ショップ ダンケ

ドイツ雑貨「ショップ ダンケ」のオフィシャル・ブログ

マルティン祭り

2006-11-08 01:03:00 | ドイツ・ドイツ

Naruto05sep 先週の連休は、徳島県鳴門市にある「鳴門市ドイツ館」に、販売に出かけた。

夏のイベントにも、うちの「ショップ・ダンケ」の商品を置いていただいたが、今回も「マルティン祭り」のイベントを開催されるというので、行ったのである。

ドイツでは、11月11日、聖人マルチンを称えるお祭りの日。

マルティンとは、4世紀冬のある日、寒さに震える貧者にその場で切り裂いた自分のマントの半分を与えたというエピソードがある。その貧者が実はイエス・キリストの化身であったことから、マルティンの行いは誉められて、この人が、後に St.Martin
 (聖マルティン)の称号を与えられ、人々から、あがめられるようになったということなのである。

ドイツでは、この日、ガチョウ料理をよく食べる。なぜなら、マルティンは、慎み深い人で出世することを望まず、「Bischof ビショフ(カトリックの司教、プロテスタントの監督の意味)」に選ばれそうになった時にガチョウ小屋に身を隠していたところ、ガチョウたちが騒ぎ立ててマルティンを探す人々に彼の存在を教えたという伝説と、関係していているのだそう。

11月10日、当日11日を中心に、暗くなってからLaterne ラテルネ(いわゆる「提灯」)を持った子どもたちがLaternenlieder ラテルネンリーダー(提灯の歌)を歌い、ご近所をまわり、お菓 子をもらう。アメリカのハロウィーンと似ているかな。

このLaternenzug ラテルネンツーク(提灯行列)の到着地では、キャンプファイヤーの火のような大きな焚き火 Martinsfeuer (マルティンの火)をするということです。そこで、
聖マルティンの寸劇をしたりする。

子どもが主役なので、幼稚園や小学校、地元の教会やスポーツ団体などが、この提灯行列を主催する。11月ごろは、もう寒く、暗く、自作の提灯を揺らしながら、暗闇に消えていく子供たちの姿を、私も覚えている。
ちょうど、秋の収穫を感謝し、冬の到来を実感する日というのでしょうか。

さて、鳴門市ドイツ館では、子供と親御さんが集まって、牛乳パックを使ってのランタン作りをして、その後、「ラプンツエル」の朗読と、ピアノとバイオリンの演奏会が行われた。

朗読の時は、ピアノとバイオリンが効果音のように入るのだが、息を合わせるために、当日、長いこと練習を重ねられているのを、目の当たりにした。子供たちは、行儀よく本番の時、お話に聞き入っていた。

地元の人たちがお客様だったんで、オミヤゲを買うというムードはあまりなく、売り上げは、厳しかったのだけど、鳴門市ドイツ館の皆様には、とてもよくしていただいた。

やっぱり営業先に、足を運ぶというのは大切です。


かっこう時計

2006-10-03 11:09:12 | ドイツ・ドイツ

Schonau この夏のドイツ滞在中、「黒い森」にある時計会社の、立派な時計購入の商談のお手伝いをした。

これも、始まりは、一通のメールからなのよね。ネットを運営していて、ご縁が、仕事になったケース。

工場で、その時計の製造過程を見せてもらうと共に、かっこう時計も見せてもらった。

かっこう時計は、ドイツ職人技の結晶みたいな商品。かっこうが飛び出し、お人形が回り、オルゴールが鳴り出すといった三段階の面白さがある。精巧な手彫りも素晴らしい。ドイツのいわゆる職人芸が、見事に商品化したものだと、つくづく思う。お値段も、もちろんそれなりに。

この時計が、飾られるのに似合うのは、相当リッチなおうちでないとと思うけれど、、喫茶店や、旅館といったお商売で、人の集まるところに飾ると映えると思った。

幸い天候に恵まれ、商談のあとは、ちょっぴり観光もでき、ドイツ料理も堪能してもらえた。「ドイツに来ることはあっても、この町は、もう来る事がないでしょうね。」とお客様が、ぽつんと言われたことが、胸に残っている。それは、私とて同じ。

「黒い森」の時計街道にある小さな町、冬場は、スキー場にもなるようだが、時計に興味がないと、そして車がないと来れない町。よって、一般の日本人観光者が、足を踏み入れる可能性は、少ない町。「黒い森」の起伏の多い道を、ドライブしながら、忘れがたい町を立ち去った。


ベルリン探索

2006-09-24 16:36:18 | ドイツ・ドイツ

Berlinsep06_2 ドイツから帰国してからの、ベルリン報告である。

9月に1回だけのアップでは、あんまりだよね。思い出しドイツで、ベルリンでの出来事を書いてみる。

ベルリンのおしゃれなスポットを歩き回り、ステキなものを探すハズだった。それは、ハッケシャーホフ(Hackesche Hoefe)界隈でしょうというベルリン在住の友人の勧めに従い、歩き回った。

ここは、メディアにも必ずといっていいほど取り上げられるスポット。一つのビルのなかに、カフェ、レストラン、ショップ、劇場、映画館が入っているマルチカルチャーなコンプレックスなのだ。ホーフといわれる中庭のある構造は、ちょっと隠れ家的要素があって、幾何学的なタイル、窓がアクセントになっている。

最初来たときは、感激したのだが、今は、観光客気分でなく、バイヤーの端くれとして、町歩きをしているから、これくらいの規模のカルチャースポットは、東京なんかじゃ珍しくないんじゃないのって、思ってしまった。ショップの中でも、観光客に人気のショップが、「アンペルマン」

Ampelmann2_1 東西ドイツが統一したとき、信号も統一しようということになって、このちょっとかわいい旧・東ドイツの信号のデザイン・アンペルマン(信号人、この信号の人型の呼び名)を残そうという運動が、東西ドイツから上がり、このデザインは、無事残ることになった。

「信号まで、西のものに変えられちゃうの?」という東ドイツの悲鳴だったとドイツ人の友達は言ってたっけな。。ちょっと太っちょさんで帽子をかぶってるアンペルマンは、ユーモラス。

これをシンボルマークに、商売始めちゃおうとしたヒトは、偉い!Tシャツから、エコバック、キーホルダー、マグカップ、グミと言われる弾力のあるお菓子まで、アンペルマン・グッズを作り、大当たり!

確かにカワイイけど、これは、話題性の勝利だよねえ。ふーん。小売りで、売っているものを、買う気にはならない。

ハッケシャーホフ界隈のローゼンターラー通り(Rosenthaler Str)や、オラーニエンブルグ通り( Oranienburuger Str)が、面白いと聞いたので、足が棒になるまで歩き回った。

でも、結果的には、収穫がなかった。目抜き通りといっても、大阪や東京のファッションスポットのように、お店がダーと連なるということはなく、ポツポツお店があるって感じなんだよね。タイ料理、インド料理、そしてベーグルを売るお店など、インターナショナルな食べ物やさんがあるのは、さすがベルリンとは思ったけど、ショップに、ピクピクと来るところは、なかった。

ベルリン滞在中は、友達のところに泊めてもらった。仕事で、忙しくしているところに、間が悪かったのだけど、それでも、2年前、一緒にエアフルトに、農家滞在の旅行をした友人も集まってくれて、旧交を温めた。

                  

 


フランクフルト見本市

2006-09-01 03:26:49 | ドイツ・ドイツ

Messe_tendence2006 8月の終わりに、フランクフルトである毎年ある雑貨見本市に、「Tendence」に通った。

広い広い会場であるが、「ショップ・ダンケ」で扱うものとなると、ホール3と5と、アクセサリーのホール8くらいになる。

今まで取引のあるところに、挨拶に行き、最新のカタログをもらい、商品説明を受けた。天気が悪かったこともあるが、バイヤーの数が、少ない見本市だと、業者も嘆いていた。

ステンレスのギフト雑貨のロマノフスキー社は、「ショップ・ダンケ」の主力商品なのだが、なにせ、在庫を、たんまり抱えているので、おいそれと買い付けはできない。ここの小物が多かったことが、催事に呼んでもらうきっかけになったのだが、売れるものと、ダメなものがあるのよね。

自分の商品の方向性を決めて、むしろ整理していこうと思っているので、今の商品カテゴリーに入らないものは、買おうとは思わない。そう思うと、魅力的なこれぞと思う商品には、出会えなかった。とにかく、ユーロ対円の相場を考えると、何を見ても高く感じる。

いわゆるエルツの木製おもちゃは、ドイツらしい民芸品と言えるけれど「ショップ・ダンケ」の煙出し人形は、一番クオリティの高いKWO社のものを取り扱っているので、正直高いのデス。でも、人形は、顔だと思うし、ほんわかした太っちょさんのここの人形の表情に、惚れ込んでいる。木目を生かした塗りの美しさ、細やかな細工は、抜きん出ていると思う。でも、煙出し人形は、パイプ人形という人もいて、お香を、人形のお腹にたてて、口から煙を出す人形だという認知度も、まだ高くない。しかし、認知度が、高くなると、大手の業者に、抑えられてしまうしね。

まだ、「ショップ・ダンケ」には、出せていないけれど、ベルリンのビーズ屋さんから買っているアクセサリーは、買い付けた。アクリルやポリエステルで出来た玉を、微妙な色のコンビネーションでつないで、ネックレスにしているところなのだ。ガラス玉を取り入れたもののガラスの出所は、チェコ製だという。東欧の美術展や音楽祭には、ぴったりだわ。

明日から、ベルリンに行く。蚤の市を見てみたい。旧・東ドイツのもののデザイン性を高く評価する雑貨店主も多いが、コンディションの悪いものは、好きではないしなあ。

何に出会えるかは、どうにもわからない。これって、運命だもの。とにかく、晴れであることを祈るばかり。蚤の市は、天気しだい。もう、こんなドイツの夏は、お目にかかったことがないと思うくらい、寒くて雨交じりの毎日だ。


東山魁夷画伯とドイツ

2006-06-16 22:03:00 | ドイツ・ドイツ

あーあ、日本は、初戦、オーストラリアに負けちゃったね。せっかく1点先取してたのに、後半、点を立て続けに入れられちゃって、ガタガタに。守護神、川口ボールキーパーの呆然とした顔が、イタかった!

さて、テレビ観戦を終えて、またまた東京出張へ。

ゴールデンウィークに、東京国際フォーラムであった「熱狂の日 音楽祭 ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」のモーツァルト市場の主催者「アート・プリント・ジャパン」の「2006クリスマスカード・2007カレンダー・秋商品・年末商品受注会」にお招きをいただいたからである。

華やかな雰囲気の会場で、ちょっとドキドキ。「あ、コレ」と思ったのは、東山魁夷シリーズである。

画伯は、1933年に、ヨーロッパの美術の研究と生活を体験されている。ネコも杓子も、留学する今とは違う、73年前、はるか戦前なのだ。私は、新潮文庫で、東山魁夷小画集「ドイツ・オーストリア」を持っている。

画伯は、それから36年後1969年に、奥様を伴われて、ドイツ・オーストリアの旅に出られた。やすらぎを感じた旅だったと印象を述べられている。

アート・プリント・ジャパンの東山魁夷シリーズグリーティングカードの「赤い屋根」は、ローテンブルグ。市庁舎のてっぺんまで上れるので、そこからのアングルだろう。

「ニュールンベルクの窓」は、多分、カイザーブルグからの眺め。

「夕べの聖堂」は、小画集にあったからわかったけれど、リンブルグ。

グリーティングカードのなかで、ひときわ美しい切り立った山に囲まれたバイエルンの湖を描いた「緑響く」ベテヒルスガーデンのケーニッヒ湖かな?青く、深く静かに澄んでいる湖。この湖の真ん中で演奏されるトランペットの演奏が有名なのだ。

幻想的な「沼の静寂」や「白馬の森」は、東山魁夷画伯の捉えた「ドイツ」の本質を映した風景だと思う。

このグリーティングカードは、「ショップ・ダンケ」で取り扱うことに決定(笑)

画伯は、「ドイツ・オーストリアの旅」の画集の冒頭で、「憧憬と郷愁」と題した一文を載せられている。転載しよう。

「憧憬と郷愁、別離と帰郷、それが旅の姿である。しかし、もし、この二つの異なった方向が一つの輪に結ばれていたら、そのような宿命を持つ旅人は、いつまでも輪を描いて歩き続けることになる。」

画伯は、1984年に、「しかし、恐らく私の旅の輪は、東へ巡り帰ってきたところで、終着点を持ったと、いま私は思っている」と記されている。

戦後、天地を見渡す山々を描いた「残照」から、唐招提寺全障壁画に繋がる画家の歩んだ旅路は、辿るべき地点に到達されたのだろう。

人にとって、生きていくこと自体が、旅である。私は、ドイツと日本との間を、行き来して、いつまでも、輪を描いて歩き続けるのであろうか?

その答えはまだ出ない。だって、今も旅の途中なのだから。