日々の思い

日常の出来事、思いを書き続けて、自分を見つめて行きたいと思っています。

冬の花

2015-01-31 09:00:00 | 日記
君もそこにいたのか、主が十字架に付く時、ああ何だか心が、震える 震える 震える。君もそこにいたのか。(新聖歌113)





家の庭に椿が少しづつ咲いて来ました。ちょっと種類の珍しいのが多くあって可愛いでしょ。

夫の病名もまだはっきりはしてないですが、今の医学、色んな人に聞けば、案外癒されて元気な人が多くてまた驚きです。診察日の間が空いて閑。でも遠くへ私が運転して行き、眼の影響も少々ありますから、もし事故でも起こせば大変。近場でスナップか、花写真なら事足ります。その方が安泰でしょう。



庭の千両です。こんなにお金があれば、心強いでしょうね。





恵心院の水仙です。水仙は実に清楚。なかなかこんな心になりたいけど、難しいです。







蝋梅です。蝋梅にまだ葉っぱが着いて咲いてる様を見るのは初めてでしょうか。何か珍しい。



万両です。冬の花は赤い実がなり、お金の名前が付いてますね。万両は今のお金でいくら位でしょうか?




ネットの暖かさ

2015-01-29 10:02:49 | 日記
私は心の中で言った。「さあ、快楽を味わってみるがよい。楽しんでみるがよい。」しかし、これもまた、なんとむなしいことよ。(伝道者の書2章1節)

HPをUPして12年。実に色んな事を解らせて頂いた。学生時代の友人や、社会に出ての友人も徐々に会えなくなっている。親友も二人亡くなった。また体調を崩した人もあり、遠くに住んでますとなかなか会えない。でもネット友は毎日程会ってる感覚になる。



夫は公立病院に変り、その手続きに大変でしたが、何とか。これから闘いでしょう。凄く体は元気ですが、食欲モリモリ。癒される希望も多い気がします。先日ネット友(写真とクリスチャン)10名の方いブログ等にコメントは出来ない、とメールで送ったら、暖かい返送を頂いた。なんだか毎日会っている友人の様な気がします。実際に会った方も4名おおられる。嬉しいですねぇ。会わない方も心通じているし、本当に不思議です。



写真サイトでは無くあるクリスチャンサイトですが、、よく解らない方で、その方は高学歴、高能力の方。自分の性格や弱さの為に、孤独な方。聖書もイマイチ解ってられない気がする。だから難しくて、手におえなくさけてましたが、施設に入られた様子。高能力の方でも人は弱く、皆同じ。何も卑下も高ぶる事もない。



多くのサイトさんとリンクさせて頂きましたが、いつの間にか閉じてられる方あり、素晴らしい写真を撮る方でお会いした方でもありますが、惜しくも亡くなった方もあります。



私の大きな変化は今回の夫の病かも?14年間は安泰に来れていいや!普通に聖書に照らし合わせ過ごしたいものです

賜物を持ち寄る

2015-01-26 09:20:54 | 日記
神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。(創世記1章27節)



今の時期、椿の侘助が美しく可愛く咲いている。何かを見て美しい、可愛い、素晴らしいと感じる感性、または個性、表現等々は神様から与えられた賜物と、昨日のメッセージにありました。そして初めての各作品展示会が教会でありました。油絵、パソコン画、水彩画、アクリル画、鉛筆画、押し花画、刺繍画、陶芸、手芸、童話創作、木工工芸、ステンドグラス、飾扇、写真。



私は写真の展示会は何度か経験しましたが、こんなに多種多様は初めて。コツコツ仕上げ1年もかかる作品もある。30名程の方が出されたのですが、一つ一つ味わいがあり、凄く楽しくて感動しました。種類が違うので、へぇー!と思う事多いです。私は写真で、たった一人でしたが、写真は被写体に出かけ、パチパチする案外単純です。何年間か目を肥やす必要があるでしょうか?



一人づつ、作品の説明を1分間して下さいました。油絵やPD画、飾扇はプロの人。プロアマに関係なく、個性も創造、感性が其々発揮してられ楽しませて頂きました。



創造は神様が我々人間を自分に似た者として創造されたので、美しいものを美しいと感じる心は、動物にはない。人間だけに与えられた賜物です。賜物で大いに楽しみなさい、と語られる。しかしそれに偏り過ぎてはそれが偶像化するので、気をつけるように、と語って下さった。



賜物には芸術だけではない。話の上手な人、数字に長けた人、掃除の旨い人、料理の旨い人、服装の感覚、手が器用、力持ち、明るさ、優しさ、スポーツ、人は其々で賜物で溢れてるのでは?



お花も自然、風景も自然、はたまた町へ出てスナップ等々、赦される限り私はカメラをぶら下げ、パチパチしたいものです。


おばんざいバイキング

2015-01-24 18:39:28 | 日記
まもなくかなたの流のそばで、楽しく会いましょう。また友達と神様のそばの綺麗な川で、みんなで集まる日の、ああなつかしや。(新聖歌475)



先日、平等院通りのおばんだい(京都の日常の和料理)バイキングを見つけておいたので、昼食に出かけました。手頃な値段で我々の体に優しい京料理。晴れの日。



こんな細い路地にも観光客が。今日は土曜でした。





何と、外国の観光客がワンサと来てられます。韓国語でないから中国かシンガポール?この頃は観光地は何処へ行っても外国人。お蔭で儲かるのでは?





さておバンザイの店は大流行。京都市では何回か食べましたが、宇治の地元で食べられるとは!それもバイキングはまだ京都市では経験したことがないです。宇治らしく茶蕎麦も着いている。またおぜんざいにケーキ類も多数。甘好きの私は嬉しくなってしまいます。

夫は何とおぜんざいを3回もお変わり。朝に孫のNちゃんがやって来て、「宇治へ行く。」と言ったら、「宇治へ行きたい」という。どんなお店か解らないので、また今度ね、と言い聞かせてやって来ました。帰りに木の葉焼きといってたい焼きの上等で美味しいお菓子が売ってます。行列が出来る位で、Nちゃん等に買って帰る。



そのお店のお庭のです。宇治川べりの木にヤドリギ?が見えます。人に聞くと夫の病も容易く昇天出来る病気では無さそう。悔いが残らない様に、京都市の公立病院に変ることにしました。心臓にステントが入ってるので、尚更大きな病院でいいでしょう。

「ガンガン、ガンガン」と言って、、、でもまあどちらにしても、余生を楽しみましょう。美味しいものを食べ、遠くへはなかなか行けないけど、近くでパチリも楽しみたい。委ねつつ。

生と死は隣合わせ

2015-01-22 13:52:37 | 日記
イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」(ヨハネの福音書11章25、26節)



夫の事ですが、この1年頻尿で、病院に行ったら、と言ってたのですが、やっと昨年12月に泌尿器科へ行きました。初めの血液検査では悪性でない、と言って下さってましたが、CTや管を通す検査で、悪性の疑いが大きいらしいです。まだ2回検査があるとか。



夫も以前の様に「生」への執着は強くなく、何も思い残す事はないし、得心とのこと。私もクリスチャンになっても、「死」を考えたら、ドーとして怖かった。段々と神様はそんな事から離れさせて下さり、ドーとしなくなった。天国の希望が大きいですから、とっても感謝です。信仰がなければ、もし「死」を目前にしたら恐怖で居た堪れないと思います。



夫はとっても元気で、よく食べるしよく寝る。昨日も食べ過ぎ、また体重が増えたから食べない様にするとか。我々、何が起こっても不思議でない年齢。残された人生を出来るだけ楽しく、体力がある時は旅もしよう。これから検査に入院、手術等々あるでしょう。合い間は明るく過ごしていきたいものです。今も夫は友人といつもの様に銭湯へ行ってます。そこには美味しいものもあるとか。



この病で「死」を迎えるか、また癒されるか解らないですが、この世には何の未練もないです。去る時まで体の苦しみとの闘いがあるでしょう。最後の苦しみに誰でもですが、耐えられるか?案じる事もありますが、神様はあなたに耐えられない苦しみは与えない、と約束して下さってます。委ねつつ歩んで行きたいものです。



この水仙は恵心院のものです。行ってみましたが、人か動物か解らないですが、水仙が倒されガッカリ。だから群生したとこが無くて、アップの写真ばかりですし、バックのボケも悪いですが、仕方ないです。これから
椿や蝋梅が綺麗ですね。今に梅が咲き出すでしょう。楽しみです。