ショップ ダンケ

ドイツ雑貨「ショップ ダンケ」のオフィシャル・ブログ

若者の旅 1

2004-11-02 00:00:00 | カッチイ’s ジャーナル

イラク過激派組織に拘束されていた香田証生さんが、遺体となって発見された。最悪の結果になってしまったが、新潟中越地震の被害状況のほうがずっと大きく報道された。土砂崩落の車のなかから、奇跡的に助かった優太ちゃん(2歳)の笑顔は、本当に良かったと思わせるが、香田さんが、犯人側に拘束され撮影されたビデオのなかで、「すみませんでした。また日本に帰りたいです。」と短く語った表情が忘れられない。

外交官やカメラマンといった仕事でイラクに入って犠牲者になったケースの場合と違い、単なる旅行者としてイラクに行った香田さんに対しては、自業自得という意見が多数占める。自衛隊の撤退といった要求を突きつけてきたテロ側に対して、国策を曲げられない政府は、あっさり人質を見捨ててしまった。

香田さんは、旅好きの24歳の青年だった。最初に向かった外国が、ニュージーランドで、そこでワーキングホリデーを1年体験したという。アングロサクソンの伝統を引き継ぐニュージーランドは、穏やかな平和な国だ。なぜ若者の興味の対象が中東に向かったのか不明だが、世界を見たいという好奇心が、自分探しの旅と混同してのことというなら、無謀というほかはない。しかし息子を失って悲しみにくれる家族に、鞭打つような声をあげるのは、卑劣だ。

私が、イラク人を知ったのは、ドイツの大学準備の語学クラスにいたときのことだ。政治的難民ということで、ドイツは、イラク人も、また対立するイラン人も受け入れていた。クラスメートが、「今日、短波放送で、僕の故郷が、爆撃されたって聞いたんだ」暗い顔をして言うのに、かける言葉もなかった。

語学を学ぶというだけでなく、友達を作るのにも、語学学校というのは適している。ただし、先生以外、その国のネイティブがいなくて、クラスメートは、人種のるつぼになることが多いから、友達は、うんと国際的になる。その混沌としたなかから、どれだけ多くのことを学んだことだろう。

しかし、外国人の友達を作ることは、日本国内にいてもできるだろう。しかも日本に何らかの関係があって、難しい問題をかかえて日本に生活する外国人、韓国や中国を始めとするアジア、あるいは南米の人たちがいる。彼らは、日本人とのコンタクトを必要としている。人の役に立ちたいというなら、まず彼らに近づいていくことから始められるのではないだろうか。


先生 1

2004-10-31 00:00:00 | カッチイ’s ジャーナル

なんてハマリやすい性格なのだろう。今年前半は、堤真一さんに、どっぷりだったが、今は、吉岡秀隆さんに夢中。DVD「Drコトー診療所」を買っちゃったよ。DVD特典ディスクを見たかったから(笑)

Drコトーが、はからずも死なせてしまった女子高校生の兄の巽(津田寛治)は、より重症で急を要するとDrコトーの判断により、カラダに、かさが、ささった子供より、優先されて緊急手術を受けて助かる。皮肉にも、妹のケースとまったく逆のケースに自分自身がなったわけだ。(出来すぎているうまい設定だ!)

妹の時の真実は、役立たずの研修医の三上が、患者の手当てができなくて、職場放棄してしまったからなのだが、コトーは、自分の意識のなかで、三上に責任を押し付けようとしたこと自体を問題にして、「あの日の僕は、医者じゃなかった」と言う。

だからこそ、どんな治療にでも、自分が全責任を負わなくてはいけない離島の医師に来たと言うDrコトーに対して、たった一人の妹を失った巽は、さらに言い募る。
「あんたが、人の命に責任を持つというなら、その重さを忘れるな。医者っていうのは、それくらい神聖な仕事であるべきじゃないのか。だから人様に先生と呼ばれるのじゃないのか」

きゃ、普通に聞いたら、あまりに気恥ずかしくなる正論です!吉岡コトーは、何も反論せず、ただ陳謝する。頭を下げているので、目から流れた涙が、まゆに流れていくところを撮ったところは、ベストショットでした。医療過誤の事故の会見のとき、バッタのようにカタチだけ頭を下げる現実の病院関係者の姿と大違い!

ただ、このシーンで、カッチイは、「先生」という言葉に赤面したんだよね。大体、観光業界でトラブルメーカーといえば、センセイと言われる人たち、いわく、医者、政治家、教師、などなど。

吉岡さんは、特典ディスクのインタビューで、先生と呼ばれることについて「照れますよね、もう絶対、なんかもうセンセイなんて呼ばれたくないじゃないですか。なんかあんまりかっこうよくないなと思ってるんで。コトー先生って言われるのはいいんですけどね。先生というだけだと、ちょっと照れくさいし恥ずかしいですよね。」

笑いながら答えていたのだけど、実に、正直で、まっとうな感覚をお持ちです。


リセットの旅?

2004-08-11 00:00:00 | カッチイ’s ジャーナル

ドイツに来るとき、飛行機の中で読もうと「日経WOMAN」を出発直前に買った。8月号だし、旅行の特集だった。ココロとカラダを解き放とう「いざ、リセットの旅へ」がキャッチ・フレーズだった。

「人生をプチ・リセット」ときたもんだ。自分の好きなカタチの旅に出て、上手にリフレッシュするという意味なんだろうが、「リセット」という言葉が気になる。ゲームが負けそうになったら、リセットして、「今のはなかったことにしてちょうだい。チャラにしよう。」というような意味にとれてしまうのだ。

人生、リセットなんてできない。旅に出ても、抱えている問題は、そのまま残っていて、当面は見ないことにしても、ほっておけることではない。いずれは、対峙しなければならない。ただ忙しい日常から抜け出すと、その問題を違った方向から、見ることができるということなんだろう。見えなかった問題の輪郭が明らかになり、少し心が軽くなることを、リフレッシュなり、リセットと言っているのだろう。でも私としては、断固「リセット」という言葉は使いたくない。

ドイツに夏に来ることは、ここ数年定例化しているが、この1ヶ月をひねり出すために、あとの11ヶ月の算段には、それなりに苦労している。それでもやっぱりこの長い夏休みは、贅沢なことだと自分でも承知している。

JTBの「旅」(今は新潮社に移った)の編集長だった岡田喜秋さんの「旅について」という古い本に接したのだが、そこに「旅とは、それを行う人の、心の変化ではなないか」と書かれてあった。

ドイツの旅は、私にとって何であろうか?主には、近しい人との再会であり、ある意味日常生活の延長でもあるが、旧交を暖め、友情を深める。自分のサイトを持ってからは、新しい人との出会いもある。

私にとって、旅は、仕事でもあった。一番好きなことを仕事に選んだ不幸というものを、骨の髄まで味わった。

昨日、ボンの親友と、日本人には、あまり知られていないEiffel山地のなだらかな丘陵をドライブした。さえぎるもののない、一面に黄色い畑が広がる田舎の風景を見ていると、心が静かに落ち着くのを感じた。穏やかに内省的な気持ちの流れというのを、確かに追っていけた。

日本のあわただしい生活のなかでは、ドイツの旅を想う気持ちは、つい萎えてしまう。しかし、ドイツに戻ってくると、想像力や好奇心がかきたてられる。ここを旅したい。


登山

2004-07-04 00:00:00 | カッチイ’s ジャーナル

地元の生駒山に、先週登った。これは、「登山・ハイキング教室」のプログラムに参加してのことだったのだが、盛況でびっくりした。今は、ハイキングは、流行らしい。元気な中高年が嬉々として集まる。

シルバーコンパスを使い、現在地を確認し、地図上の指示された場所への方角を出す。地形図を読んで歩くオリエンテーリングを体験したのだ。

今まで、山に登るというのは、「登山道」をただ歩き、「分岐点」の看板を頼りに、「山頂」を目指すだけであった。地形図は、等高線が主役で、そこから、小さなピークとも呼べないような小さな盛り上がりや、尾根の分岐、角度の変化などの地形を示している。それを読み込んでいくという練習をしたのだが、山を登りながら、学生のことを思った。

私の学生達は、今就職活動の真っ只中だ。彼らにとっては、就職口を見つけるというのは、社会という山に登るのに似ているかもしれない。ほとんどのの学生にとっては、とりあえず山は登らねばならないものとして立ちはだかっている。

しかし、どう山頂を目指せばいいのかわからない。就職を確約するような学校のうたい文句にだまされたという。山に登るのは、彼ら自身なのだが、彼らの言い分を聞いていると、ケーブルカーがついていないから、山に登れないと言っているように聞こえることがある。

今、地形図は誰にも与えられているとしよう。(本当は、どこで地図を手に入れればいいかという根源的な問題があるのかもしれないが、伊能忠敬のような先達がいて、苦労して、私たちに残してくれたものがあると仮定しよう)

地形図を見て、実際に歩いてこそ、沢や山の大きさや斜面の段丘を判断できるのだ。尾根や谷などでの形そのままに、山を把握しようとすることで、山の全容をつかめる。汗を流して到達した山の中腹に立ったとき見えてくる景色は、ケーブルカーで一気に上がったものには得られない感動を与えてくれる。

鍛錬を積むと地形図を見ただけで、山をイメージできるという。天候が変りやすいのも山の恐ろしさなんだけど、風のそよぎ、緑の濃さを教えてくれる山登りは、辛くも楽しいものだ。


卒業その後

2004-04-21 00:00:00 | カッチイ’s ジャーナル

先日、去年の4月に卒業した担任の学生たちの同窓会に呼ばれていたのに失礼してしまったが、携帯で声だけ参加した。携帯をまわしてくれて、皆の元気そうな声を聞いて嬉しかった。そんな折、学校で京都のGホテルの「企業説明会」OGとして、教え子のYちゃんが来てくれることになり、今度はカッチイせんせも見に行った。人事の方が、わが社のエースとYちゃんを紹介してくださったが、企業紹介のあと、彼女が自分の言葉で、ぼつぼつと自分の就職活動や今の仕事を語ってくれるさまに、現在就職活動をする2年生たちは、熱心に耳を傾けた。自分たちの一歩先をいく先輩の話ほど、参考になるものはない。

そのあと彼女のカレー料理屋さんに行きたいというリクエストで、ハービス地下2階の「コヒヌール」に行った。ハービスの上には、大阪イチといわれるラグジュアリーホテルRがあるので、そこで働く同級生のEちゃんを呼び出して来て貰った。卒業後はじめて会う3人の同窓会だ。ここでは、ぶっちゃけトークが炸裂したのだが、2人とも、とにかく超忙しい名門ホテルでがんばっている。

しかし聞くほどにすごい働きぶりだ。Yちゃんは、ホテル内の和食の高級割烹で、着物をきてサービスしているということだが、朝食を出すレストランなので、ホテルに泊まりで、仮眠して翌日の昼まで働くというサイクルなのだそうだ。とにかく一日が飛ぶように過ぎていくという。

Eちゃんは、Rホテルでは、学生時代からみっちり2年アルバイトを経ているから、もう3年目だが、グルメショップで正社員として働く毎日は、これまた目の回る忙しさだそうだ。

ふたりは、タイプは、全然違うのだが、共通するのは骨があるというか、とてもがんばり屋さんだ。「悔しいことも辛いことも一杯あったけど、楽しいと思うこともあるし、接客では誰にも負けたくない」「睡眠不足でしんどくて倒れそうになる日もあるけど、辞めたいと思ったことはない」と、2人からは、カッチイの胸にはじんと来る言葉がどんどん飛び出す。ちょっとまぶしく2人を見つめてしまった。

職場で、上下関係を含めた人間関係の複雑さにもまれて、接客で、さまざまな目的でホテルを利用するお客にもまれて、2人は本当に成長していっているんだと実感する。こういう卒業生の姿に接して、こちらもとても嬉しいし励まされる。彼らの一時期に関われてよかったし、今後も陰ながら応援していきたいと思う。