10月20日 御言葉をあなたへ 2018-10-20 09:13:59 | 日記 「すると彼は言った、『あのかたが罪人であるかどうか、わたしは知りません。ただ一つのことだけ知っています。わたしは盲人であったが、今は見えるということです』。」ヨハネ9:25 生まれつき目が見えなかった人が、イエス様によって見えるようになりました。そのため大騒ぎになり、彼の家族にまで不利益が及ぶほどでした。しかし、彼には確信があったので決して動揺しません。それは誰でもない自分自身の直接体験だからです。信仰も同様に実体験によらなければ、何か事があるとすぐに消えてしまいます。(KE) 長野県 鎌池
10月19日 御言葉をあなたへ 2018-10-19 08:34:00 | 日記 「時が来れば成就するわたしの言葉を信じなかったから、あなたは口がきけなくなり、この事の起る日まで、ものが言えなくなる」ルカ1:20 イエス様の御降誕に先だって、年老いたザカリヤとエリサベツに子供が与えられると御使が伝えました。ザカリヤは到底信じがたいことだったので、そんなことはありえないと思いました。神様を信じるとはまさに人の理解や想像を超えたことです。自分の知識や智恵で考えられる範囲にとどまりながら、神様を信じることはできません。神様の支配、「時」に委ねましょう。(KE) 宇治田原町
10月18日 御言葉をあなたへ 2018-10-18 09:11:55 | 日記 「多く与えられた者からは多く求められ、多く任せられた者からは更に多く要求されるのである。」ルカ12:48b なんでも同じようにすることが平等であるかのように思いますが、それは決して平等ではありません。神様はそれぞれの能力に応じて取り扱われる方です。だから、他者と比較することは無意味です。あなたにはあなたでなければ出来ないことを備えておられます。神様が自分だけを懲らしめているように思われるとき、それはあなたに期待するところが大きいからです。主のご期待に応えようではありませんか。(KE) 宇治植物公園
10月17日 御言葉をあなたへ 2018-10-17 09:05:08 | 日記 「これは、罪のゆるしを得させるようにと、多くの人のために流すわたしの契約の血である。」マタイ26:28 最後の晩餐の席でイエス様が弟子たちにぶどう酒の杯を与えながら語った言葉です。この後すぐに十字架にかけられることを知っていたイエス様は、ご自分の死が何のためであるか、はっきりと宣言しました。私たちの罪を赦すために流された血、即ち命であり、保証としての契約の血判でもあります。これによって赦されない罪はなく、現在のみならず、過去・未来に及ぶ完全なあがないが完成したのです。(KE) 長野県北部 鎌行池