日々の思い

日常の出来事、思いを書き続けて、自分を見つめて行きたいと思っています。

八重桜の頃

2015-04-30 08:35:17 | 日記
ダマスコにアナニアという人がいた。。。。。主はこう言われた。「立ってサウロというタルソ人を尋ねなさい。」しかしアナニアはこう答えた。「主よ。私は多くの人々から、この人がエルサレムで、あなたの聖徒たちにどんなに酷いことをしたかを聞きました。。。。」しかし主は、こういわれた。「行きなさい。あの人は私の名を、異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ、わたしの選びの器です。」。。。そこでアナニアは出かけて行って、サウロ(パウロ)の上に手を置いてこういった。「兄弟サウロ。あなたが来る途中でお現れになった主イエスが、私を遣わされました。あなたが再び見える様に成り、聖霊に満たされるためです。」するとサウロの目が見えるようになった。彼は立ち上がって、バプテスマを受け、食事をして元気になった。。。。そしてただちに、諸会堂で、イエスは神の子であると宣べ伝え始めた。(使徒の働き9章10~19節)



22日に信楽の山奥へもう1度行きたくて出かけました。ついでに宇治田原の八重桜は如何に?今や見頃です。急ぐので、20分程パチリ。そして近くの茶畑も少しパチリ。









何とか違ったアングルでと思うのですが、この狭い場所。なかなか思い浮かばないものです。少し田んぼに水が入ってましたが、なかなか映り込みも汚いです。





近くに中学がありますから、自転車で登校とは流石に田原ですね。



今ではもう田植えは済んでるでしょうか。





田原川で最も華やかな頃でしょうか。山は若葉。茶畑も少し芽が出て美しくなって来てました。





余り多くを求めると駄目です。信楽で道に迷いかなりの時間を費やしたのに、ほんの少ししか撮れてないです。大事な茶畑へ戻ればもう太陽は朝の光では無くなってました。(>_<)
これから日本中ですが、里山が美しくなるので楽しみです。

上の言葉
(サウロ(パウロ)が主の業により、ダマスコへ行く途中で倒れ、目が見えなくなりました。ダマスコに住む弟子、アナニアに主が示され、サウロを尋ねなさいと。アナニアはエルサレムであんなに酷い事をしたサウロに?と。しかし主はサウロは異邦人等に伝える選びの器です、と言われた。アナニアがサウロの上に手を置くと、サウロの目が見えるようになったのです。サウロは180度変わりました。それからサウロは異邦人、、、トルコ、ギリシャ、ローマへとキリストの証人、伝道者へと変えられて行くのです。

ゴルフ場

2015-04-28 09:05:26 | 日記
サウロ(パウロ)は、なおも主の弟子達に対する脅かしと殺害の意に燃えて、大祭司のところに行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を書いてくれるよう頼んだ。。。。。ところが道を進んで行って、ダマスコの近くまで来たとき、突然、天からの光が彼を巡り照らした。彼は地に倒れて、「サウロ、サウロ。なぜ私を迫害するのか。」という声を聞いた。彼が、「主よあなたはどなたですか。」と言えと、お答えがあった。「私はあなたが迫害しているイエスである。立あがって、町に入りなさい。そうすればあなたのしなければならないことが、告げられるはずです。」。。。。。サウロは地面から立上った、目は開いていても何も見えなかった。そこで人々は彼の手を引いて、ダマス故へ連れて行った。彼は3日の間、目が見えず、また飲み食いもしなかった。(使徒の働き9章1~9節)



17日ようやくゴルフ場に着きました。やっぱり桜が満開です。寒い場所なんでしょうね。17日間も宇治とは開花が違うのですから。しかしゴルフ場は草1本生えてなく手入れが行きとどき、自然を追い求めて来た私には不満があります。でもたまには違った風景でゆっくりしましょうか。







夫は遠くまで行ったので、私はゆっくりしようと、腰かけてますと、ふと目に入ったのが、ボンヤリとした芝生の中から浮かぶ紋様。それはこもれびから入った光と影でした。面白い事が撮影に行きますと遭遇します。他は昼間のピカ天。光は回りを白く照らし、これでは撮影にならんな、と思いつつ来れただけでもいいかと感謝しました。



このゴルフ場は3つ位の山を開かれた様です。凄く大きな敷地で、温泉もレストランもあり、子供の遊び場もあります。ゴルフはやった事もないです。私がやれば、ラケット?に玉が当たらないし、飛ばないでしょう。運動神経鈍し。ゴルフをしなくても車で入って来れますし、温泉も入れます。朝にはボコンボコンした凹凸の隆起が影を描き、面白い写真が撮れるでしょう。でもこんな昼間では。。。









桜の木はまだ若木で、これからの所でしょう。





道なりは古い風景。ゴルフ場は近代的と、近場でも面白い被写体があるものです。

上の言葉

(サウロ(パウロ)は十字架の刑も承諾したでしょうし、ステパノの石打ちの殉教も承知して、益々使徒や弟子、信徒の殺害に燃えて行ったのでしょう。
人間の歴史が自分の反対派に闘いを仕向け、家庭であれ、会社であれ、国家であれ、闘いは止む事はありません。我欲、妬み、嫉妬、自己中心、怒り、etc...どうしようも無い人間の持つ「罪」です。
イエスはダマスコへ迫害に行く道で、天からパウロに声をかけ、彼が回心する様に倒し、目を見えなくして、試練を与え、導かれました。後に今でいう、宣教師の役目になるように主の業が表れます。)








信楽山中風景

2015-04-26 14:01:20 | 日記
サウロ(パウロ)は、ステパノを殺すことに賛成していた。その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起り、使徒たち以外の者は皆、ユダヤとサマリアの諸地方に散らされた。サウロ(パウロ)は教会を荒し、家々に入って、男も女も引きずり出し、次々に牢に入れた。他方、散らされた人たちは、御言葉を宣べながら、巡り歩いた。(使徒の働き8章1,3,4、節)



17日の10時頃出発で信楽温泉(ゴルフ場)に向かいました。信楽駅からは東になり標高の高い所です。夫は友人とこの信楽温泉に行くので、まだ桜が咲く頃だとか。この道へ来たのは私は初めてです。まだ桜がそう遠くない場所にあるとは嬉しいと着いて行きました。茅葺に山桜。好きな被写体です。







小川の傍に桜が咲き、宇治とは17日も遅いのですね。しかし寒いです。気温も随分違い、家から1時間もかからないですが、こんな寒いとこがあるのでした。流石近畿のアルプスです。ダウンコートを着て丁度でした。







山中らしくタイムスリップした感覚になります。幼い時、よく母の実家が長岡市でしたが、その頃の山風景よりまだ古いでしょうか。でも懐かしいです。



桜と小川。う~ん、ゆっくり見ていたいです。





郷愁に誘われますが、しかし不便でしょうね。国道からかなり離れて、遠いです!住めば都でしょうか。



ここからゴルフ場までまだまだ走りました。

上の言葉
(当時パウロはサウロと呼ばれていました。彼は律法学者で、ユダヤのトップを行くエリート。律法学者やパリサイ人は上部の権力を持っていました。旧約聖書の律法を重んじて、それを厳しく守っていれば、神に忠実で救われる、と思っていたのです。その規約は日常の詳細にゆき届き、誰も守れないものです。しかし彼等は守っていると考えて威張っています。そこに愛はないです。

イエス様は律法も必要ではあるけど、それは人は誰も守れない。救いが無い。律法は人の罪を表現しています。誰も守れないのです。そこでキリストは、ゲヘナに投げ込まれる運命の人類の為に、身代わりに十字架に掛かって下さいました。人は神の前で平等であり、十字架の贖い。イエスキリストを通してでないと、救われないのです。そこにキリストの愛があるのです。

人々はキリストに着いて行こうとします。律法学者は迫害し殺そうとします。筆頭がパウロだったのでしょう。彼は迫害し、人を捕え、牢に入れました。
使徒でない人はサマリア等に散らされました。不思議な事です。散らされたピリポ等はサマリアで熱心に伝道し、サマリア人が多く救われました。歴史を見ても、迫害が起きたら、キリスト者は困難を押し、世界の隅々まで伝えて行った経緯があります。)

みつばつつじと野の花

2015-04-24 18:37:23 | 日記
エルサレムで、弟子の数が非常に増えて行った。そして多くの祭司たちが次々に信仰に入った。さてステパノは恵みと力に満ち、人々の間で、素晴らしい不思議な業としるしを行っていった。(使徒の働き6章7,8節)。。。。。そして彼等がいっせいにステパノに殺到した。そして彼を町の外に追い出して、石で打ち殺した。人達は、自分たちのの着物をサウロ(パウロ)という青年の足もとに置いた。ステパノは主を呼んで、こう言った。「主イエスよ。私の霊をお受け下さい。」。。。そしてひだまずいて、大声でこう叫んだ。「主よ。この罪を彼等に負わせないで下さい。」こう言って眠りについた。(7章57~60節)



17日は信楽でも東の山、信楽温泉に向かって走りました。まだ桜が咲いてる予想をしてです。しかし10時出発では下見です。その幹線道路から少し入ると山中でも団地があって、驚きました。多分バブルの頃に開かれたか?売り家等が多いでした。寒い所ですから別荘にいいかも。そこにみつばつつじや空き地に山野草や園芸種が無動作に咲いていました。











みつばつつじの色はピンクではありますが、少し紫が入り好きな色です。





ムスカリは庭によく植えられていますが、こいった場所に放置され、今や土手や草むらによく見かけます。





チューリップやスノードロップも野生化するかも。







また違う空き地に水仙が群生して植わっていました。群生すると大変綺麗で心癒されました。

上の言葉
(ステパノは聖霊に満たされ、益々力強く人々にイエスの十字架と復活を話、信仰にはいる方々が多くなりました。ユダヤ教の祭司まで信仰に入る方が起こされ、彼は光輝いていました。しかし面白くないのはユダヤ教の祭司や役人達。イエスを十字架に付けたのですから。また多くの人が信仰に入れば、嫉妬も湧きます。彼等はステパノを捕え石打にして殺しました。ステパノは恐れず「主よ、この罪を彼等に負わせないで下さい。」と祈るとは!悲しいけど、彼は喜んで死にました。使徒の中で初めての殉教者でした。)






道なり風景 (宇治田原から信楽)

2015-04-22 13:26:52 | 日記
信じた者の群れは、心と思いを一つにして、誰一人その持ち物を自分のものと言わず、すべてを共有にしていた。使徒達は、主イエスの復活を非常に力強くあかしし、大きな恵みが全ての者の上にあった。(使徒の働き4章32,33節)







11日は朝は雨で、少し宇治田原に立ち寄りました。山は山霧。なかなか良いムード。ところが段々晴れて来ました。





何これ。この4月は雨続きばかりの天候ですが、要らぬ時に晴れます。これって私の我儘ですが。



宇治田原の桜は散ってますが、信楽は見頃でした。茶畑はまだ若葉は出てないです。



山奥のこぶしの花が何となく印象的です。



 ペンペン草が咲いてます。この花は私の様。(>_

宇治田原や信楽の桜もこれで最後でしょうか。いやいや、今年は本当に多く桜に出会えました。
まだ次に、信楽の寒い場所で桜を見る機会が与えられました。

上の言葉
(救われる人々が益々増し加わりました。また迫害も強くなりましたが、使徒達は持ち物を共有したとあります。凄い事です。人は欲が深いのが当然みたいな世の中ですが、自分の持ち物を皆出して、共に使っていったのでした。なかなか出来ない事です。彼等は聖霊に満たされ、大胆に十字架と復活を宣べ伝えて行きました。)