日々の思い

日常の出来事、思いを書き続けて、自分を見つめて行きたいと思っています。

9月25日   御言葉をあなたへ

2018-09-25 10:14:15 | 日記


「あなたがたは、主キリストに仕えているのである。」コロサイ3:24b

 イエス様を信じて、その救を受けた私たちは何ものにも支配されない自由を与えられていますが、それはキリストに仕えることによって得られるのです。イエス様を主と崇めて、み声に従うとき、自由な生き方が全うされます。自分の思いのまま、心のおもむくままに生きるのが自由ではありません。そこは様々な力に引き回される奴隷の生涯と言うほかありません。この世にありますが、あなたの主はキリストであることを忘れないで下さい。(KE)








        大阪市街

9月24日   御言葉をあなたへ

2018-09-24 04:23:14 | 日記


「もし最初の確信を、最後までしっかりと持ち続けるならば、わたしたちはキリストにあずかる者となるのである。」ヘブル3:14

 信仰生活には終わりがありません。この世の生活が終わり、天に召されて主のみ前に立つときまでつづきます。過去にどれほど信仰熱心であっても、途中で投げ捨てるならまったく意味がなくなります。過去の実績を評価してもらうわけにはいかないのです。貴重なものを失うことがあっても、信仰を持ち続ける方が大いなる利得です。それには大きな測り知れない報いが伴っているからです。(KE)








        新潟県  妙高高原

9月23日   御言葉をあなたへ

2018-09-23 08:22:41 | 日記


「神は、このあわれみの器として、またわたしたちをも、ユダヤ人の中からだけではなく、異邦人の中からも召されたのである。」ローマ9:24

 「あわれみの器」とはなんと光栄なことでしょうか。神様からの憐みを受ける者として選び、召されたのです。自分の思うところ、考えることと違っていようと、主の憐みのゆえに今日も生かされています。しかも、異邦人であった私たちを選んでくださったのです。この恵みを感謝して、主の期待に応えたいものです。(KE)








        宇治田原町

9月22日   御言葉をあなたへ

2018-09-22 08:44:57 | 日記


「その主人は主が彼とともにおられることと、主が彼の手のすることをすべて栄えさせられるのを見た。」創世記39:3

 ヨセフは兄弟から妬まれ、売られてエジプトへくだり、侍衛長ポテパルに買われました。彼は神様を畏れ、置かれたところで忠実に勤めを果たした結果、神様からの祝福を受けたのです。それは彼が主に仕えることに徹底したからです。人のため、世のためであれば、その結果、人の歓心をかい、気に入られようとして行動が不安定になります。揺るがない、真っ直ぐな生きかたを選びましょう。(KE)








          長野県  車山高原

9月21日    御言葉をあなたへ  

2018-09-21 08:37:05 | 日記


イエスは彼らに言われた、『よくよく言っておく。人の子の肉を食べず、また、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない』。」ヨハネ6:53

 イエス様の「肉を食べ、血を飲む」とはただ事ではありません。そんな馬鹿げたことと思われますが、実際に肉を食べ、血を飲むわけではなく、比喩です。食べたり飲んだりしたものは、その人の中に取り込まれて、栄養となり、エネルギーとなります。そのようにイエス様が内に宿って、あなたの言葉や行動の原動力になっていただくことです。(KE)









             宇治田原町