真理子は、ここで異性としての愛だけでなく、敬輔に対し、深い母性を示す。彼をピアノに座らせ、「ほら、弾けるでしょう。私のために、そしてあなたたちのために」と勇気づける。
吉岡秀隆のベートーベンの「月光」は、映画の聞かせどころになっている。ピアノが全く弾けなかったのに、4ヶ月ほどの猛特訓で、吹き替え無しで、吉岡秀隆自身が、弾いているのだ。吉岡秀隆は、完成作を見て、随分カットされていることに、笑って憤慨していた。
私は、ピアノに詳しいと言えないのだが、ピアノの運指は、どうしてもプロとアマとは歴然とした差が出るので、吉岡秀隆の美しい手をあえて多く写さなかったのかもしれないと思った。しかし彼の祈るように心をこめてゆったり奏でる「月光」は、素直で暖かな響きである。俳優というのは、やることなすこと、その人間性が投影されてしまうものなのだと痛感させられる。
真理子の憑依がとけて、千織は、戻ってきた。自分を責める千織に、「僕も真理子も、おまえを守ったことに少しも後悔はしていない、むしろ誇りに思う」と言って抱きしめる。そのときの敬輔には、今までになかった「父性」が現れていたのを見てとれた。
真理子は、自分は死んでしまうけれど、ただひとつだけ自分の想いを千織に渡すと言った。
敬輔のもとに、帰ってきた千織が、
「千織ね、パパが好き。だけど、少し、変、違う」
「え?」
「わかんない、知らない気持ち」
前より、少したどたどしくなく、そう言う。
真理子が、千織に託したものを、千織らしく表現したのが、愛らしかった。
4月16日の日記「四日間の奇蹟への期待」のところで、映画を見ていない段階で、映画の最後に出てくる千織と敬輔と真理子が、3人が、手をつないで歩く後ろ姿が、公式ページにあって、「子供を持つことを切望していた真理子だが、千織ちゃんは、敬輔とのふたりの子供をイメージさせるには、大きすぎる。」と自分で書いた。
この時点では、現実にありえるかどうかという視点で、3人を親子関係と見ていたのだが、私はリアリティの世界の視点に引っ張られていたようだ。