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ドイツ雑貨「ショップ ダンケ」のオフィシャル・ブログ

四日間の奇蹟4

2005-06-04 16:00:00 | 映画&ドラマにハマル!

真理子は、ここで異性としての愛だけでなく、敬輔に対し、深い母性を示す。彼をピアノに座らせ、「ほら、弾けるでしょう。私のために、そしてあなたたちのために」と勇気づける。

吉岡秀隆のベートーベンの「月光」は、映画の聞かせどころになっている。ピアノが全く弾けなかったのに、4ヶ月ほどの猛特訓で、吹き替え無しで、吉岡秀隆自身が、弾いているのだ。吉岡秀隆は、完成作を見て、随分カットされていることに、笑って憤慨していた。

私は、ピアノに詳しいと言えないのだが、ピアノの運指は、どうしてもプロとアマとは歴然とした差が出るので、吉岡秀隆の美しい手をあえて多く写さなかったのかもしれないと思った。しかし彼の祈るように心をこめてゆったり奏でる「月光」は、素直で暖かな響きである。俳優というのは、やることなすこと、その人間性が投影されてしまうものなのだと痛感させられる。

真理子の憑依がとけて、千織は、戻ってきた。自分を責める千織に、「僕も真理子も、おまえを守ったことに少しも後悔はしていない、むしろ誇りに思う」と言って抱きしめる。そのときの敬輔には、今までになかった「父性」が現れていたのを見てとれた。

真理子は、自分は死んでしまうけれど、ただひとつだけ自分の想いを千織に渡すと言った。
敬輔のもとに、帰ってきた千織が、
「千織ね、パパが好き。だけど、少し、変、違う」
「え?」
「わかんない、知らない気持ち」

前より、少したどたどしくなく、そう言う。
真理子が、千織に託したものを、千織らしく表現したのが、愛らしかった。

4月16日の日記「四日間の奇蹟への期待」のところで、映画を見ていない段階で、映画の最後に出てくる千織と敬輔と真理子が、3人が、手をつないで歩く後ろ姿が、公式ページにあって、「子供を持つことを切望していた真理子だが、千織ちゃんは、敬輔とのふたりの子供をイメージさせるには、大きすぎる。」と自分で書いた。

この時点では、現実にありえるかどうかという視点で、3人を親子関係と見ていたのだが、私はリアリティの世界の視点に引っ張られていたようだ。


四日間の奇蹟3

2005-06-04 15:00:00 | 映画&ドラマにハマル!

k原作は、ピアニスト生命を絶たれた敬輔の挫折と再生の物語であったが、映画は、真理子により、スポットが当たっている。

映画のテーマとして、原作のどこを削り、どこを膨らませ、フォーカスを当てたのか映像を見てよくわかる。

真理子は、母性愛の強い女性で、その誠実で暖かな彼女の人間性が、作品全体を貫き、支えている。子供を産み、家族を持つことを切望しながら、それがかなわず、それを理由に離縁される。今の時代、そんなことがと憤ることは簡単だが、日本の地方都市や封建的な家庭では、全くありえないことではないと思う。

生まれたばかりのひよこを見たあとに、生卵を溶いて食べる無神経な嫁ぎ先の朝食の風景がトラウマになって、真理子は、卵が食べられなくなってしまうのだが、「命」の象徴である卵がうまく使われていた。

石田さん自身が、インタビューで語られていたのだけれど、真理子が、「女性はどこまで初恋の相手を思い続けることができるのか?」と疑問を感じたと言われているのだが、これは、女性としてとても共感する。

Yahoo!ムービー 「四日間の奇蹟 石田ゆり子 独占インタビュー」
http://movies.yahoo.co.jp/interview/200505/interview_20050531001.html

不運が続き、孤独をかかえつつ一生懸命、誠実に生きてきた真理子に、最後に、ごほうびのように、初恋の人と過ごす4日間が与えられたと解釈したほうが自然ではないだろうか。石田ゆり子さんが、監督に提示した12年ぶりに再会して、改めて、そして新たに敬輔を好きになっていくとする演技プランが採用されたのは、正解だったと思う。彼女は、この4日間を支えてくれた敬輔に感謝する。

この映画のタイトル画になっている敬輔に、真理子がおんぶされて、背中で甘えるように顔を埋め「やっぱり、私あなたが好き」と告白するシーンは、映画のプロモーション映像では、盛んに流れたが、実際の本作では、このシーンは、告白寸前のところで、真理子に言いとどまらせている。

ある意味、ピアノ一筋にきている敬輔より、真理子のほうが、人生の辛酸をなめているといえる。命の最後を間近にして、真理子は、敬輔を教会へ誘う。

一人の女性としての真理子への愛が高まる敬輔に対し、真理子は、この最後の教会のシーンで、燐としてはっきりと敬輔への愛を言葉にし、敬輔のキスを受ける。真理子の幸せを祝福したいと、心から思った。


四日間の奇蹟2

2005-06-04 14:00:00 | 映画&ドラマにハマル!

佐々部監督自身が、「実は、もっとも大変なのはその相手役である吉岡君(吉岡秀隆)だったのかもしれない。なにしろ、まったく別の人間、しかもまったく年齢の違う女性を相手に、同じ人と会話しているようなリアクションをしなければならない」と吉岡秀隆の苦労を察している。

クリエイターズ・ステーション
http://www.creators-station.jp/interview1/index.html

敬輔を演じる吉岡秀隆は、真理子の劇的な変化に対して、その瞬間の驚きや戸惑い、感情の揺れを、極力少ない動きとセリフで、繊細に細やかに演じている。面白いことに、敬輔が、真理子の変化に戸惑いを覚えている当初は、尾高杏奈が演じる真理子の演技も、不安定な感じがするのだ。

理不尽な死を迎えなければならない真理子の悔しさが、激情としてほとばしり、手当たりしだいにモノを投げつけ敬輔にあたるところから、真理子のICUの装置を引き抜こうとするシーンへつながるところは、緊迫感とボルテージが一気に上がる。敬輔は、千織ではなく、「真理子」と叫んで、千織を止め、抱きしめる。

この一件を境に、敬輔は、真理子が移った千織を、真理子として受け入れ接することに、ためらいが抜けたようである。

この敬輔の吉岡秀隆の演技で、以降の尾高杏奈の真理子の演技も安定して見える。そして観客の私たちにも、この物語が、その信憑性を超えて、胸に迫ってくる。

なぜなら、千織をかばったせいで、自分のピアニスト生命を奪われた呪詛を、敬輔が、吐露するシーンが次にあるからである。敬輔は、憎しみながら、千織のために、できるだけのことをしたいと思う心情も、決してうそではないと語る。

ここは、吉岡秀隆が、全編を通じて、最も、アグレッシブに感情の高まりを見せるところなのだが、敬輔の心に隠していた屈折した心情を、ありのままに見せることに成功し、それを、真理子に言えたことは、敬輔の心の闇に、かすかな光の窓を開けるきっかけにもなったことをも伝えている。

涙をいっぱいためて、敬輔の言葉を聞く尾高杏奈は、本当に石田ゆり子の真理子のように見えた。


四日間の奇蹟1

2005-06-04 00:00:00 | 映画&ドラマにハマル!

待ちわびていた映画「四日間の奇蹟」の初日、いそいそ見に行った。総入れ替え制の映画館でなかったので、2度続けて見てしまった。はまる性格なのである。
だって、吉岡さん主演だもん。好きな俳優さんを徹底的に身びいきして、映画の感想を書くことほど楽しいことはない。

100万部を越す浅倉卓弥のベストセラーの原作はもちろんのこと、公開の1ヶ月ほど前から、公式ページやファンサイトを熱心に読み、関連本も買って、映画を見る前から、事前情報を、やり過ぎるくらい、ばっちり仕入れた。待てなかったのだ。

月刊「シナリオ」に掲載された完成台本と、ビジュアルストーリーブックの撮影台本、さらに実際の映画で、それぞれ何が削られたのかがわかってしまったくらいである。

こんな私だから、この作品の最大の課題であった障害がありながらピアノに天才的才能を示す14歳の少女、千織に、彼女をかばって瀕死の状態になる28歳の真理子の心が宿るという奇蹟を、二人の女優が演じることが、違和感なくスムーズに受け入れられた。

真理子と千織の入れ替わりを、映像的には、真理子になったり、千織になったりしながら見せるという佐々部監督の手法を、原作を読んでいず、事前に余計な情報の入っていない人が見ても受け入れられるかどうかが、この映画の要であり、チャレンジだ。

これは、活字の世界ではなく、セリフに頼らない映画ならでは実験的手法だと思う。

佐々部監督は、一貫して「人間」を撮る監督であり、俳優の演技力を信頼する。ラブ・ファンタジーに属する映画であるが、CGIなど極力使わず、俳優のリアルな心の動きを主軸に、画面を重ねていく。

千織役を演じる尾高杏奈は、ピアノが弾けるということを前提に、サバン症候群の少女を演じることに加えて、28歳の真理子を演じないといけないという大変高いハードルを課せられた。

佐々部監督は、真理子役の石田ゆり子に、真理子が宿った状態の千織のパートも、全部セリフを覚えて演じてもらって、ビデオに撮った。そしてそのビデオを尾高杏奈が見て、真理子のクセやしゃべり方、姿勢や目線の動きを学ばせて、演出するという方法をとった。まあ、何とご苦労なことだと思うけれど、1000人からの応募のオーディションで選んだとはいえ、演技的に未知数の尾高杏奈のために、最大の努力を払ったということだろう。