日々の思い

日常の出来事、思いを書き続けて、自分を見つめて行きたいと思っています。

4月30日   御言葉をあなたへ

2019-04-30 09:33:52 | 日記

「わたしはあなたのほかに、だれを天にもち得よう。地にはあなたのほかに慕うものはない。わが身とわが心とは衰える。しかし神はとこしえにわが心の力、わが嗣業である。」詩篇73:25-26
 
 世にあっては、天涯孤独、頼るものなしという状態は悲惨なものです。しかし、人は本来孤独者というか単独者なのです。大家族に囲まれようとも、友人が多数居ても、それは変りません。ただ、神様を頼りとし、その方にしっかりつながるなら、孤独のようでそうではなく、単独であってそうではない強さを持つことが出来ます。(KE)
 
 
 
                  宇治田原  奥山田
 
宇治田原の奥、奥山田に入りますと空気が変わる気がします。空気が澄んでいるのでしょうか、
気持のよい里山です。山野草も多く、木々も美しい。その代わり廃校になった立派な小学校もあり
時代の影響で寂しくも感じます。まだシャガの群生の場所が綺麗でした。
山の上にお寺もあり童謡が甦ります。
 
 

 


4月29日   御言葉をあなたへ

2019-04-29 09:39:38 | 日記

「シオンにおり、エルサレムに住む民よ、あなたはもはや泣くことはない。主はあなたの呼ばわる声に応じて、必ずあなたに恵みを施される。主がそれを聞かれるとき、直ちに答えられる。」イザヤ30:19

 なんと慰みに満ちた言葉ではないでしょうか。神様は十字架を立てて、隔ての壁を取り除いてくださいました。「泣くことはない」と。泣き声を聞かれた主は、私たちが主に呼ばわるのを待っておられます。しかも、答えようと約束しておられます。遠慮なく、躊躇せず、大胆に信頼して、大きな声で主を呼んでください。(KE)
 
 
                   宇治田原 湯屋谷
 
すっかり様変わりしたお馴染の所ですが、小高い山の頂上に登れば今や若葉の美しさで感動です。
見渡す限りの常緑種の杉と落葉種が旨くコントラストを編み出し、見応えがあります。唯、太陽が
見えず残念ですが。遠くには雲が湧きだす山もあり、やはり自然はいいなぁ、と自然への愛おしさ
が湧き出ます。遠くに湯谷谷の集落が見えます。

 


4月28日   御言葉をあなたへ

2019-04-28 08:08:23 | 日記

「だから、わたしの愛し慕っている兄弟たちよ。わたしの喜びであり冠である愛する者たちよ。このように、主にあって堅く立ちなさい。」ピリピ4:1

 このような情愛深い呼びかけを受ける者はだれでしょうか。実は、神様のあなたに対する呼びかけにほかなりません。自
分に向けられたものと思うと、なんだか恥ずかしい気がしますが、このうえなく嬉しいではありませんか。こんな深い愛をもって、あなたを顧みていてくださるのです。今日も、見えるものに振り回されず、「主にあって」堅く立ち歩もうではありませんか。(KE)


昨日は1年半振りでしょうか。花さか爺さんの夫は当てにならず、連休ですから息子に
車に乗せてもらって宇治田原と和束(宇治田原の南隣の宇治茶の産地)へ行きました。
毎度毎度のお馴染の場所へ行きましたが、反対側の広大な茶畑はすっかり様変わり。
多分変電所になるのか?新名神高速の工事をしている箇所もあり、田原も変わりました。
宇治田原を沢山撮っておいて良かった。自然は変わります。
お馴染の所は同じで、よくここへ来たなぁ、と暫し感謝の思いに傾倒です。

4月27日   御言葉をあなたへ

2019-04-27 14:54:34 | 日記

「もしあなたがたがわたしを愛するならば、わたしのいましめを守るべきである。」ヨハネ14:15
 
 「愛する」とはどうすることでしょうか。おんぶに抱っこ、なでたりさすったりして、可愛がることでしょうか。みことばによれば、「愛する」とは、その人の「いましめ」を守ることです。広い意味で、その人の語ることばを信頼し、従うことです。目に見えない方である、イエス様を愛するなど、どうやればいいのか当惑しますが、実に単純明快なことです。ただ、聖書を通して語られる主のことばを守り行うとき、主に出会うのです。(KE)
 
 
 
               庭の花

 


4月26日   御言葉をあなたへ

2019-04-26 09:55:22 | 日記

「おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。」ピリピ2:8

 これはイエス様の生涯を語った一言です。主の生涯を現すキーワードは「従順」です。では、誰に対して「従順」なのでしょうか。それは父なる神様に対してです。神の位にあった御子が人となること自体、とてつもないことであり、人の世にあっても、自分の思いのままではなく、神様の御旨に徹底して従われました。十字架の死をも父のみこころと信じたのです。これは救いを受けた私たちの生き方でもあります。(KE)



大きな牡丹の花が咲きました。狭い庭ですから花写真のいのちであるバックが
色々見えて汚いですが、今年も咲いてくれて、3日程ですが、回りに色彩を
添えてくれます。

スマホを買ったので岡山の友人に電話する。(いくら電話しても同じ料金ですから。)
犬を飼っていて、犬友しか話さないとか。大津から岡山へ越したけど、息子家族と
2世帯住宅なので寂しくない様で良かった。犬が彼女だけしか懐かないので毎日
テンヤワンヤの様子。アー可愛いハッチャンを思い出すなぁ。