日々の思い

日常の出来事、思いを書き続けて、自分を見つめて行きたいと思っています。

秋晴

2017-09-30 09:29:29 | 日記
「善を求めよ、悪を求めるな。そうすればあなたがたは生きることができる。またあなたがたが言うように、万軍の神、主はあなたがたと共におられる。」アモス5:14




やっと気温も下がり秋晴れですね。ちまたでは運動会です。孫が走るのを見たい気もしますが、今日も静かにしましょう。土日はエブリーサンデイの私でも何故か気持ちがゆったりします。息子の家族がゆったりしますと、必然的に伝わるのでしょう。息子の家族が忙しいと、別に手伝わなくてもいいのですが、何かを、と気持だけあせる難義な我が性分です。



近い内に彼岸花をと思っていますが、もし行けなかったらと「蔵」から出して来ました。更新していない画像も多くありそうで、便利であります。以前の方が写真を習っていたので丁寧に撮ってる気がします。今はお気楽さんでなんでもパチリ。気候が良くなりました。元気を出さなきゃ。



野菊、、、優しい花です。秋の野原が呼んでる気がします。

上の言葉
「善」とは人の世の善行ではなく、神様のみこころにほかなりません。また、「悪」とは神様を無視して自分勝手な歩みをすることです。あなたが「善」を求めるなら、神様と共にいることを喜ぶことが出来ますが、「悪」を求めるなら、神様と共に居ることができないばかりか、むしろ、神様の前から隠れようとするでしょう。(KE)

古くからの秋の花

2017-09-29 09:05:10 | 日記
「こうして主のしもべモーセは主の言葉のとおりにモアブの地で死んだ。」申命記34:5



すっかり涼しく秋らしい今日です。どこかへ行きたい気持ちですが、術後5日間は余り動き回ってはいけない、と言われて来ましたので、まだ炊事程度です。公園に古き秋の花が咲いていました。萩やおみなえしです。忘れそうな地味な花ですが、古くから秋の花として有名ですね。萩は我が家にも1本ありますが、秋が済めば根っこから刈り取りますが、翌年長く伸びて不思議な花です。おみなえしは京都の寺に植わってるのでしょうが、目立たないですね。ややもすれば見過ごす花です。



運動不足で体が疲れていないのか、夜の寝つきが悪い。体も疲れがないと寝れないものです。夜遅くに寝たものですから寝過し!夏着から1枚羽織る。こういった季節は心地いいものです。



萩のアップですが、下手な撮り方です。



おみなえしですが、下手だな、と思いつつも掲載。花写真の先生が萩やおみなえしは撮らない、と言ってられましたっけ。難しさがあるのでしょう。UPにしてもはれだたないです。



モーセと言えば映画の十戒。学校からの映画鑑賞が初めての出会いですが、見て魂げましたね!キリスト教って凄い、と思ったものです。旧約聖書の初めに大きな密度で書かれています。素晴らしい方でした。
今年イスラエル旅行の死海からヨルダン側を見ればそこがモアブです。その時は旧約聖書の世界に来てるのだ、と感動を覚えました。またモーセがイスラエルの民を率いてカナン(今のイスラエルの地)に帰る途中に、砂漠のアブダッドの泉に来ています。そこからは直ぐにはカナンにはいれず、40年間もシナイ半島の砂漠を彷徨う事になり苦難があったのです。

上の言葉
モーセは神の民を約束の地、カナンへ導いて来ましたが、そこへ入ることが出来ませんでした。一大事業を完成させる直前に召されるなど、実に無念残念という感じがします。しかし、この事業はモーセのためではなく、神様の事業なのです。彼はその補助者に過ぎません。私共も同様に神様の壮大なドラマの一こまとして生かされています。使命が終わると、退場するほかありません。人情の入る隙間のない神様の厳粛な摂理です。(KE)


網膜注射 アイリーア

2017-09-28 09:35:48 | 日記
「とこしえにいます神はあなたのすみかであり、下には永遠の腕がある。」申命記33:27a



1昨日に網膜に注射しました。やはり慣れるのには難しい処置です。血圧の上昇は、平成にと思いつつも上がりますから困った!少し体調が悪い方でしたから仕方ありません。左眼はポリープ型でよく水が溜まり、そうなると見難くなりますから、2か月半ごとに注射をしないと視力が衰えるのです。これ以上悪くなるのは困るので、今回は2か月半後に予約を取る。高額医療ですがそんな事言ってられない。処置は7秒位ですが、その前に30分間は色んな目薬をされます。勿論麻酔の目薬も。どうしてこんなに高額なんでしょう?夫の注射も高い。年と共に医療費が大変であります。

今日も静かにしています。

上の言葉
厚い雨雲に覆われた嵐の時でも、雲を突き抜けて上昇すると、そこには決して消えることのない太陽が輝いています。そのように、私たちがどんな境遇にあろうと、神様は過去、現在、未来にわたって、決して変らず、常に大能の腕で支え、持ち運んでおられます。目の前の風雨に驚かされ、揺れ動く木々の騒ぎに心奪われて、神様のみ手が見えないだけです。今日も、あなたを抱きかかえておられる主の腕を感じつつ生きてください。(KE)


散策

2017-09-26 08:56:22 | 日記
「片手に物を満たして平穏であるのは、両手に物を満たして労苦し、風を捕えるのにまさる。」伝道4:6



秋に林の中の散策はいいですね。何といっても空気が美味しい。地味でも花も咲いている。心から自分が今生かされている事を覚えます。昔の友と一緒でも今の友と一緒でもいいし、一人でもいいですね。私はいつも重いカメラと一緒であります。たまにはカメラなしでゆっくり散策したいですが、難儀な性分になったものです。カメラを持たないと気がすまなくなりました。



ダリアも笑っています。他の花は地味でこっそり咲いています。遠くへ行かなくても家から10分以内でこの公園、宇治川周辺、三室戸等あったのだ。少し足を延ばせば宇治田原へ。10月になれば秋を撮りに行きたいものです。行けるのか?





今日は網膜への注射。気持ちいいですね。。。平安が与えられるように祈って行きます。
用心して2,3日更新をお休みしなくてはなりません。思えばこんな眼でもPCが出来る幸いを覚えなくちゃ。



老いても友人とお散歩。いいですね。

上の言葉
人は何を尊いとするか、その価値観が問われます。物質的な豊かさによって、心の安心、平安を失うとすれば、むしろ乏しくても平安であるほうがはるかに願わしいことです。あり余る豊かさは、それを得るための労苦を補うどころか、泡沫のごとく消え去ってしまいます。私たちの求めるものは、平穏で安心して過ごす日の一日でも多くあることではないでしょうか。あなたは何によって平穏を得ようとしていますか。(KE)

天の御国

2017-09-25 08:54:58 | 日記
私の父の家には住まいが沢山あります、もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたの為に私は場所を備えに行くのです。私が行ってあなたがたに場所を備えたら、。また来てあなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしがいる所に、あなたがたもおらせる為です。(ヨハネの福音書14章2,3節)



23日はお彼岸でしたね。墓地には沢山の参拝者だったでしょう。この世に生きている間には心の動揺を覚える事は多々あります。もっとも動揺を覚えるのは「死」ではないでしょうか。昨日は礼拝でした。地方都市のあるおばあさんがお寺へ来て、「如来様、私はもう早くそちらへ行きたいです。早くお迎えをお願いします。」と毎日願をかけに来ました。そこで坊さんが仏像の後ろで、「では直ぐに迎えに行くよ!」といいました。慌てておばあさんは、「エーエー!ちょっと待って下さい。嫌です。」と。そんなものですね。皆、死を恐れるのです。



イエス様は自分が最後を迎えた瞬間に手を差し伸べて下さるのでしょう。天の御国には私の住まいを用意して下さる。そして共にいて下さる。感謝です。動揺しないようにしたいものです。



植物公園の水の流れる森の中にはコムラサキが沢山咲いていました。我が家にもほんの少し咲いていますが、地味な花です。花ともいえないようなものですが、群生してますと、これも良い風情です。



京都は今日も最高気温30度とか。しかし間もなく一雨ごとに気温は下がるようです。