないでしょう』。イエスは言われた、『いや、あなただ』。」マタイ26:25



私は他は行けなくてもこの十字架の道だけは行きたかったのです。しかし想像したのとは随分違いました。想像では道の両側に並木があり、ゴルゴダの丘には教会と遺跡があると思っていました。実際は両側は夜店の様な店がずらりです。途中まではアラブ人の店。そこからユダヤ人の店。どうしてなのでしょうね。聞けば遺跡は段々沈む様にここも5mは低くなってる様です。そして多くの人が訪れるので、貧しい人が競ってお土産物店を出したのでしょう。



イエスキリストは強い皮の鞭で数十回打たれ、棘の冠を被らされ、自分の十字架を背負わされこの道をよろけながら歩いたのです。初めてよろけて壁に手をつかれた所があり、そこを私も触って来ました。残虐なストーリーはまたにして、兎に角罪のないイエスキリストが最も極刑の十字架だったのです。人間の罪の恐ろしさを痛感します。
本当は今も私達はイエスを十字架に着け槍でさしているのです。そして我々が十字架にかからねばならないのに、変わりにイエスは十字架にかかって下さり、私達の罪を赦して下さってるのです。





所々に絵があります。







唯無言で歩きました。



ネコちゃんは何処も同じですね。





色んな道を歩き、帰国してよく考えたら、聖墳墓教会がゴルゴザの丘で、7つの教派の方がここを保管して下さっていたのでした。2000年の間、オスマントルコ、十字軍、その他いろんな国に責められたこの地。よく保管して下さったと感謝を覚えます。



十字架の場所へ向かいます。

上の言葉
イエス様はだれが裏切ろうとしているかを知っていました。だから、本人にはっきり指摘したのです。しかし、彼は意に介さず他人ごとのようです。それはユダのみならず私たちも同じです。主を裏切ることの多い私たちは、「いや、あなただ」と言われるのに聞こうとしません。サタンの力で心が頑なになっているからです。主のみ声を聞くなら、素直に従おうではありませんか。(KE)

嘆きの壁

2017-02-23 13:04:40 | 日記
「わたしが天から下ってきたのは、自分のこころのままを行うためではなく、わたしをつかわされたかたのみこころを行うためである。」ヨハネ6:38



最終の1月30日、有名な嘆きの壁に行けました。4000年前から創造者なる神からこの乳と密の溢れるこの地をイスラエルの民に与えると約束されていたのですが、彼等の罪もありますが、2000年近くも世界に散らされていました。やっと1948年に建国され、この神殿の壁が帰って来たのです。その気持ちはとってもよく解ります。





この壁に入るのに何と空港の検査と同じで、服、手荷物、靴まで調べられました。凄いです。それだけ警戒されてるのでしょう。





何故か男性女性入る場所が違うのです。男性側は夫の画像を借りました。黒い帽子はユダヤ教の役職の方でしょうか。



この姿を見てますと私も感激しました。





一応ユダヤ教は恋愛禁止だそうです。結婚式では明るく祝辞を言うものですが、ユダヤは紀元前には捕囚や奴隷として異国で暮らした事、紀元後では世界に散らされた事。また第二大戦ではホロコーストなど大きな迫害を受けた事を肝に銘じるように、とメッセージがあるそうです。







この黄金ドームの下に岩のドームという名所があるらしく、長くならんで待ちました。ここも空港と同じ検査で、服、手荷物、靴の検査がありやっと中に入ったら、11時半になったので中に入れないとの事。ガッカリです。



次にいよいよクライマックス、ロドローサ(十字架の道)に向かいます。

上の言葉
イエス様の生涯の目的は、父なる神様から遣わされた者としてみこころを行うためでした。イエス様の救いをいただいた私たちもまた、天に国籍を持つ者となり、この世にあっては遣わされた者です。その使命はイエス様と同じくみこころを行うことに尽きます。自分の心のまま、欲望の赴くままに生きるのではありません。神様のみこころを求め、それに従うことです。(KE)