日々の思い

日常の出来事、思いを書き続けて、自分を見つめて行きたいと思っています。

せせらぎ

2017-11-29 23:09:13 | 日記
「人の怒りは、神の義を全うするものではないからである。」ヤコブ1:20



永観堂の出口に向かうと小川があり、ワー綺麗!と感嘆の声がする。見れば本当に綺麗でパチリとしましたが、私の腕が悪く写真は大した事がありません。でも水は心安らぎます。



葉が流れる様は人生の深い所と共感して感動を覚えます。





今日は夫の病院へ付き添いでした。12月は腸のポリープ摘出、その他検診、いつもの薬を頂きに行きます。私は眼の注射、またいつもの薬を頂きにと一緒に行けば医者の梯子。高額医療制度で助かります。12月は唯でさえ忙しいのに。



また大きな病院はどうして疲れるのでしょうね。

上の言葉
「義」とは正しいことですが、絶対的に正しい方は神様以外にありません。人はとかく「自分は正しい」と「己の義」を主張しますが、それは神様の義にくらべると無に等しいものです。「怒り」は自分の義を貫こうとするものです。そこには神様を畏れる心はありません。むしろ、神様に取って代わり、自分が裁き、報復しようとしているのです。どんなことも、全てを知り、また報われる神様に委ねようではありませんか。(KE)

池の畔

2017-11-29 09:10:37 | 日記
「しかし、その聞いた御言(みことば)は、彼らには無益であった。それが、聞いた者たちに、信仰によって結びつけられなかったからである。」ヘブル4:2b



今日は曇り空で寒くなるのでしょうか。風邪をひいてる人も多く、ますます気温が下がって行くのは嫌ですね。冬は最も苦手で、風景も山は土色、木は黒い感じ。花は少ないし、困った事です。雪の多い所はまた厳寒。雪の写真もたまに行きましたが、急に寒い所は足が極端に冷たくて、堪えますね。年でしょうか。



永観堂は冬の前の最後の輝きでしょうか、素晴らしい赤色です。境内の半ばに池がありますが、そこには真っ赤なもみじが多かったです。





錦とはこの事でしょうか。



今ごろ京都は錦で一杯でしょう。落葉も好きでまた撮影に行きたいですが、なかなか時間が思うように出来ないのが残念です。

上の言葉
どんなに素晴らしい約束であっても、具体的な結果を手にするには約束を信じて行動しなければ得られません。カナンの地へはいる約束を信じないで滅びた人々がいました。そうならないように、聖書のことばを信じて、実際の生活に当てはめ、従いましょう。時にはみことばを疑わせるような現実があります。それに負けないで、み言葉の結果を獲得しましょう。(KE)

みたらしだんご

2017-11-28 09:12:27 | 日記
「ダビデの子孫として生れ、死人のうちからよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。これがわたしの福音である。」第二テモテ2:8



TVで京都の町は今やバスやタクシーも満杯とか。動きにくいと思います。紅葉は正に真っ赤でしょう。この日はまだ緑も黄色もあってバラエテ富に飛んでいました。



この旗を見ればお腹がすいて茶店に入ります。夫はぜんざい。私はみたらしだんご。土瓶に煎茶つき、みたらしだんごが来ました。流石に京都の本場です。美味しい!近くに売ってるのとは全く違いグー!





お腹も満たし紅葉を愛でるというかパチリに励みます。



これから徐々に落葉になりますが、どうしてこんなに赤くなるのでしょうね。



上の言葉

「イエス・キリストを、いつも思う」ことが福音だと言われています。それはどんなとき、どんなことにでも、イエス様だったらどうするだろうかと問いかけることです。心のなかでイエス様と対話するのです。そうすると、気づかないうちに、自分の行動、言葉遣いが変化してきます。思いがけないときに、忘れていたみことばを思い出させて、知恵や力を与えられます。(KE)

命の言葉

2017-11-27 09:05:08 | 日記
「そして、希望は失望に終ることはない。」ローマ5:5a




昨日の礼拝では命の言葉(聖書の御言葉)をしっかり握りしめ、生きなさい。暗い世で星の様に輝いて生きなさい。というメッセージでした。難しい事ではありますが、それに近づきたいものです。



我が教会は戦後、人の多い都会でなく、まだ全くキリストの言葉が届いていない、過疎の和歌山県の不便な村に、宣教師が来られた事からが始まりです。まず一人の魂を大事にする事を第一に伝道された姿勢が今も息づいています。



礼拝数等の教会勢力を重きに於かず、その人の魂が豊かな実を結ぶ事を願って今までやって来られた様子。いつも気を使わないし、暖かいし、何故かと思っていましたが、そういった教会の姿勢がありました。勢力を気にしなくても、何と全国で60の教会になったのです。



体も心も弱い人が多く、この私も弱い人間ですが、素晴らしいメッセージに満たされ感謝です。

上の言葉
 日常体験している「希望」は例外なく失望に終わっています。ところが、ここにそうではないと語られています。何と大きな慰めではないでしょうか。ただ一つ条件があります。それは神様の愛を信じることです。神様はひとり子を世に遣わし、それによってあなたへの愛をあかしされました。あなたが神様に愛され、神様は、また、あなたのために愛のわざをしてくださっていると信じるとき、今抱いている希望は決して失望に終わりません。(KE)

苔の庭

2017-11-26 00:12:45 | 日記
「善人は良い心の倉から良い物を取り出し、悪人は悪い倉から悪い物を取り出す。心からあふれ出ることを、口が語るものである。」ルカ6:45



山は湿気が多いのでしょう。東山や西山の寺は苔が多いです。苔は大好きで庭にいくら植えてもいくら水をやっても枯れてしまいますね。この永観堂はこじんまりした繊細な寺には思えないですが、苔がありました。



苔の上に落ちた落ち葉は風情があります。もっとこじんまりした場所ならもっと風情と趣があるのですが。大勢の人出では趣も半減です。



案外広い苔の庭なんです。多くの人は苔よりももみじを見てるでしょうね。





苔にもみじ、晩秋だけの風景に感傷的になりたいものですが、やはり周囲の喧騒でそうはなれないものです。



逞しい苔です。木にびっしりと。

上の言葉
口が語るものも勿論ですが、そのほか行動や表情、すべて表に出てくるものは見えない心から取り出されます。そうなると、倫理や道徳、規則や法律で厳しく規制しても、それは「現れた」事象に対処するものであって、「みえない」心には及びません。なんといっても、大切なのは「みえないもの」、心です。心をきれいにするには、自分の力ではなく、神様の力による以外にありません。(KE)