GWに突入したが、今日で、ちょうどJR脱線事故から1週間だ。連日、関西ではずっと報道されている。運転手やパイロットといった仕事は、安全を預かる仕事だから、勤務中、気を抜けない性質の仕事だ。カッチイには、こういう仕事の適性はないな。ホラふきの営業マンタイプ?だから(笑)
安全に運転をして、定刻に到着するのが、当然だから、仕事の評価は、ミスを犯した際の減点主義でいくのはある程度理解できるにせよ、現在報道で伝えられる限り、JRの懲罰主義は、陰湿なようだ。乗務員手当てのカット」「反省リポートや就業規則の書き写し」「次もし同じようなことをしたら、運転手を辞めるなどの決意書を提出」、さらには「草むしり」まであるという。
これらの責任の追及ばかりの教育が、次なる事故を防ぐのにどれだけ役にたつのだろうか。運転手の若さ、技量不足を問題にする声は大きい。彼を運転手として採用したJRの責任を問う声もあるが、ひとりの人の職業の適性を、見極めるのは、そんなに簡単なことでない。ただ彼は、オーバーランの遅れを取り戻そうと必死だったに違いない。平常心を失ったのだろう。
運転手として、パニックに陥ることほど危険なことはない。オーバーランの距離を短くするための相談が、車掌としたとされるが、そのときの二人のやりとりに、興味を持っている。もっと詳しいことを知りたいと思う。ミスを犯したとき、落ち着きを取り戻し、回復することをバックアップするシステムが機能していたのだろうか?そのことが安全のために、何より大切であると思うから。
列車利用者としては、駆け込み乗車は、もう絶対やめようと思ったね。
乗り遅れちゃと必死に走って、車掌さんを、ひやひやさせることが、ダイヤを遅らせる一因にもなるのだし、そんなにあせって何ほどのことなのか。
何か、車内で、普段と違うことが起こったら、不安になるが、それに対するアナウンスがきちんとあれば、こちらも安心する。安全確保のための点検のためだと言われれば、文句言わずに待つくらいの、度量は、関西人のイラチにも必要だよね。
昔から、多くの少年があこがれる職業のひとつが、バスであれ汽車であれ飛行機であれ、「運転」する仕事である。人命を預かり、走行中の安全を確保する仕事が、
責任が重いだけに、誇りとできるようなシステムを、JR西日本は、確立することが求められている。